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奴隷の少女は公爵に拾われる 137

 細い路地は面している大通りの華やかさとは打って変わり、薄暗く少し湿っていた。建物の裏口近くにはいっぱいになったごみ箱と半野生化した動物がたむろしている。石畳みで舗装はされているものの、石畳みの隙間には長年掃除されていない事を示す汚れがたまっていた。その道を、公爵とエレアーナはひそひそと何か親しげに話しながら奥に進んでいく。それを追って数人の人影が静かに追う。その影は手に何か武器のようなものを持ち、一人は時折何かをこらえるように歯を食いしばっているように見えた。

 路地は数回折れ曲がりながらどんどん奥まで伸び、それに応じて表通りの喧騒が全く聞こえなくなっていった。後ろから追う足音はよりあからさまに、もはや追っていることを隠すつもりがないほどになっている。前の二人に追いつこうと影の速度がまし、少しずつ距離が詰まる。

 そして、とうとう路地は行き止まりに行きついた。公爵とエレアーナは路地の壁を背にして立ち、追いついた複数の人間は、それを確認すると誰も逃がさないように路地の幅に応じて広がった。彼らの中で一人は身なりの良い青年で、他の人間は荒事に慣れている様子だった。青年が公爵を睨むその視線には憎しみがこもっている。

「うーん、君たちは誰なのかな?」

 公爵は微笑みながら彼らに聞いた。青年は歯ぎしりをしながら手に持った棒を強く握った。

「お前!よくも僕の愛しのエレアーナさんに近づいてくれたな!ぼっこぼこにしてやるから覚悟してろよ!」

 青年が吠え、後ろの人間が各々武器を構えた。公爵はため息をつきながらエレアーナに耳打ちをする。

「エレアーナ嬢、彼らが誰だかわかる?」

「確か、大分前に出たパーティーにいた商人の息子だったような気がするわ。あんまり覚えてないけど」

「てめぇ、エレアーナさんにそれ以上近づくな!なれなれしいんだよ!」

 青年はありえないほど激昂しながら、建物の壁に持った棒を叩きつけて威嚇する。

「こういうの多いの?」

「割と。私だけで処理できるのに」

「古くからの知り合いが私の国で尾行されてるのに何もしないって、私がどんな役職か知ってるの?」

「昔から知ってますとも。まぁ、面倒そうだしお願いするわ、閣下」

 エレアーナは公爵を見上げて言った。公爵は今にも殴り掛かって来そうな輩を見る。

「任されました。でも、立場上こっちから手は出せないんだよね」

 そういうと、公爵は武器を持つ青年たちに喋りかけた。

「私があまりエレアーナに近づいたらどうなるんだい?」

 静かな、しかしどこか侮蔑的な口調だ。前に立つ青年は顔を真っ赤にして叫んだ。

「さっきから言ってるだろ!ぼこぼこにしてやる!それ以上近づくな!今なら見逃してやるからさっさと失せろ!」

「はは、育ちがいいのかな。脅し文句がどこか間抜けだね」

「なんだ―――」

「じゃあこういうことをしたら、君たちはどうするのかな?」

 そういうと、公爵は隣に立つエレアーナの髪を持ち上げる。

「なに?」

 エレアーナが不思議そうな顔を向ける。

「ちょっと失礼。昔のよしみで許しておくれ」

 そうささやく。そして公爵はエレアーナの耳のあたりに恭しくキスをした。


 人間の堪忍袋の緒が切れる音が静かな路地に響き渡った様な気がした。


「てめぇら、やれ!」

 後ろで棒を構えている男たちに青年が命じる。それを聞いた公爵はエレアーナの髪の下でにやっと笑った。

「はい、暴行教唆。モヌワ、やっていいよ」

 その声と共に路地の手前側からぬっと巨大な影が姿を現すと、ギョッと後ろを向いた数人が一瞬で壁に叩きつけられる。

「まどろっこしいことするなよ」

 公爵たちの耳には頭が壁に叩きつけられる音と、何かが壁からずり落ちる音が届いた。

「あんな下手くそな尾行する奴らなんざ、大通りでぶん殴っちまえばよかったんだ」

 腕の一振りで男たちを壁に叩きつけた巨人が、そういいながら残っている数人の方に歩み寄る。鬨の声と共に棒を振りかぶる男たちの一撃をすり抜けるように避けると、モヌワは彼らも狭い路地の壁に叩きつけた。

