奴隷の少女は公爵に拾われる 136
「待ってる間退屈してなかった?」
少女とその父親らしい年齢の男は石畳で舗装された道を歩いていた。男は灰色の眼に白髪交じりの銀髪、皺が目立ち始めた顔。表情には熱がほとんど感じられない。肌の白い公爵は色味に欠け、まるで冷気を発する凍土のような雰囲気の男だ。だがその声には横で歩く少女への愛情が感じられ、そこの部分にだけ濃い色があるようだった。
その男と手をつないでいる少女は一回頷くとゆっくりと手を動かした。
『鍛冶場の人も仲良くしてくれたし、自分と同じくらいの年の女の子と喋れて楽しかったわ』
癖のない黒髪を背中のあたりまで伸ばした少女だ。まだ初成人も迎えていない年齢だろう。白い肌にまだあどけなさが残る容貌、目は宝石のように赤く、不思議なくらい澄んでいる。周囲をきょろきょろと見回している間も表情に変化がなく、健康的な色をしている唇には全く動きが見られない。
「それはよかった」
公爵は満足そうに微笑みながら少女の歩調に合わせてゆっくりと進む。辺りは先程までいた職人たちの町とは打って変わり、かなり栄えた都市の大通りだ。石畳の舗装には隙がなく、整備された区画の道を定期的に貴族の紋章を付けた馬車や商人の大きな馬車が行きかう。道を埋める人々も色取り取りの上着を着込み、背筋を伸ばしてい歩いていた。彼らは知り合いと白い息を吐きながら談笑し、転がっている商機を逃すまいと目を凝らす。道の脇に並ぶ石作りの建物はその町のどこよりも背が高く、その出入り口を行きかう人は皆心なしか速足になっていた。
「ツィル、何か欲しいものとかある?」
『別に今はないけど、どうしたの?』
ツツィーリエは表情を変えずに首をかしげる。
「いや、さっき少し食べたからお昼を食べるのはちょっと後にして何か買おうかと思ったんだ。だけどこの辺りの店にはなじみがない。どれも高そうだ」
「おいおい、公爵さまともあろうお方が値段で買い物を渋るのかよ?」
彼らに後ろから声をかけたのは、辺りの人よりも頭一つ以上背の高い巨人の様な女だった。肩幅は公爵とツツィーリエの肩幅を足したそれと同じかそれ以上、腕の太さはツツィーリエの腰ほどもあるだろうか。錆びた血の色をした髪の毛は短く刈り込まれ、犬歯を剥きだしにして笑う。筋肉で支えられた胸のふくらみがなければ、彼女が精悍な顔をした男だと間違える人もいるだろう。
「あまり買い物はしないからね。大抵他の人が買ってくるか、送ってくれるかするので足りてしまう」
『便利ね』
ツツィーリエはそう手で伝えながら、周囲を珍しそうに見ている。
「お嬢、この辺り来た事ありませんでしたっけ?」
『えぇ。普段は公爵邸の近くにしか行かないし。大通りには来ないわね』
「用事がないと来ないよね、この辺り」
「公爵さんはこの辺りに用事がないとおかしいんじゃないか?この辺りってこの街の中心部だろ?」
「都市部は国富の領分だから。私はもう少し辺境とか国境付近とか、どちらかというと都市以外の方が詳しいんだ。この辺りに詳しい国守の貴族は三の侯爵とかかな。彼はこの辺りに事務所を持っているし、この辺りは気になる情報が割といきかう部分だから」
「じゃあ、この辺りにいるのは商人とか、国富の貴族ってことか?」
「後は他国からの大使かな」
「大使って言うと、だいぶ前のパーティーでいたような奴らか?」
「そうそう」
「例えばあんなやつとか」
「ん?」
モヌワが太い指で示した先には、真っ赤な髪をたなびかせ周囲の視線を一人占めにしている美女がいた。身長は他の女性よりもかなり高い。人混みの中で全身までは見えないが、一部しか見えていなくても分かる程に磨き抜かれた体型をしていた。細い肩にしなやかな腕、髪をかき上げる仕種や指の隅々に至るまで、どれ一つとっても人に見られることを意識し、それを魅了する事を旨としている事が分かる。明るい茶色の瞳はゆったりと辺りを見渡しながら、全体的にゆっくりとした挙動で道を歩いている。
