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奴隷の少女は公爵に拾われる 131

 乾いた木の扉にノックの音が響く。

「お嬢様。ラトです。お客様がお見えになっておられますが、よろしいでしょうか」

 背筋の良い年配の執事が扉の奥にいるものに話しかける。その扉は執事の言葉を聞くと内側から人の気配なしに開いた。

「失礼します………何をされておいでなんですか。モヌワまで」

 執事は中に入ると、表情も姿勢も全く崩さず、白く蓄えられた口髭の奥から呆れたような声を出す。

『読書よ』

「私はトレーニングを」

「見ればわかります。なぜお嬢様が上に乗った状態でモヌワが腕立て伏せをしているのか、と聞いているんです」

 ラトが見たのは、部屋の中央で腕立て伏せをするモヌワと、そのうえにちょこんと座りながら静かに読書をしているツツィーリエの姿だった。モヌワの広い背中はツツィーリエを乗せるのに十分なスペースと安定性を誇っていた。

「いつも通りのトレーニングだと物足りないから何か上に乗せたいと思って。そしたらお嬢が乗るというので乗せました」

『何か重いものあるかと言われたのよ。私が動かせそうな重いものって言ったら、私くらいしか思いつかなくて』

「さっきまでスクワットをしていたんだが飽きてしまって。なので今は腕立て伏せです」

「どれくらいそんなことを?」

「食後に部屋に戻って話をしてからだから………」

「今お昼ですよ」

『あれ、そんなになるの?』

 ツツィーリエが窓から外を見た。確かに太陽はしっかりと上に上っており、そろそろ昼ご飯を食べるものもいるだろう。

「まぁ、双方が理解しているんならそれでいいんですが」

『私にお客って誰?心当たりがないんだけど』

 部屋の中にいる少女は本に名残惜しそうな視線を投げてから、口の代わりに手を動かした。

「ムクラですよ。覚えていますか?服の仕立て屋の娘です」

「私は覚えてるぞ。あのやたら口の悪い無礼な奴だ」

『覚えてるわ。彼女がどうしたの?』

「彼女がお嬢様に頼みたいことがあるという事で、今食堂の方で待っておいでです」

『頼みごと?何かしら』

「モデルを頼みたいと言っておりましたが」

『モデル?』

 ツツィーリエが首をかしげる。

「とりあえず食堂に行かれてはいかがでしょうか。マーサがご飯を作っていますし」

 ツツィーリエは頷くとモヌワの背中を軽くたたいた。モヌワが体を低くしてツツィーリエが降りやすいようにする。地面に降りたツツィーリエは手に持った本を本棚に戻した。



 食堂の扉を開けると、途端に声が響いた。

「お!おちびちゃん、久しぶりだな!」

 そこにいたのは、絵具で汚れた作業着を着ている女だ。椅子に座っているが、それなりに背が高いことが分かった。乱暴にまとめられた茶色い髪の毛にも絵具がこびりついている部分がある。まだ若いように見えるが、化粧気はまったくなかった。

『お久しぶりです、ムクラさん。国富の公爵のパーティーの時にはお世話になりました』

 ツツィーリエは紙に文字を書いてムクラに見せると、ゆっくりと頭を下げた。

「あぁ、あれね。まぁ、確かに強行軍だったけどさ。あれは別にいいんだよ」

 ムクラは手を軽く振りながらそれをいなす。

『私に何か頼みごとがあるという事ですが』

「お、話が早い。そうなんだ。ちょっとあんたに頼みたいことがあってね」

 ムクラはそういって立ち上がると、ツツィーリエの方に近づいて顔を近づけながらツツィーリエの体を睨むように見つめた。

「おい、そんなにお嬢に近づく必要ないだろ」

 モヌワが今にもムクラを引き剥がしかねない表情で迫る。

「しょうがないだろ、私は目が悪いんだ」

 ムクラは悪びれずに肩を竦める。

「今度、この国のデザイナーが集まってコンテストが開かれるんだ。それ用に作った服の試着を頼みたい」

「ん?」

 モヌワとツツィーリエが仲良く同じ角度で首をかしげる。

「こんてすと?」

「要するに、この国で誰のセンスが光ってるのかを競うんだよ。毎年参加してんだけど毎回あと一歩ってところで美味しいところを持って行かれてるから、今年こそはってことで意気込んでんだ。だけどちょっと問題があってね」

