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奴隷の少女は公爵に拾われる 142

「ふん!とりあえず、どこにも行きたい所がないんなら適当に―――」

 からかう言葉を振り切るように廊下をの奥へと行こうとしたファフナールの前に文字の書かれた紙が飛び出す。

『台所と図書室が見たいわ』

「台所?別にいいけど。調理場ってことか?」

 ツツィーリエが頷いた。

「それに、図書室?本邸にある本はそんなに沢山はないけど」

『どこか違う所にあるの?』

「大量の本がひとつ建物を占拠してる」

 ファフナールはどうでも良さそうに言うと、廊下の奥の方を指さす。

「こっちだ。先に調理場に案内する」

『お願いします』

 ファフナールとツツィーリエは横に並んで廊下を進んで行った。廊下も玄関ホールと同じように壁に埋め込まれたランプと飾り燭台の明かりで満ちている。絨毯の歩き心地もよく、モヌワは歩きながら少し居心地悪そうにしていた。

 そして、廊下を歩いている時に一番ツツィーリエ達が違いを感じるのは、屋敷の廊下を数人の使用人たちが歩いている事だ。ファフナールの姿を認めたメイドや使用人は作業や会話を中断して深々と頭を下げて彼らが通るまで待機していた。ツツィーリエはその姿を珍しそうに見ながら、紙に文字を書く。

『たくさんの人が働いてるのね』

「そうか?本邸で働いてる人間はかなり少ない方だぞ。信頼できる人間しかここでは働けないからな」

『少ないの?』

「調理場に詰めてる調理人と護衛を除いたら、10人と少しだ。他の屋敷では100人程詰めてる所もある」

『そんなにいる?』

「屋敷の掃除にお父さんの仕事の補佐、お父さんと僕の身の回りの世話、一部の高級使用人の身の回りの世話に、この屋敷で生活している人間のための家事とかをやるとそんなものじゃないか?」

 ファフナールはお辞儀をする使用人たちに慣れた様子で軽く挨拶をしながら、どうでも良さそうに言った。

「ツツィーリエの所には何人くらい働いてるんだ?」

『4人』

「4人?」

『4人』

「………それはお前の護衛官以外の人数だよな?」

『モヌワを含めてよ』

「少なくないか?」

『父の仕事の補佐に2人で、食事とか作ってくれる人がいれば身の回りの事も自分でやれるから。食事も必要なら自分作るし』

「自分で作るのか?」

『ファフナールは作らないの?』

「作るわけがないだろ」

『なんで?』

「なんでって、そりゃ………」

 ファフナールが絶句していると、一行の鼻がふわりと漂う食べ物の匂いを感じ取る。

「ほ、ほら、そろそろ調理場だ」

『美味しそうな匂いね』

「最近お父さんが、お前の父がいつ来てもよいようにと言う事でだいぶ気合を入れて作らせてたからな。特に今日は気合が入ってる筈だ」

『そういえば、国富の公爵の所にいつ行くかは言ってない、と言っていたわね』

「そのお陰でこっちはてんやわんやだぞ。お父さんは楽しそうだったがな」

『楽しそうだったの?』

「あぁ。お父さんは予想できない事態を楽しみにする人だから」

『賭け事とか?』

「いや、お父さんは賭け事は好きじゃない」

『堅実ね』

「いや、絶対勝つから楽しくないって。特に金が絡んでると」

「そりゃうらやましいね」

 モヌワが鼻を鳴らす。

「ほら、着いたぞ。ここが調理場だ」

 ファフナールは廊下の突き当たりにある金属の二枚扉を指さす。中からかなりの人数が動いてる音と食器がこすれる音、魚や肉に熱を通している匂いと音が扉の外でも感じられる。

「入るか?」

『邪魔じゃないかしら』

「別にいいだろ」

 ファフナールは別に気にする事もなく扉を開ける。かなり広い空間だった。全体的に白い内装で、数列に分けられた調理台と炊事台の間を数人の調理人たちと使用人が走り回っていた。既に調理台のまな板の上では魚が捌かれ、香辛料の匂いがふわりと漂う肉が香ばしく焼ける音、火にかけられた鍋の中からは野菜と出汁の深みのある匂いが一行の空腹を刺激した。

「あれ、お坊ちゃん。調理場に来るなんて珍しいですね」

 その調理場にいる年長の男性がファフナールに気付くと、エプロンで手を拭きながら近づいてくる。

「客人が調理場に興味があると言ったからこっちに来た」

「さようですか」

 男はにっこりと笑いながらファフナールとツツィーリエの方を見る。恰幅の良い人柄のよさそうな男だ。調理用の白い服は体の肉の圧力で張り、ボタンがはち切れそうになっている。丸い顔は血色がよく皺はほとんどないが、纏っている雰囲気はベテランのそれだ。周囲に目をやる仕種や指示を出す様子が非常に堂に入っている。

「何か食事前に軽く食べれる物を作ってもらえるか?」

「良いですよ。ちょっとお待ちくださいね」

 ファフナールの突然の要望にも嫌な顔一つせず承諾すると、調理場の更に奥の扉の方に足を向けた。

『忙しそうにしているわ。別に良いのに』

「ここで働く者はそれが仕事だ。それにお前がよく食べるのはもう知ってるんだ。今日出る食事の量で満足できるとは限らないだろ。客人が不満を抱いたら、いくら忙しく働いた所で意味がない」

