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奴隷の少女は公爵に拾われる 143

 ファフナールとツツィーリエが調理場の隅で口をもぐもぐと動かしながら、身振り手振りを交えて何か話していた。ファフナールが何か喋ると、ツツィーリエが静かに頷きながらたまに紙に文字を記す。

『これ美味しいわ』

「そうだな」

 二人は甘い匂いのする小麦の生地で生クリームや果物を包んだ軽食を食べていた。手が汚れないための包み紙越しでも、作りたての生地の温かさが伝わってくる。その温かさがほんのり生クリームを溶かし、果物の冷たさを際立てせていた。

『この時期の果物って珍しいと思うんだけど』

「確か父が出資して作っている農場があるんだ。そこで旬では無い果物とか野菜を作らせてる。時期外れの果物っていうのは売れるからな」

 ファフナールは指についたクリームをペロッとなめる。

「食べ終わったか?」

 ツツィーリエが頷きながら最後の一欠片を口に放り込むと、スカートの前を払いながら立ち上がった。

「あぁ、坊ちゃん待ってくださいよ。俺まだ食べて終わってないっす」

「なんでお前のことを待たないといかんのだ。そもそも食べるのが遅すぎる」

 ファフナールは自分の護衛であるイーマの方をジトッと睨む。

「しょうがないじゃないっすか。俺猫舌なんすから」

「そんなに熱くなかっただろ」

 ファフナールはそういいながら、食べ終わるのを待つ。

「いやー、坊ちゃんは優しいですね」

「さっさと食べろ。客人を待たせる奴があるか」

 ファフナールは腕を組みながらへらっと笑うイーマをにらむ。

「もう食べ終わりますって」

 イーマが残りを口に頬張ると静かに立ち上がった。ファフナールがそれを確認すると、調理場で忙しく働いている調理人たちをの方を見る。

「忙しいときに悪かったな」

「いえいえ、何をおっしゃいます」

 先程対応してくれた丸い男が鍋を抱えながらにっこりと笑った。

「美味しかったぞ」

「ありがとうございます」

 ファフナールは軽く手を振り、扉を開いて調理場を後にした。

「図書室はこっちだ」

 ファフナールは近くにある階段の方を指さす。

「それにしても、なんで図書室だ?」

『家でよく本を読むから』

「へぇ」

 ファフナールは頭を掻いた。

「ツツィーリエは家でなにやってるんだ?」

『朝起きて、ご飯食べて、本読んで、ご飯作って食べて、本読んで、庭に出たり買い物したり、本読んだり、たまにお父さんの仕事を見たりするわね』

「…なんか習いものとかはいないのか?」

『しないわね』

「暇そうだな。なんで常駐の護衛がいるんだ?」

「失敬だな。お嬢は公爵令嬢だぞ。護衛の一人や二人いるのが当然だ」

「そうっすよ。そんなこと言ったら俺もあんまり仕事してないっすよ」

「お前はサボりすぎだ」

「そんぐらいの方がいいんですって。俺は保険なんですから。働かないくらいがちょうど良い」

「なんでお前みたいなのが護衛やってんだ」

「そりゃ適正があるから」

 イーマがしれっと言う。

「勤勉な奴がこんな仕事したら退屈で気が狂っちゃいますよ」

「私はそんなことないぞ。お前よりは勤勉だがな」

「どうせトレーニングとかっしよ?あと書類仕事するのに時間がかかるとか」

 モヌワがぐっと言葉に詰まる。

『書類とかあるの?』

「え、えぇ。一応公爵さんに提出する報告書とか、護衛官の登録事務所に提出するのとか色々…」

『大変ね。言ってくれたら手伝うのに』

「いえいえ、お嬢の手を煩わせるわけにはいきません」

「坊ちゃんも手伝ってくださいよ」

「お前はむしろ僕のことを手伝え」

「代わりに歌でも歌いましょうか?」

「うるさい」

 ファフナールが足を早めて歩き出す。二階の廊下は人の気配が薄く、夜の静かな空気が強い存在感を持って漂っていた。廊下の窓からランプではない冷たい光が差し込んでいる。ファフナールが窓を通り過ぎそのまま歩いて行こうとするが、後ろでツツィーリエが窓の外を見て動きを止めているのに気づいた。

「ん?どうした?」

『湖がみえるのね』

「あぁ、今日は月が大きいからよく見えるだろ」

 窓から見える湖は頭上からの月明かりと小高い丘から反射する光に照らされて水面が浮き上がっているようだ。その光景は眠っているように動かず、時折吹く風が水面を揺らす様は、湖が身じろぎしているように見える。

 ツツィーリエは何も喋らず、ただじっとその湖と月明かりが照らす風景を見つめていた。

「どうした?」

『別に。何でもないわ』

 ツツィーリエは視線を動かさずに文字を書く。

『ただ、こんなに大きな水の塊を今まで見たことがないから』

「まぁ、この町は内陸にあるからな」

『川を見たくらいかしら』

「海にいったことないのか」

『無いわ。泳げないし』

「泳げないのか?いざって時危ないぞ」

『練習しようにもお風呂くらいしかないもの。ファフナールは?』

「こんな近くに湖があるのに、泳げないわけがないだろ。歩くより泳ぐ方が得意なくらいだ」

『まぁ凄い。魚みたい』

「失敬な奴だな」

『あぁ、そうね。地面も歩けるものね』

「その通り」

『カエルみたいね』

「………」

 ファフナールは何かを判断するかのように、ツツィーリエの顔をじっと見る。

『何かついてる?』

「本気か冗談かわからん」

『冗談よ。カエルの事を人と間違えるほど目は悪くないわ』

「当然だ」

『ファフナールとカエルでは、声が違うもの』

「………冗談を言うならもっとわかりやすい表情をしてくれないか?」

『練習不足ね。最近冗談を言ってないから』

「………」

 ファフナールは口をひん曲げながらツツィーリエに顔を近づける。

「ちなみにカエルと人間では匂いも違う。カエルは生臭いが人はそうじゃない。それくらいわかるよな」

『確かにファフナールは良い匂いがするわね』

 ツツィーリエがファフナールの肩口に鼻を近づけて臭いを嗅ぐ。

「なにやってるんだ」

 ファフナールが体の動きを止めたまま尋ねた。

『これなんの匂い?』

「睡蓮だ。この湖に多く生えてる。その花から抽出した香料だ」

『へぇ』

 ツツィーリエは顔を上げて首をかしげる。

『なんで香料なんかつけるの?』

「おしゃれだからだ」

『へぇ』

 ツツィーリエは納得したように頷いた。

『良い匂いを付けていたら気分が良くなるものね』

「そうだ。わかってるじゃないか」

『さっきの厨房の匂いなんか最高だと思うわ』

「やっぱり何もわかってなかったな!」

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