奴隷の少女は公爵に拾われる 133
「ツィル、今日時間ある?」
いつも通り皆で朝ご飯を食べているときに、国守の公爵が娘に切り出した。声をかけられたツツィーリエは口いっぱいに野菜や肉を頬張っていたが、それを飲み下してから頷く。
『今日は特に何もする予定はないわ』
「じゃあ、今日私と一緒に出掛けないかい?」
ツツィーリエは表情を変えないまま数回瞬きをした。
『お仕事は大丈夫なの?』
「今日は大丈夫。時間ができたんだ」
「珍しいな。いつも仕事仕事で忙しそうなのに」
モヌワが太い腕で大皿を引き寄せながら言った。
「済ませたい用事もあるから。どうせ外に出ないといけない」
「ついでかよ」
公爵は苦笑いしながら肩を竦める。
『私は大丈夫よ。どこに行くの?』
「ちょっといくつか買い物と、人に頼みごとをしに行く予定だ。途中で何かツィルの欲しいものがあれば買おうと思ってる」
ツツィーリエが首をかしげて考え込む。
「普段公爵邸から離れたところには行かないだろ?何か珍しい食べ物とかあるかもしれない」
ツツィーリエはうれしそうに頷いた。
「じゃあ、決まりだ」
公爵はほとんど減っていない食べ物をツツィーリエの方に動かす。その寄せた皿をツツィーリエが受け取る前に、丸い腕が公爵の方に皿を押し戻した。
「外に出られるんでしたら」
エプロンをつけたマーサが公爵の方に大きな顔を近づけた。
「これくらいは食べていただかないと」
「あぁ………食欲があんまりないんだ」
「あろうがなかろうが、食べていただきます。貧血で倒れたらどうするんですか」
公爵は何とも言えない表情で頭をカリカリと掻き、その表情のまま食器を手に持った。
「外出されるんでしたら、お昼はいりませんね?」
「うん。晩御飯も多分いらないよ。外で食べてくるから」
「食べてくるんですね?たぶんじゃダメですよ。突然晩御飯がほしい、って言われてもお嬢様が満足する量は簡単には作れないんですからね」
ツツィーリエは自分の前に並ぶ、大量の空き皿を見た。
「大丈夫だよ。午後に会う人と一緒に食べる事になるだろうし。約束はしてないけど、あっちからご飯に誘ってくるはずだから」
「約束してない?それじゃあダメじゃないですか」
「問題ないよ」
公爵は自信ありげに微笑むと、目の前の食事とゆっくりと格闘し始めた。
「では、公爵さま。留守の間はお任せください」
すでに食事を終えたラトが、燕尾服の襟を自然な挙動で正しながら言う。公爵は小さく切った肉を噛みながら言った。
「お願いするよ。タレンスもいるし、あんまり心配してないけどね」
そういわれたタレンスはほぼ眠ったままご飯を食べていた。骨太な体は舟をこぐように揺れ、目は虚ろ、たまにフォークが鼻に刺さっていた。
「大丈夫か、こいつ」
モヌワがタレンスを大きな指でつつく。
「大丈夫じゃない?健康だから寝れてるわけだし。体調崩してたら寝れないよ」
「いやいや、今は大丈夫かもしれんが。普通の人間は食事中には寝ないぞ」
「まぁ、そうだね。あんまり続くようなら業務量減らそうかな」
公爵は口の中でムグムグと咀嚼しながらタレンスを見ていた。
『いつ出発するの?』
「私はこれを食べてから少し準備するよ。だから………」
『じゃあ、私の準備が終わったらお父さんの部屋に行くわね』
「あぁ、それが良いね。そうしようか」
公爵はそういうと、目の前の食事と向き直る作業を再開した。
「あのおっさんが自分から外に出るなんて、珍しいこともあるもんですね」
モヌワはツツィーリエの着替えを持ちながら言った。
『そうね。でも、楽しみだわ』
ツツィーリエは人形のような表情をほんの少しだけ緩めながら、厚手の上着をモヌワから受け取る。
「お嬢が外に出るのは、まぁ喜ばしいことですが」
『別に外に出るのが嫌いなわけじゃないのよ。ただ外に出る理由がないだけで』
ツツィーリエは片手間にベッドの本を棚に戻してから、部屋の外に出た。
『それに外は寒いし』
「お嬢は細いですからね。余計に寒そう」
『太ったりモヌワみたいに筋肉がたくさんついたら寒くなくなるかしら』
「あんだけ食べて細いままのお嬢が太れるとは思えませんね。傭兵やってる時どうしても体つきが太くならないって気にしてる奴結構いましたから」
『じゃあ、筋肉つけなきゃ』
「じゃあ、まずは外に出て走り込みですよ」
『寒いから筋肉つけたいのに、筋肉つけるために寒い思いしてたら意味ないじゃない』
「そんなこと言ってたら体力なくなっちゃいますって」
『そうね……』
ツツィーリエは足音が響く石の廊下をぐるりと眺めた。
「毎日散歩するだけでも違いますよ」
『考えてみようかしらね』
二人はそんな話をしてるうちに大きな扉の前に来た。モヌワが微かに軋む扉を開けると、既に公爵は外出の準備を整えているようだった。
「準備できたかい?」
『えぇ。お父さん、そんな薄着で大丈夫?』
そう言われた公爵は薄手の上着を羽織り、その下には白いシャツ。明らかに冬の装いではない軽装だった。
「大丈夫だよ」