「あぁ、そうだね。彼女の国の大使館もこの辺りにある筈だ」
『こっちに向かって来てるわね』
「折角だし挨拶だけでもしようか」
と公爵が言っている所を、向こうが見つけたようだ。公爵の姿を見た瞬間目を大きく開き、手を軽く振りながら公爵の方に向かってきた。
「お久しぶりね、閣下。お元気?」
「お陰さまで。エレアーナ嬢も元気そうだね」
彼女は公爵の前で自分の腰に手を当て若干見上げるような姿勢で立った。彼女の服装は暖かそうな毛皮のコートに体の線が見える細めのスカートだ。赤く燃える様な髪が冬の風にあおられて形の良い耳が露わになる。
「えぇ、もちろん。体は資本ですから。あなたと違って気を使ってるの」
「これは耳が痛い」
「どうせその分厚い上着だって、ラトさんが無理やり着せたんでしょ」
エレアーナは公爵の来ている上着を指でつまむ。公爵が苦笑いをしながら肩を竦めた。
「ツツィーリエちゃんも、お久しぶりね。元気そうでなによりよ」
エレアーナは優しい笑みを浮かべながらツツィーリエと視線を合わせる。ツツィーリエが紙に文字を書いて挨拶をした。
「今日は閣下とデート?」
『父の仕事が落ち着いたようなので、一緒にあたりを散策しています』
「そう?でもこの辺りまで来るのは珍しいわね。公爵邸からこの辺りまで結構遠いでしょ?」
『鍛冶屋に行っていたので』
「へぇ、鍛冶屋ね」
「エレアーナ嬢は散歩かい?」
「えぇ、まぁそんなものよ」
エレアーナは髪にかかる前髪を小さく払う。
「折角の一緒の時間を邪魔したら悪いから退散するわね」
「もうちょっと一緒にいたらいいじゃないか」
そこから去ろうとするエレアーナを公爵が引き止める。
「お気持ちは嬉しいんだけど」
と言おうとするエレアーナに公爵が顔を近づける。
「ちょっとお耳を拝借」
公爵はそういうと、少し驚いたような顔をするエレアーナの耳元に口を近づけ何やらぼそぼそと呟く。エレアーナはそれを聞くと、まるで恋人であるかのように公爵の肩に頭を預け唇を動かした。そのやり取りがしばらく続く。周囲の視線の大部分が二人の方に集中した。
「ちょっと歩こうか」
「そうしましょうか。ツツィーリエちゃんも一緒だと楽しいわ」
エレア―ナは誰かに見せつけるように公爵の腕に自分の腕をからめる。
「やりすぎじゃないかい?」
「あらそう?こういうのお嫌い?」
「嫌いかどうかは問題じゃないだろ」
公爵がそういいながら無理にエレアーナを引き剥がそうとせず、空いた方の腕を後ろに回しながらゆっくりと歩き始めた。その横をツツィーリエ、公爵の手が見える位置にモヌワが陣取った。
「最近調子はどう?」
「私?色々あるけど健康ね。あなたはどうなの?うわさは結構聞くけど」
「噂?そんなにあくどいことはしていないつもりなんだけど」
「お隣の動きに合わせて軍を動かしたりするから、面倒なことを言われるのよ。国王にもなんか言われたんでしょ?」
「まぁね。私が何かしたときに何か言うのが陛下の仕事だから」
「度が過ぎるわよ。あなたがどんだけ国のために動いてるのか、あの人はわかってないんじゃないかしら」
「そんなことないよ、たぶんね。まぁ、公爵の任命権は陛下にある。大人しくするさ」
「仮にあなたが罷免されたって、その席に誰が座るってのよ」
「陛下の親しい誰かじゃないかな?」
「そうなったら私はとっとと国に戻ってこの国に侵攻するよう上に進言するわよ」
