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奴隷の少女は公爵に拾われる 139

「あぁ、楽しかった。なんだか私の買い物に付き合ってもらっちゃったみたい」

『そうかも。でも楽しかったわ。普段あんまりこういう買い物しないから』

 ツツィーリエたちは市場の端にある大きな広場で、湯気が立っているカップに口を付けながら楽しげにしゃべっていた。日が落ちるにしたがって辺りの影が細長く伸び、風はより厳しさを増す。だが、市場の終点に当たるこの広場にいる人の顔には笑顔がある。

「悪かったね、エレアーナ嬢。何か用事があったんだろ?エレアーナ嬢の予定が狂わなければいいんだけど」

 色素の薄い銀髪に夕日の色を反射させながら公爵が言った。彼はコップには口を付けず、手でしっかりとコップを持ち暖を取っている。

「別にいいわよ。用事ってこともないし。ただ暇だったからあいさつ回りでもしようかしら、って思ってただけだから」

「それならいいんだけど。ツィルの髪留めとかも選んでもらったし、何かお礼ができるならしたいね」

「あなたに選ばせたら、何を選ぶかわかったものじゃないわ。だったら私が選んだ方が百倍ましよ」

「昔私がプレゼントしたものはそんなに気に入らなかったかい?」

「あら、プレゼントしてもらうこと自体は別に悪い気はしないわよ。それと内容はまた別の話」

 エレアーナは髪を掻きあげながら、コップの中身を一口ゆっくり口に含む。公爵は同じように一口含むと、すでに飲み終わったツツィーリエのコップと自分のものを取り換えた。コップの中身は甘みのあるトロッとした飲み物だ。口に含むと豆の甘みと舌の上で微かに感じられる辛実の刺激が広がり、喉の奥から体をゆっくりと温めていく。