 ムクラがツツィーリエを見る。

「今年のモデルはいつもとちょっと違って背の高さが少し高めで、細身なんだ。いつもはもっと背の低い奴がモデルやるんだけど、最近の傾向としてすらっとしたやつの方が流行りらしい。それに」

 ムクラがツツィーリエの黒い髪に視点を合わせる。

「そのモデルが黒髪なんだ。だけど、手近に丁度良いモデルがいなくてさ」

 ムクラがツツィーリエを指さす。

「で、おちびちゃんならちょうどいい感じなんだ」

「細いなら確かにお嬢は細くて黒髪だが、背は高いのか?」

 モヌワがツツィーリエのつむじを見下ろしながら首をかしげる。

「あんたは感覚麻痺しすぎだと思うぜ。一般的な背丈よりは、そこのおちびちゃんの身長は高い。お嬢ちゃんの周りにはでかい奴しかいないみたいだからわからんかもしれんが」

 ムクラがもう一度ツツィーリエに顔を近づけて目を細める。

「この前の計測の時より背も伸びてるみたいだしな。まぁちょっと胸とケツは足りないけど、そこらへんは妥協するさ」

「何が、胸とケツが足りないだ。そこがいいんだ。とやかくぬかすな」

 モヌワがムクラに鬼のような形相で腕を組んでムクラを見下ろす。

「大体自分で着ればいいんじゃないのか」

「私じゃ身長が高すぎるし、肩幅がありすぎる。第一モデルやるんなら首から上も重要になるんだ。どうせならおちびちゃんみたいな可憐な面なモデルの方がいいだろ」

「まあ、お嬢は可憐で美人で可愛らしいが」「そこまで言ってねぇ」「なにをぉ!?」

 モヌワが腕まくりをしながらムクラに詰め寄ろうとするのをツツィーリエがモヌワの太腿を叩いて止める。

『別にかまいませんよ。どうせ今日は暇ですし』

「お、助かるね。じゃあ、今からすぐにでもいいかい?」

「その前に、ご飯は食べて行ってもらいますよ」

 話している三人の所にマーサが現れて、テーブルの上に大きな器をドンと置いた。

「マーサさん。あたしはいいや。おちびちゃんも食べた直後だとお腹が膨れるだろ。軽い食事でお願いできるか?」

「お嬢をなめてもらっちゃ困る。これくらい食べた程度で膨れるような、軟な胃袋は持っておられない!」

「あんたさ、このおちびちゃんの内臓まで尊敬してるのかい?ずいぶんと変態的だよ」

「本望だ」

 ツツィーリエは表情一つ変えずにモヌワの太腿を叩く。

「何するんですか、お嬢」

『恥ずかしいからやめて』

 ツツィーリエはムクラの方に紙を見せる。

『この程度の量なら食べても服が着れなくなることはないと思うので、お昼ご飯を食べてからにしてもいいですか?』

「まぁ………こっちが頼んでるわけだからね。食べたい、ってんなら止めないさ。じゃあ、私は先に行って準備を――――――」

「この食堂に入って、空腹のまま返すと思ってるの、ムクラ?」

 マーサが帰ろうとしたムクラの前に立ちふさがる。ムクラの方が身長は高いが、威圧感に圧倒的な差があった。

「え、いや。別にいいよ」

「いいから。食べていきなさい」

 マーサは梃子でも動かないといった迫力でムクラの前に大きな器を差し出す。ふわりとした卵と香ばしい肉の匂い、その中に微かな胡椒香りが感じられる。大きな器の中には茹でられた太目の麺に卵が絡み、ところどころに薄切りにされた豚肉がカリカリになるまで炒められた状態で入っている。

「いや、めっちゃうまそうだけどさ。こんなに食えないぜ、さすがに」

「あら、そう?まぁ余ったらモヌワにでも食べてもらうわ」

 マーサはムクラの背中を押して椅子に座らせ、その前に器を置いた。

「はい、召し上がれ」

「………いただきます」

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