 ファフナールは壁に寄りかかりながら調理場の様子を一瞬見たが、すぐにツツィーリエの方を見る。

「そう言えば調理場になんで興味があるんだ?」

『人が何か作ってるところって見てて楽しくならない?』

「ん~………」

 ファフナールが考え込むように首をかしげる。

『ファフナールも料理作れば分かるわよ』

「そんな時間はない。僕も忙しいんだ」

『そうなの?自分の身の回りのことをしてなかったら暇で暇でしょうがないのかと思ってた』

「失礼な奴だな。僕だっていろいろやることがある」

『例えば?』

「朝から家庭教師のいるところで勉強したり、楽器の演奏、ダンス、絵を描いたり歌を歌ったりする」

『なんで?』

「貴族にはそういう教養が必要だからだ。お前はそういうのやらないのか」

『絵はほとんど描かないわね。ダンスもやらないし、楽器は触ったこともない。勉強は自分でするし』

 ツツィーリエはポンと自分の手を打つ。

『歌の練習なら何がなくてもできるわね』

「あぁ、なるほど。お前の名前は歌の女神の名前だもんな。良い考えだ」

 ファフナールはそういいながらツツィーリエの赤い目を緑の目でじっと見る。ツツィーリエの方も別に表情一つ変えず見返した。

「………お前、僕の事バカにしてないか?」

『だって歌も絵も楽器も、別に食べられるわけじゃないもの。あんまり興味沸かないわ』

「綺麗な花が咲いてたら良い気分になるだろ。それと同じだ」

『美味しそうな果物の方が心躍るわね』

「国守公爵の邸宅にも花の一つくらいはあるだろ」

『うちの庭には食べられる植物と雑草しか生えてないから』

 ファフナールはその紙をみて絶句している。

「心配になってきた。国守の貴族は基本的にみんなそうなのか?」

『さぁ?でもたぶん他の邸宅にはもっと人がいるだろうし、もっと人がいれば花の一つくらい植わっててもおかしくはないわ。うちは人が少ないし、そういう趣味の人がいないから』

「タレンスは、そこら辺のおしゃれなのに興味ありそうですけどね」

 モヌワが口を開いた。

『そうね、たしかに。でも最近タレンスボロボロじゃない?そんな状況で何もしないでしょ』

「最近雇った奴か?」

『お父さんが。タレンスはいろんな可愛い小物とか、お化粧とかが好きなの』

「へぇ。じゃあ、お前がそういうの送ってやればいいじゃないか。きっと喜ぶぞ」

『私が?』

「あぁ。疲れてるんだったらなおさらだ。僕もたまに使用人に贈り物をしたりするぞ」

 ツツィーリエは少し目を大きくした。

「なんだ、その意外そうな目は。国富の公爵はそういう人の心の機微に敏い人物である必要があるからな。それの練習がてらだ」

 ツツィーリエは何か考え込むように視線を遠くに送る。

『そういえば、贈り物とかした事ないわね』

「良い機会じゃないか。花とか化粧が好きなんだろ?そいつはメイドか?」

『いいえ。父の仕事の補佐よ』

「なんだ、そうか。それで疲れてるんだな。女性なのに大変だな」

 ツツィーリエが首をかしげる。

「なんだ?何かおかしいか?」

『タレンスは男よ?』

「男?でも今化粧が好きと言ってたじゃないか」

『えぇ。化粧が好きよ。たまに私もお化粧してもらうし』

 今度はファフナールが首をかしげる。

「と言う事は日ごろから化粧してるんだろ?」

『多分』

「日ごろから化粧をしてる男なのか?」

 ツツィーリエが頷いた。

「ふーん、まぁ、そういう趣味のやつもいるだろう」

「坊ちゃんだってたまにメイドの人たちに化粧されてるじゃないっすか」

 イーマがニヤッと笑いながら口を挟む。

「ば……っ!それは言わなくても良い!」

『ファフナールは化粧するの?』

「そうですよ。坊ちゃんはたまに化粧して女物の服を着たりしてますよ」

「イーマ!」

 ファフナールが顔を真っ赤にしてイーマを怒鳴る。

『へぇ、私より似合いそうね』

「そんなことある訳ないだろ」

『そういう趣味?』

「違う!あれは………メイドたちの戯れだ」

 ファフナールは赤い顔のままそっぽを向く。

『見てみたいわね』

「冗談じゃない。絶対に嫌だ」

「坊ちゃんは女性から頼まれると基本的に嫌と言えない性格ですから、公爵令嬢もグイッと頼んでみたらいいんですよ」

「イーマ!いい加減にしろ!給料下げるぞ!」

「おっと、それは勘弁」

 イーマは大袈裟に肩をすくめながら舌を出す。

「じゃあ、主のおべんちゃらでも言って株を上げておきましょうか」

 そういうと、耳打ちをするようなわざとらしい動作をすると、大きな囁き声で言った。

「坊ちゃまの女装姿は公爵も認める程お似合いですよ」

 その言葉が聞こえていた調理場の人たちが楽しそうに笑い声を上げた。その笑い声の中、ファフナールが恨めしそうにイーマを睨む。

「イーマ、あとで覚えてろよ」

「おぉ、怖い怖い」



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