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奴隷の少女は公爵に拾われる 140

「良いタイミングで馬車を回してくれてありがとう」 

 公爵が御者台にいるヴィールルに話しかける。馬車の中はかなり広く、巨体のモヌワが入っても全く窮屈そうではない。馬車が走る音はとても静かで、走っている馬車の中にいるとは思えないほどだ。そして他の馬車との一番の違いは内装の豪華さだろう。馬車の中に絨毯が敷かれ、見上げると誰か高名な絵師が描いたことが察せられる絵が描かれている。馬車の中におかれているクッションは国守の公爵邸にあるどのクッションよりもふかふかとしていた。

「あの町は主の膝元ですから」

「見張ってたってこと?ひどいねぇ」

 公爵がいじめるような口調で話す。

「その件に関しては主におっしゃってください。私は言われた通りに動いているだけですので」 

 ヴィールルは一瞬振り返ってにっこり笑うと、馬車の運転に戻る。

「なぁ、公爵さんよ」

 モヌワが椅子においてあるクッションを居心地悪そうに押しやりながら尋ねた。 

「なんだい?」

「国富の公爵の所に行くのか?」

「そうだよ」

「何の用で?」

「おいおい分かるよ」

「秘密にしなくてもいいんじゃないか?」

 モヌワは不満そうに顔をしかめる。

「秘密にするつもりはないよ」

 公爵は小さく肩を竦めると、ツツィーリエの方に目をやる。

「まぁ、言っておこうか。ツツィーリエの初成人の儀をね、国富の公爵の息子と一緒にやれないか、って思ってるんだ」

「へぇ………それだけ?」

「それだけ」

 モヌワが腕を組みながら首をかしげる。

「私はいまいちこの国の初成人の儀がどんなものかわからんのだが、なんか手紙とか送るだけじゃダメだったのか?」

「まぁ、ダメだね」

 公爵は一瞬ヴィールルの方に目を向けてから喋る。

「初成人の時の祝い事っていうのは、この国で一番大事な式典といっても過言じゃない。他に同じくらいの規模ってなると、結婚式と葬式くらいだ」

「ほぉ」

「普通の市民にとってすら、初成人の儀っていうのは大事なものだ。そして貴族にとって初成人というのはさらに大きな意味がある」

 公爵はツツィーリエの方に顔を向ける。

「初成人を迎えないと、貴族の子供は継承権を認められない。大抵の場合初成人の儀は次代の継承者としての任命式が後に続く。そして、公爵の場合はさらにことがややこしくなる」

 モヌワは無言で続きを催促する。

「他の貴族の場合継承権を認めるのは公爵だ。国守なら国守の、国富なら国富のね。でも公爵の継承権を持っているのは国王なんだ」

「はぁ」

 モヌワはぴんと来てない顔で返事をする。

「つまり、ツツィーリエは初成人の儀を終えた後王都に行って、国王から次代の公爵として認めてもらわなきゃいけない」

「なんか試験でもあるのか?」

「何にも。ただ、王都の中にある専用の部屋で必要な手順を踏まないといけない」

「まぁ、重要なのは分かった。でも、別にそんなに大したことはなさそうな感じがするな。必要な儀式とやらは退屈そうだが、耐えればいいんだろ」

「そうだね、そこで一つ大きな問題がある」

 公爵は大きくにっこりと笑った。

「私は、国王陛下にあまり良く思われていないんだ」

「………あぁ、なるほど」

「国富の公爵と一緒にその儀式をおこなえれば、まぁ無難に継承権を認めてもらえるだろう、と思ってね」

『ねぇ、お父さん』

「ん?」


『もし、継承権を認めてもらえなかったらどうするの?』


 公爵は不思議な微笑みを浮かべながらツツィーリエの頭をポンと撫でる。

「そういう前例は過去に一度もないよ」

「………ん?」

 モヌワが何か言おうと口を開く。それをさえぎるように公爵が喋りだした。

「国王陛下が国守、国富両貴族に対して持っている最終的な切り札がその継承権なんだ。正確には任命権だね」

「ほぅ」

 モヌワは公爵の方を金色の目で見る。

「国王は国富、国守の公爵をその任命権を以て罷免させることができる」

「ひめん?」

「やめさせる、ってことだよ」

「………あんた国王と仲悪いんだよな?大丈夫か?」

「そうそう簡単には出来ないよ。国王の持ってる権利は法律で正当に認められたものだけど、王族の議決だけで発動できる類のものではない。それに公爵の持ってる権限はかなり物理的だからね。その決定が気に入らなければ、最悪国王にその力が向かう事になる。下手すれば内乱が起こる」

