奴隷の少女は公爵に拾われる 147
「国守の公爵閣下。このたびはご足労いただきありがとうございました」
イヴンは資料を机において、公爵の方に近づいてきた。
「いえ、陛下の御指示ですから」
公爵はわずかな微笑みを浮かべるだけだ。
「陛下が言われたことであっても、王都と公爵閣下の邸宅では距離があります。労をねぎらうというわけではありませんが、本日は王宮の方に部屋を取ってございます。そちらでお休みになって行ってください」
「心遣い痛み入ります。ですが、何分仕事が私を待っておりまして。こちらの片づけが終わりましたらすぐにでも出発します」
公爵は乱れた資料を片付け始める。
「あ、そうだ。イヴン殿。私の執事を部屋に入れても良いですか?この量を一人で持つのは骨が折れるので」
「どうぞどうぞ。かまいませんとも。普段ならラト殿にも会議に参加していただくところを、うちの若い者がいらないことを言いまして」
「そうでしたね。そういえば、ラトの会議参加を許可しないといった若い執政官の名前は何というんですか?」
「それを聞いてどうなさるおつもりで?」
イヴンがはげた頭をなでながら尋ねる。
「いや、ずいぶんと勇気のある若者だと思いまして」
公爵は微笑みを浮かべたまま、机の奥にいる若者を見る。
「ぜひお話がしたい。まぁ、先にラトを部屋の中に入れて少し資料を片付けてきます」
イヴンは小さく息を吐くと、振り向いて手招きをする。
「ケイフ、こっちに来なさい。公爵閣下がお呼びだ」
呼ばれた一人の若者は公爵の方を少し迷惑そうに見ながら寄ってきた。
「なんでしょうか、イヴン筆頭執政官」
「公爵閣下がお前とお話がしたいそうだ」
若者は怪訝そうな目で、扉を開けている公爵の背中を見る。
「なんでしょうかね。僕が彼の執事を会議に参加させなかったことに文句を言うつもりですか」
「ケイフ、用心しろよ」
若者はあからさまに軽蔑した様子で公爵の方を見た。
「あんな年寄りなんか、僕がすぐに論破して見せます」
「いつも言っているだろ。あの公爵を侮るな」
イヴンが諭すように若者に言うが、若者はその忠告を鼻で吹き飛ばす。
「まぁ、見ててください」
若者は執事を連れて戻ってきた公爵の方を見た。
「こんにちは、ケイフ君、だよね。今日は執政官の時間を費やしてしまって申し訳なかったね」
「いえ、こちらこそ。閣下のお時間を頂戴したのに結論が出ませんでした」
「会議なんてそんなもんだよ。ちゃんと結論が出る方が珍しい」
公爵は上機嫌に見えるような口調で、顔にもいつもの微笑みではなく深めの笑顔を浮かべている。
「それで、僕に用があるのではないでしょうか」
ケイフはその表情に若干の苛立ちをのぞかせる。
「あぁ、そうだったね。いや、君はとても勇気のある若者だな、とそう思ったんだ。だからぜひ話をしておきたいと思ってね」
「勇気、ですか?」
「あぁ、そうだ」
公爵は表情を変えず、ついてきた執事から数枚資料を受け取りながら続ける。
「貴族が会議に出席する際、その付き人の参加を許可しないのはその貴族に対する侮辱に当たるんだよ。知ってたかい?」
「お言葉ですが、閣下」
若者は軽蔑と勝利を確信した表情で笑みを浮かべる。
「二年前の下位裁判所での判例で、付き人の会議参加を拒絶することが必ずしも侮辱に当たるという事はないという結論が出ているはずですが、御存じですか」
それを聞いた国守の公爵は、小さくため息をついて、若者の後ろで立っているイヴンの方を見る。
「イヴン筆頭執政官。部下の教育、大変ですね」
「閣下、できればおやめいただきたい」
イヴンが若干焦ったように手を上げかけるが、公爵はにべもなく切り捨てる。
「私は規則に従って行動するだけですよ」
公爵の表情から笑みが薄れる。
「ケイフ君。君は良く判例を勉強しているようだね。でも、判例はきちんと勉強したほうが良い」
公爵はラトから受け取った資料をめくる。
