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奴隷の少女は公爵に拾われる 144

「閣下、どうぞこちらへ」

 国富の公爵が大きく開けられた扉の方に手を差し向ける。扉をくぐると、仄かに甘い花の匂いがする部屋があった。部屋の大きさは思ったよりも小さい。暖炉の火は時折音を立てながら燃え、その明かりと月明かりだけと言う薄暗さだ。ゆったりとした椅子に本棚、テーブルには小さな水差しだけが置いてある。不必要に客人をかしこまらせない雰囲気があるが、同時に調度品など細部には強い拘りを感じさせた。

「想像していた部屋と印象が違いますね」

「部屋の内装には金箔で、純銀製の家具、お茶菓子には宝石と言った様なものを想像していましたか?」

 国富の公爵は金糸のような髪を掻き上げてにやっと笑って見せる。

「いやいや、そんな」

「そういう部屋もありますよ。ですが、僕の家にはそんな部屋を置く予定はありません」

 そう言いながら椅子に座るように促した。

「ありがとうございます」

 銀髪の公爵が椅子に座ると、体がどこまでも沈み込むような感覚がした。

「それで、わざわざ僕の所に来た理由を教えていただけますか?」

 国富の公爵は向かいの椅子に座ると、暖炉の明かりで揺れる緑の眼をジッと灰色の眼に向ける。

「わざわざ人払いをしていただいてありがとうございます」

「どうも。僕が合図をするまではお茶を出すのも控えるように言ってあります。それともお茶を飲みながらの方がよろしいですか?」

「いえ、今は」

 皺の浮いた顔の前で軽く手を振る。

「そうですか」

 国富の公爵は手を組んでその上に顎を乗せる。芸術品の様に形のよい顔が興味深げに国守の公爵の顔を見つめた。

「今日お時間を戴いたのは、初成人の儀に関してでして」

「ほぅ」

 両者とも表情が全く変わらない。

「お願いしたい事があります」

「閣下の頼みなら、できうる限りこたえるつもりですよ」

 国守の公爵はその言葉を聞くと、更に言葉を紡ぐ。

「ファフナール殿とうちの娘の初成人の儀を合同で開催できないか、と考えています」

「これは意外な提案ですね。僕としては別に断る理由もないですが」

 それを聞いた金髪の公爵は笑みを深める。

「受ける理由もありませんね。何故閣下がそんな提案をされるのかも分かりませんし」

「閣下は、今の国守の貴族と国富の貴族間の関係をどう思っておいででしょうか」

 唐突に変わる話に国富の公爵はわざとらしく考えるような表情をして見せる。

「国富の貴族と国守の貴族間の関係ですか。そうですね………個人的な感情は別としてお世辞にもいいとは言えませんね」

「私もそう思います。我々の関係は必要以上に仲良くする必要はありません。ですが、これ以上両貴族間の関係が悪化する様な事はあまり歓迎される事では無い」

「そこで二公爵跡継ぎの初成人の儀を一緒に開催することで、両貴族の結束をアピールするわけですか」

「そういう事です。おそらくこの国でも最大級の式典の規模になりますし、閣下が開くパーティー数回分の金の流動や情報の行きかいがあるでしょう」

「そうでしょうね」

 国富の公爵はおざなりにも聞こえるような口調で返答した。

「閣下としても国富の公爵としての責務が果たせるし、我々としても国富の貴族との距離を縮める良い機会になるでしょう。どうでしょうか」

「閣下」

 国富の公爵は深い緑の目をまっすぐ国守の公爵の方に向け、若干前のめりになりながら形の良い唇を開いた。

「はっきり言いましょう。確かに閣下が言ったような利益は僕としても魅力的です。僕の責務は金を儲ける事ではなくあくまで市場に金を流すことだし、大規模な式典は願ってもない行事だ。今まで付き合いが割と薄い他国の軍事に関連する重要人物と近づく機会が得られることは、外交上またとない機会です」

「それでは」

「ですが、閣下」

 国富の貴族の表情に、全く笑みが見られない。

「ですが、閣下。僕はともに立ち共同で一つの仕事を成していこうとする人間が、重要なことを隠していると落ち着きません」

「………」

「閣下、何を隠しているのですか?閣下が両貴族の仲違いを憂い、この機会に両貴族の結束を固めようとする、確かに筋が通っている、通っていますが少し弱い。閣下はおそらく反対するであろう侯爵以下他の貴族たちを説得しなければならないし、事務処理上の手続きなども増えるでしょう。その他諸々の不利益と利益を天秤にかけて、こういった式典が嫌いな閣下が自分から提案するような事案であるとは思えません」