公爵は執務机の上にあった書類を一枚、上着のポケットに入れた。
「じゃあ、行こうか」
「公爵さんよ、さすがにその恰好じゃ寒いぜ?もう一枚上に着たほうがいいって」
「あんまり着ると動きにくくなるから嫌いなんだ。いつもこの格好だから大丈夫だよ」
公爵はモヌワの言葉に耳を貸さず、部屋の外に出る。
その目の前に、分厚い上着をもったラトがいた。
「あ、ラト。行ってくるよ」
公爵は上着を見ないように足早に通り過ぎようとするが、その肩をラトの力強い腕がつかむ。
「その恰好で外にお出かけなさる気で?」
「そうだよ。大丈夫だって」
ラトの目がギラリと光った。
「公爵様。そのような軽装で出ることは、執事である私が許しません」
ラトの眼光は年長者とは思えない迫力に満ちていた。
「わ、わかったよ」
「これを上から着てください」
「ラト、そんなに怒らないでくれ」
公爵は大人しくラトから上着を受け取った。
「分かればよろしい」
ラトはいつも通りの優しい表情に戻ると、公爵の後ろからついてきたツツィーリエに目を向ける。
「お嬢様は、ちゃんと上着を着ておいでですね」
『えぇ。私は寒いのが少し苦手なの』
「そうですね。特にこの屋敷は少し広すぎて寒さが一際骨身にしみます」
「こんなに広いのに、なんか使用人が少ないですよね」
モヌワが話に加わる。
「えぇ。あまり人を増やしませんから」
「昔大量に人を辞めさせたって聞いたんですけど?」
モヌワは興味津々といった様子でラトと公爵に聞く。
「デックから聞いたんですか?いや、ムクラですかね。もう、あの二人ときたら」
「別にいいんじゃない?隠すようなことでもないし」
公爵は分厚い革の上着を着ながら微笑んでいた。
「まぁ、そうですが」
「お、じゃあ、話してくれるのか?」
「別にいいけど、今はツィルと出かける方が優先かな」
窓から見える空を公爵がちらっと見る。
「別に時間の約束はしてないけど、あんまり遅くなってもつまらない」
公爵はツツィーリエの方に手を差し出す。
「行こうか。途中まで割と歩くけど、大丈夫?」
ツツィーリエは頷きながら公爵の骨ばった手を握った。
「寒いね」
公爵と、彼と手をつないだツツィーリエ、そしてその後ろを守る巨体のモヌワは公爵邸の近くで栄える街の道をゆっくりと歩いていた。
『でも、雪山よりはましよ』
「あぁ、確かに。あそこの冬は本当に寒い。出来ればあそこにはもう行きたくないね」
『筆頭辺境伯閣下が、お父さんによろしくって』
「こっちとしては勘弁したい」
公爵は苦笑いを浮かべながらツツィーリエの方を見る。
「どうだった?」
『雪山の件は報告した通りよ?』
「そうじゃなくて。北の雪山に行った個人的な感想としてはどうだった?」
ツツィーリエはしばらく視線を人の行きかう大きな道に向ける。
『疲れたわ。なんか、すごく気を使わないといけないことが多くて』
「そうかい」
『あと、第一辺境伯が、何だか私と似ている気がしたの』
「まぁ、境遇は似ているから」
公爵は感情をうかがわせない微笑みで道沿いに広がる店の並びに視線を歩かせる。
『お父さんは、第一辺境伯の両親の件は知ってるの?』
「知ってるよ?当然ね」
公爵が灰色の目を少し細めて横のツツィーリエを見た。
「彼と彼の両親を殺すように命じたのも、周囲の嘆願に配慮してあの子の命を助けたのも私だからね」
『どういう心境だった?』
「気になる?」
ツツィーリエが頷いた。それを見た公爵はツツィーリエから目を離して、呟く様に言った。
「特に何も」
後ろのモヌワの眉が上がる。
「私はあの国、もう今はこの国に併合されたわけだけど、あの国が嫌いだったから」
『お父さんはその国出身よね?』
「そう。山から吹き下ろす風が凄く冷たいところでね」
公爵は雪の積もる柳のように静かな声で喋った。
「私の家はそんなに大きな家ではなかったけど、当時の騎士団とか軍の上の方に顔が利く家だったんだ」
一行の歩調はゆっくりで、店から漂ってくる食べ物の香ばしい匂いや上品な服を見せる店員の澄ました声が追いかけてくる。
「で、先代の国守の公爵が私の家に来て挨拶をしていったんだ。その時、彼が私のことを目に留めてね。あの家から私を連れだしたんだ」
公爵の口調は平板で、感情はかけらも見いだせない。
「まぁ、その家で私はあまり良い境遇ではなかった」
『なんで?』
「色々理由がある。大人しい性格の子供は日々の苛立ちをぶつけるのに都合が良い、っていう面もあったんだけど………」
公爵はおもむろに指を立てて、わずかに燐光を纏わせる。それをひょいっと引き上げると、公爵の上着から財布が顔をだし、公爵の手に納まった。
「あの国は魔法が使える者を敵視する傾向にあったから」
公爵は微笑みを深め、立てた人差し指を道のわきに向ける。ツツィーリエとモヌワがその指の向いた先に目を向けると、そこには湯気と共に甘辛い匂いが立ち上る屋台が出ていた。
「ツィル、焼き串肉、食べる?」
ツツィーリエは一も二もなくうなづいた。