「はい、残り一人。こいつもやっていいのか?」

 モヌワは面倒そうな顔で唯一残った身なりの良い青年を見下ろす。

「あぁ、どうしようか」

 青年は何が起こったのかわからないといったような表情をしていたが、公爵の声を聴いて怒りがぶり返したのだろうかモヌワに背を向け、公爵に殴り掛かって行った。

 それを見た公爵は別に慌てた様子もなく指を鳴らす。青年は真横から何かに弾き飛ばされるように進路を変え、今日一番の音で壁にぶつかった。一瞬で意識が吹き飛び、白目をむきながら地面に倒れる。

「はいモヌワ、こいつら捕縛して。罪状は暴行教唆と暴行の未遂でいいかな。仕事中なら軍務の執行妨害とれるんだけど」

 モヌワがため息をつきながら用意してあったロープで気絶している男たちを縛り上げていく。

「無理やりやっちまったらよかったのに。あんたが公爵なんだから」

「私が法律を破ったら下がルール破りをしたとき何もできなくなるだろ?」

 公爵は路地の隅で隠れていたツツィーリエの方を見る。

「ツィル、怪我とかしてない?」

 ツツィーリエは頷きながら公爵の方に近づいてきた。

『お父さんは大丈夫?』

「そりゃね。この程度で怪我してたら務まらないよ」

『エレアーナは?』

 ツツィーリエがエレアーナの方を見る。

「えぇ、何にもないわよ。ちょっと驚いたけど」

 エレアーナは怖い笑いを浮かべながら公爵の方を見る。

「閣下」

「ん?」

「高級娼婦にキスしておいてただで済むとは思ってませんよね?」

 そう言われた公爵は一瞬目をそらす。

「み、耳だから」

「耳だからセーフなんてふざけたルールは私たちの世界には存在しないんですよ。おわかり?」

 エレアーナが公爵の上着をつかんで公爵の顔を引き寄せる。

「どうしましょうか」

「ああ………何をするつもりかな?」

「どうしてほしい?」

 凄みのある笑顔を浮かべるエレアーナの整った鼻がうっすら汗をかいている公爵の鼻に当たる。

「そうだね……勘弁してほしいな」

 エレアーナは顔をピクリとも動かさず公爵の灰色の目を覗き込む。が、すぐに公爵の服をつかんでいた手を放した。

「なんてね。今回は私を助けてくれたわけだし、大目に見てあげる」

「助かるね」

 エレアーナは公爵のあからさまにホッとした表情を目の端でとらえ、唇をひん曲げた。

「突然ああいうことをするのはやめて頂戴」

「今度からはそうするよ」

「次はお代を貰うからね」

 公爵がひるむ。

「大体ツツィーリエちゃんと久々のお出かけだからか知らないけど、浮かれ過ぎよ」

「浮かれてなんかない」

「ごまかしたって無駄よ。古い付き合いなんだから」

「公爵と古い付き合いって、お前一体何歳なんだ?」

 エレアーナはその質問を黙殺する。

『ねぇ、お父さん。この人たちどうするの?』

「ん?そうだね、ここに置いといてとりあえず大丈夫だろ。後で治安維持官に連絡するさ」

 そういいながら公爵が路地を後にする。その背中を見つめながら、エレアーナが静かに自分の耳に手を当てた。

「……やめてよね……もう」

 そうつぶやいていたところにツツィーリエが突然エレアーナの方を振り返った。思わずエレアーナの口から叫び声が漏れる。ツツィーリエはそれを見て首をかしげ、エレアーナの方に歩み寄ってきた。

『どうしたの?』

「な、なんでもないわ。ちょっと驚いただけ」

『耳赤いわよ?』

「お、驚いたからよ。それか私の髪が赤いからじゃないかしら」

 エレアーナは自分の豊かな髪で自分の耳を隠す。ツツィーリエはじーっと赤い目でエレアーナの事を見つめていたが、唐突に口を開いて無音のまま口を動かした。

『変なの』

 そう口を動かすと、そのまま公爵のもとに戻っていく。

「あの親子はもう………私を驚かせるところがよく似てるわよ、もう」

 そう独り言をつぶやくと、公爵が呼ぶ声に応じてエレアーナもゆっくりと路地を後にした。

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