「その下位裁判所の判決はその一年後、つまり去年の上位裁判所で逆の判決が出てる」
若者の表情に驚きが浮かぶ。
「あと10か月ほど前にほぼ同様の裁判が起きて、こちらの判決では付き人の会議参加は貴族にとって当然の権利でありそれを拒否することは侮辱に当たるという判決が出てる。これは下位裁判所での判決だから覆る可能性もあるけど」
さらにもう一枚資料をめくる。
「あぁ、そうだった。君が最初に例を挙げて、去年判決が覆ったという裁判ね」
公爵は資料を若者の方に向けた。
「つい先月、上位裁判所の判決を支持する、という旨の判決が統合裁判所から正式に決まったんだ。知ってたかい?これで、私が知りうる限り貴族の付き人が会議に参加することを拒否しても良いという旨の判例は国内では一件もない。もし、君が他の判例を知っているのなら話は別だけど」
公爵の薄い笑みとは逆に、若者の顔からは血の気が一切抜け、口をパクパクと動かしながら何かしゃべろうとしている。
「残念だけど、私は法に則り君を高位貴族侮辱罪で処罰する旨の司法権を行使せざるを得ない」
ケイフの目が飛び出そうなほど見開かれた。
「そ、それは……ッ!」
「君のことを勇気があるといったのはね」
公爵は笑みを深めることなく言った。
「私に法律や規則を持ち出して意見を通そうとする、その浅はかさに対して言ったんだ。国守の公爵がただ兵力を指揮する将軍のようなものだと思ってたのかい?だとしたら、君は執政官失格だ」
若者の後ろでイヴンがこめかみを押えて嘆息をついた。
「やるならもっとしっかりと勉強しなさい。後で書類を送るよ。えっと、名前は何と言ったかな。まぁいいか、もう君と会う事もないだろうから」
公爵は興味を失ったように若者から目をそらすと、イヴンの方に目を向ける。
「申し訳ないね」
「いえ、閣下は当然のことをしただけです」
「イヴン殿ならそう言ってくれると思ってましたよ」
そういうと、公爵は手を振りながら開いている扉の方に向かった。
「また会う事になると思いますが、その時はよろしく。イヴン筆頭執政官」
「またよろしくお願いします」
「あ、あと陛下に言っておいてくれるますか?私の事を名前で呼ぶのはぜひやめていただきたい。私は自分の名前が嫌いなので」
「伝えておきます」
「何度も言っているはずなんだけどね」
イヴンは禿げ頭を下げて、公爵が退室するのを見送った。
「……だから言っただろ」
崩れ落ちる若者に、もう一人の若者が走り寄る。他の扉からも、同じような服を着た若者が数人肩を貸そうと走り寄ってくる。
「お前たちもちゃんと覚えておきなさい。お前たちは国富の公爵ばかり警戒して国守の公爵の方は重要視していないようだが、それは陛下の態度に引き摺られすぎだ」
イヴンはすでに閉まっている扉の方に目を向ける。
「我々執政官は何か事を運ぶ際、様々な法律や規則、陛下の力を使って防衛網を築く。その点に関しては立法権限を有する我々執政官の右に出る者はいない。だが、国守の公爵は我々の防衛網の仕組みについて誰よりも熟知している男だ」
「熟知、ですか?それは在位が長いという事でしょうか」
「違うわ、馬鹿者!」
イヴンが半ば怒鳴るようにしかりつけた。
「国守の公爵も先ほど言っていただろう。国守の公爵が管轄するのは、武力だけではない。彼は国内の司法の最後の拠り所である統合裁判所の最高責任者、司法権限の頂点だ。つまり、彼はこの国の法律や規則、裁判の判例や法律を使った戦い方について誰よりも知っているという事だ」
若者たちが目を見合わせる。
「国富の公爵は我々が敷いた防衛網とは違う方向から狡猾に攻めてくるたちの悪い伝染病のようなものだ。逆に国守の公爵は、我々の防衛網に必ず触れてくる。そしてその一番弱いところを噛み千切って悠々と中の得物を喰い散らす頭の良い狼、いや」
イブンが顔をしかめる。
「性質の悪い老虎のようなものだ」