『ありがとう。お父さんはもう飲まないの?』

「私は良いよ。ツィルはちゃんとしたお昼を食べてないだろ?」

『お父さんも食べてないでしょ』

「まぁね。でもこれから人の所で夕飯を食べる予定なんだ。ここで食べると、たぶん残してしまうから」

「あら、こんな時間からまたどこかに行く予定があるの?」

「ちょっとね。多分この時間から行けば先方から食事に誘われる、と思う」

「気になるわね、どこに行くの?」

 エレアーナが無邪気に尋ねる。

「それは教えられない。折角エレアーナ嬢が驚く機会を奪いたくはないんだ」

 公爵は大袈裟に肩を竦めて見せた。そのいつもより若干ひょうきんな顔をした公爵を、エレアーナが細めた眼で見つめる。

「からかってるの?」

「私が?とんでもない。人をからかうなんで生まれてこの方したことないよ」

 エレアーナはしばらく睨むように公爵を見ると、深くため息をついた。

「あなたもいろいろ変わるわね」

「エレアーナ嬢は昔と殆ど変らないね。昔より油断ならない感じがするけど」

「そりゃ当然でしょうとも。そうあろうとしてるわけですから。閣下は昔より余裕があるわね」

「それこそ当然だ。いろんな事をたくさん経験してるし」

 公爵はおどけた表情からいつも通りの微笑んだ表情に戻った。

「まぁいいんですけどね。驚く準備でもしに大使館に帰るわ」

「もう帰るのかい?」

「えぇ。閣下たちはまだやる事がある様ですから。またどこかで会うでしょうし」

 エレアーナはコップの中身を飲み干すと、優雅に立ち上がる。

「そうだね。またどこかで会う」

「あ、そう言えば閣下。なるべくツツィーリエちゃんをいろんなパーティーに参加させてあげなさいよ」

 エレアーナは公爵の胸に指を当て、かなり深い角度で公爵の顔を見上げながら言った。

「たくさんの人に見られて女性は成長するんだから。あなたみたいに血と書類の海で溺れるような人生おくらせるような事があったら承知しませんからね」

「エレアーナ嬢も似たような人生じゃない?」

「私はいいのよ。私自身が華みたいなものなんだから」

 エレアーナは念を押す様に公爵の胸をもう一度指で突き、ツツィーリエの方に向き直る。

「じゃあね、ツツィーリエちゃん。また今日みたいに買い物しましょうね」

『今日はありがとう、エレアーナ』

「とんでもない。私の方こそ楽しかったわ」

 エレアーナは手をひらひらとさせながら、日が沈み始めた広場を歩き去って行く。

「一人で大丈夫か?この時間一人で歩くのはヤバいんじゃないか?」

 モヌワはそう尋ねながら、巨大な腕を伸ばして公爵が持っている空いたカップを取る。

「大丈夫だよ。そんなに治安悪い場所じゃないし」

「ならいいんだけど」

「それにこれから行くところもあるしね」

「そういえば、これからどこ行くんだよ。私たちは知らないぞ」

 モヌワは近くにあるごみ箱の方にコップを投げ入れた。

「疲れるところだよ」

 公爵は自分の肩をほぐすように腕を回す。

「時間とか決めてるのか?だいぶ長い間買い物してたけど」

「別に時間とかは決めてないよ。でも大丈夫」

「なんだそれ」

 モヌワはツツィーリエが飲み終わったコップを受け取りながら怪訝そうな顔をする。

「近日中にこちらの時間が空いたら伺います、って連絡してるんだ」

「ずいぶんと親しいんだな」

「親しい?」

 公爵が驚いたように目を開ける。

「まさか。長い付き合いだけど、別に親しくないよ。ただ驚くことが好きな人だからそれに合わしてるだけだよ」

『私も知ってる人?』

「知ってるよ」

 公爵は沈んでいく太陽の方を見てから、ツツィーリエの方に手を差し出す。

「そろそろ行こうか。あまり遅くなったら泊まっていってくれと言いかねない」

「泊まったらいいじゃないか」

「面倒事はごめんだ」

 立ち上がったツツィーリエが髪留めを触りながら遠くの方を見る。

「どうしたの?」

『これからどこに行くのか考えてたの』

「すぐにわかるさ」

「ん?」

 モヌワは広場の方に向かう馬と車輪の音に気付いた。

「なんかこっち来るぞ」

「あぁ、ずいぶんと手回しのいいことだ。彼らしい」

 公爵がツツィーリエの方を向く。

「歩かなくてすみそうだね」

 ツツィーリエは聞こえてくる馬と車輪の音に耳を澄ませる。その馬車が広場に現れると、周囲の視線が一気にその馬車に集まった。

 流線型の滑らかな屋根を持つ美しい馬車だった。僅かに緑がかった白い外装に、金の縁取りをした大きな車輪、それを引く馬も見事な白馬だった。弱々しさはないが荒々しさもない。馬車をひくだけではなく人に見られてため息をつかせるような美しい挙動をするように丁寧な調教が施されたのだろう。手綱に従いながらも悠然と公爵たちの方に近づいてきた。

 馬車の扉に彫り込まれた家紋は、液体の入った瓶を象徴する様な特徴的な家紋だ。

「あの家紋はなんだ?瓶か?」

「あれは薬の瓶。この国の薬とも毒とも成り得る事を宣言する、って意味らしいよ」

「けったいな家紋だ」

「私たちの家紋もそんなもんだよ」

 その馬車は公爵たちの前で止まると、御者台の方から誰かが降りてきた。

「国守の公爵閣下。お久しぶりです」

「ブィールル君、久しぶり。別に今日行くとは連絡してないんだけど」

 降りてきたのは褐色の肌に彫りの深い猛禽の様な眼という、異国風の外観をした青年だった。精悍な顔つきに油断ならない目の輝き、そして爽やかな笑顔は多くの人に好印象を与えるだろう。よく整えられた顎ひげも良い印象を妨げず、よく似合っていた。

「すぐそこまで来ているんだから是非お越しください、とのことです」

 ブィールルは少し困ったように額を掻いた。

「主は閣下から、そのうち伺いますという連絡を受けてから楽しみで楽しみでしょうがないんです。閣下が早く来てくださらないと主の業務に支障が出ます」

「そんなに楽しみにされてるのかい?」

「主は、閣下が思っている以上に閣下の事が好きですよ」

「彼が私の事を面白く思ってる事は知ってるよ」

 国守の公爵は、銀髪の下に微笑みを浮かべたまま辛辣な言葉を紡いだ。

「そのお陰で色々と苦労させられているんだから、国富の公爵閣下には」

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