「面倒くさいな」

「そうだね」

 公爵は馬車の外の景色を見ながら言った。

「この任命権は、王の持つ鞭のようなものだ」

「そりゃどういう意味だ」

「そのまんまの意味だよ」

 公爵は急に押し黙り、ただ日が落ちていく外の景色をじっと眺めていた。

「鞭とはまた、言いえて妙ですね、閣下」

「どうも。そろそろ国富の公爵の敷地かな?」

 話しかけてきたヴィールルに公爵が尋ねる。

「はい。敷地に入ってもしばらくは馬車の中でご辛抱願う事になります。主は閣下たちをぜひ国富公爵の本邸にご案内したいという事ですから」

 国守の公爵は少し驚いたように目を開く。

「公爵本邸?それはまた、良い待遇で迎えてくれるものだね。珍しい」

「最大限のおもてなしをさせていただきたいという主の気持ちの表れです」

「楽しみだね。私も行ったことがない」

 馬車からの視界が急に開けた。馬車のいく先には、小高い丘の間を抜けてゆったりと曲がる大きな道が伸びていた。小高い丘に建物は一つもなく、沈みかけの淡紫色の太陽が名残惜しそうに沈んでいく。町の喧騒を背中で感じながら、馬車は確実に国富の公爵邸の奥へと進んでいく。

「前も思ったが、えらい広いな」

「お金持ちだからね」

「それと比べると、うちの家はあまり大きくないよな?公爵にしてはって意味だが」

「そうだね。まぁ、いろんな方面に我慢を強いる立場だし、あまり派手すぎるのもおかしな話だよ。国富の公爵は正式な手順で遺産を相続して自分で儲けたお金でこれを建ててるから何の文句もない」

『この敷地で迷子になったら大変そうね』

「大抵どこの場所にも誰かいるから大丈夫だよ」

『そうなの?』

「防犯上ね。価値のあるものを盗もうとする者が後を絶たないから」

「全くその通りです」

 ヴィールルがうんざりしたような、どことなく楽しそうな声を出す。

「週に3回はそういう輩が来るので毎日が刺激的ですよ」

「定期的に犯罪者が減るのは喜ばしい」

「そういうやつらに何か盗まれたりしないのか?」

 モヌワがヴィールルに尋ねる。

「いえ、まだ一度も盗まれていませんよ」

 ヴィールルは余裕たっぷりの口調だ。

「わざわざ国守の公爵閣下にご足労を願わなくても良いよう警備は万全にしてあるんです」

「こんな広い場所の警備、どれだけ金があっても足りないだろうに」

「主はいくら使っても余るほど儲けておいでですから」

「うらやましい話だ」

 モヌワがため息のように息を吐きながら馬車の壁に体重をよりかける。

「そろそろ見えてきますよ」

 ヴィールルは片手で手綱を握りながら前の方に指を向ける。その指の向く先に視線をやったモヌワは絶句した。

「………でけぇな……湖か」

「国富の公爵家が代々管理を任されている湖です。この国で2番目に大きく、個人の財産として所有されている水源としては文句なしに世界で一番大規模なものです」

 広大な水面がいくつもの小高い丘に囲まれるように広がっていた。沈みかけの太陽の光では対岸を確認できないほど広く、水面に背を預けるように広がる大きな葉が足場のようになって中心に向かって広がっていた。風と共にその葉が揺れ、赤味の強い光の中大きな鳥の群れがどこかに飛び立っていくのが黒い影として確認できる。

「この光景を見ることができるのは、主が許したごくごく一部の者だけです」

 ヴィールルが誇らしげに言う。馬車はどんどん湖に近づいていった。その湖に面して想像よりは控えめな建物が建っていた。湖を背に立つその邸宅は、国守の公爵邸より少しだけ大きい程度だろうか。石造りの壁を緑の蔦が覆い、玄関の正面には綺麗に整えられた庭木が幾何学模様に配され道を作っている。冬でも殺風景になら無いよう心を配っているのだろう。さすがに咲き誇るとまではいかないが、それでも傾いた太陽の中でも分かるほどの花が至る所に咲いていた。

「見事なものだね」

「えぇ。本邸に入る人間は多くないので、手入れは使用人が兼ねていることが多いです。ですが、料理と庭だけは、専門の者を雇っています」

「羽振りの良い話だ。うちは庭の草むしりや料理をお嬢がやったりするのにな」

「そうなんですか?健康的ですね」

『そんなに人手がいらないので。ここの庭ほど広いものでもないですし、普段食べる物くらいなら自分で作れた方が便利なので』

「なるほど」

 ヴィールルは庭木が作る道をゆっくりと進んでいく。

「あぁ、主が玄関の所にいますね」

 ヴィールルは徐々に馬車の速度を落とし、邸宅の玄関前で横向けに馬車を止めた。そしてひらりと御者台を飛び下りると、モヌワが触れる前に扉を開ける。

「どうも」

 モヌワは一瞬周囲に目を配ってから馬車の外に飛び出る。そして、外に出ようとするツツィーリエを抱えてゆっくりとおろした。公爵はそれに続いて静かに降りた。

 その三人に足音がゆっくりと近づいてきた。

「ようこそ、わが邸宅へ。国守の公爵閣下、ツツィーリエ公爵令嬢」

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