「怖い怖い。ぜひやめていただきたい」
公爵はさりげなく後ろを確認しながら言った。
「ツツィーリエちゃんの初成人の時には王都に行くんでしょ?」
「いかないといけないだろうね。公爵の跡継ぎとして任命されるには正式な手順が必要だから」
「憂鬱じゃない?」
「私から陛下への不満をひっぱり出そうたってそうはいかないよ、エレアーナ嬢。私は噂に疎いから君の動きがあまりわからないんだ。手加減してくれ」
「何が、噂に疎い、よ。心にもない嘘をついたら舌が抜け落ちるわよ」
「もしそれが本当ならとっくに抜け落ちてるさ」
公爵は何か思い出したようにエレアーナの方に顔を向ける。
「そうだ、エレアーナ嬢。もしよかったらこのあたりの案内をしてくれないかい?この辺りで買い物をしたいんだけど」
「別にいいわよ。何が買いたいの?」
「ツツィーリエに何かよさそうなものを買いたいと思ってるんだ」
『あれ、さっきの串肉以外にも何か買ってくれるの?』
「あれはおやつだから。あれだけじゃないよ」
「この辺りだと、宝石とか、装飾品とかを買うの?」
「そうだね……、まぁ初成人の前祝としてなら買ってもいいかな」
『別に使わないわよ?』
「そんなことないわ。初成人終わったらもっと外に出る機会も増えるし、そうなったら一つ印象的なアクセサリーを付けるのは無意味な事じゃないわよ」
『エレアーナはそういうの、何かつけてるの?』
エレアーナが一瞬言葉に詰まる。
「どうしたの?エレアーナ嬢」
「何でもないわ。私は別にそういうのはつけてないわ。この髪が何よりの目印になるでしょ?」
エレアーナが豊かな赤い髪を触って見せる。
「男たちから送られた装飾品を売り払ってんじゃねぇか?」
モヌワがからかうように言った。
「あら、そんなことはしないわ。少なくともそういう事になってるの」
にっこりと笑いながらエレアーナが返答する。
「あぁ、そういえば私も昔エレアーナに何かあげたことがあったっけ?」
「えぇ。あなたからもらったわね」
「なんだったっけ?」
「忘れたわよ、そんなの」
エレアーナはフンと言いながらそっぽを向く。
「もう売ったかな?」
「あいにく私は安物を売るほどお金に困ってないの」
ムキになって言い返すエレアーナに公爵がしれっとした表情を向ける。
「あぁ、あんまり高いものじゃなかったか」
エレアーナは視線をそらして口をつぐむ。
『私は別に高いものはいらないわよ?エレアーナと違って、私は別に目立たないといけないわけじゃないでしょ?』
「ダメよ、この人に習って地味な生活をしてたら。せっかく綺麗な顔なんだから、それを生かさないと」
エレアーナは公爵に体重をかけながら、周囲の店の様子を眺める。
「あれなんかいいんじゃない?」
エレアーナはガラス越しに並んでいる金のネックレスを指さす。公爵はそのネックレスの方を見た。
「あぁ、ネックレスはダメなんだ。他の奴をお願いできるかな」
「なんでよ」
エレアーナは不満そうに口をとがらせる。
「ツィルの首にはもうかけるものが決まってるから」
「……あぁ、そうだったわね。別のにするわ」
エレアーナは他の店の方に視線を向ける。
「おい、公爵さん」
「なんだい、モヌワ」
「ちょっとお嬢を連れてあっちの方を見てきたいんだけど、いいか?」
「いいよ。あっちの方だね。大丈夫かい?」
「任せろ」
モヌワはそういうと、ツツィーリエと一緒に通りの先へと進んでいった。公爵とエレアーナはその背中を見送りながら何やらひそひそと話をし、何かしゃべりながら人目を忍ぶように大通りから外れた細い路地の奥へと進む
その薄暗い路地の奥へと進んでいった二人を追う様に、複数の影がその路地へと静かに入っていった。