 国富の公爵は良く通る声で、抑揚たっぷりに続ける。

「閣下。閣下がこの提案をするにあたっての意図を教えていただけませんか?本当の意図を」

 国守の公爵は若干目をそらしながら頭を掻く。

「参りましたね。閣下に隠し事はできない」

 次に顔を向きなおしたときに浮かんでいた表情は、苦笑だった。

「少し恥ずかしいことだったので、隠したいという欲が出てしまいました。申し訳ない」

「というと?」

 国富の公爵が興味深げに片眉を上げる。

「先ほど言ったことは、間違いではありません。ですが、私として本番は初成人の儀の後の事でして」

「公爵位継承の認定ですか?」

「えぇ。閣下も知っての通り、私は陛下と仲が悪い」

「というより、閣下が一方的に嫌がらせを受けていると見受けますが」

 灰色の公爵は苦笑いでその言葉を流す。

「万が一にでも娘の継承権にケチを付けられるような事は避けたい。閣下と一緒にその儀式に臨めば、片方だけに継承権を認めるような不平等なことはさすがにしないだろうと、そう思ったわけです」

「なるほど」

 国富の公爵が先程よりは表情を和らげる。

「陛下がそんなことをするわけがない、と言い切れませんからね。あの陛下ならやりかねない」

「あまり考えたい可能性ではありませんが、娘は唯一人の跡継ぎです。万全を期したい」

「その僅かな可能性を潰すために、わざわざ閣下の苦手な大規模な式典を自ら開くというわけですか」

「娘のためなら何でもしますよ、私は。閣下もそうでしょ?」

「まぁ、否定はしませんが」

 国富の公爵は探るような目を国守の公爵に向ける。

「なんですか?」

「いえ、なんでも」

 緑の目をわずかに細めて、国富の公爵は笑みを浮かべる。

「わかりました。国富、国守両公爵が主催する初成人の儀、かなり大規模な式典です。面白そうだ。その提案、乗りましょう」

「ありがとうございます」

 立ち上がって頭を下げる国守の公爵を見て慌てたような動きで国富の公爵も立ち上がる。

「やめてください。この提案は僕たちが同じ位であることが重要です。片方がへりくだっては台無しになってしまいますよ」

 国守の公爵はそういわれると、顔を上げて笑った。

「それもそうだ。それなら、しなくてはいけないのはお辞儀ではなく握手ですね」

「その通りです」

 二人の公爵は親しげな笑みを浮かべながら、しっかりとした握手を交わす。

「晩ご飯の時間まで少し時間があります。紅茶をお出ししましょう。マーサさんが入れる程のものではありませんが」

「ありがとうございます。ぜひ」

「色々閣下とは話をしたいこともありますし、御令嬢はファフナールと一緒なので心配ないでしょう」

「お世話をおかけします」

「いやいや、年も立場も近い人間と一緒にいるというのは得難いことですよ。誰にとってもね。使用人に声をかけてきます」

 そういうと、国富の公爵が応接室の外に出る。外に出て扉を閉めた瞬間、彼の顔に浮かんでいた親しげな笑顔が一変する。

「フーガ、いるか」

「いる。なんだ」

 公爵の隣の空間に薄墨でもにじんだような揺らぎが生じ、その揺らぎが一人の人間の形に収束する。引き締まった体を持つ中年の男だ。ぴったりとした黒い服を着込み、顔には無数の傷、髪は指の厚み程に刈り込まれ、むすりと不機嫌そうに唇を引き結んでいる。全身が研ぎ澄まされた武器であるかのような圧力があるにもかかわらず、その存在感は異常なほど希薄だ。しっかり見ていなければそこに人がいるという認識が頭からするりと抜けてしまいそうになる。

「お前の手の者に声をかけてやってほしいことがある」

「さっきの公爵がらみか。さっきの話くらいなら人払いをわざわざしなくてもよかったーーーー」

「フーガ」

 国富の公爵は先程の優しい表情ではなく、何かに飢えた怪物のような迫力で笑みを浮かべていた。


「彼はまだ何かを隠している」


 見開かれた緑の目で、フーガの黒い瞳を射竦めるように見る。

「国守の公爵が何をするつもりなのかを探れ。全力でだ」

 フーガはその迫力に思わず唾を飲み込む。

「わ、わかった」

「楽しくなってきたぞ。彼からのこの挑戦、僕の全力を以て答えようじゃないか。あぁ、僕の想像の範疇を超えて、彼は何をするんだろう。楽しみだ。楽しみだぞ、これは」

 彼の端正な顔は極度の感情の高ぶりで歪み、頬が上気している。そして感情を押さえきれずに軽く踊っているように体が動いていた。

(厄介なことをしてくれるものだ)

 いつになく興奮している雇い主を見ながら、フーガが小さくため息をついた。

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