奴隷の少女は公爵に拾われる 125
『どういうこと?彼が何かおかしな様子でも見せたの?』
ツツィーリエはモヌワの言葉に疑いの意思を示す。
『あいつ、何の躊躇いもなく襲撃者を殺しすぎです』
『殺しすぎ?彼が内通者なら殺さな――――』
ツツィーリエの手が止まる。
『逆です。内通者じゃないなら、なるべく生け捕りにするはずなんです。内通者なら、襲撃者を生かしておくか、もしくは自分の事をしゃべられないように』
モヌワが喉を掻き切る仕草をして見せる。
『でも、殺したのは私が襲われそうになってたからじゃないの?』
『あの場には私もいましたし、しかもその後ろには護衛の兵士が何人もいるんですよ?確かに危ない状況ではありましたが、無理に殺さないといけない状況ではありません。特に一番最後、3人目を殺す必要はないじゃないですか。彼が本気で襲撃者を生け捕りにしたいと思っていたなら、ナイフを投げて殺しやしませんよ』
ツツィーリエは一瞬だけ先程までいた襲撃の現場の方に目を向ける。
『でも、根拠としては少し弱くない?あの状況で咄嗟に最善の判断ができずに次善の判断を取るという事くらいは許されるわ』
モヌワは心なしか腕の動きを小さくする。
『私があいつを怪しいと思ったのは、敵と対峙しているあいつを見たときです』
『なんで?』
『あいつが襲撃者を絶対に殺すつもりなのが伝わってきたからです。仲間を殺されて怒っているわけでも、生け捕りにしてやろうと意気込んでるのでもなかったんです』
モヌワがツツィーリエの人形のような顔に向けて腕を動かしている。
『私には、あいつが襲撃者を殺す理由を待っているだけのように見えました』
『そんなこと分かるの?』
『大体ですけど。お嬢も目の前の人が怒っているのかどうか位は分かるでしょ?私は傭兵やってましたから、相手が敵を殺すつもりかどうか位はわかるつもりです』
ツツィーリエは考えるように少し俯く。
『だから、一番最初にあいつを見たとき違和感を覚えたんです。その後、一番確信を持ったのはあいつの表情です。あいつが一番焦った表情をしたのは、お嬢が襲撃者の方に行った時じゃなくて―――』
ツツィーリエは無言で先を促した。
『―――私がお嬢を追って襲撃者との間に割って入った時です。おそらく私が襲撃者を生け捕りにするのが一番あいつにとって困るからじゃないでしょうか』
ツツィーリエは唇に細い指を当てて考える。
『でも、私たちがあそこに行ったのは偶然よ。殺す理由を待ってるって言ったけど、私たちが来なかったらその理由はどこからやってくるの?』
『たぶん、隣にいる若いのを襲撃者に殺させるか、もしくは自分で殺すつもりだったんじゃないですか』
ツツィーリエがモヌワの目をじっと見つめる。
『あの状況で若いのが死ねば、状況は3対1になります。手加減ができなかったといえば後から来た人間は納得します』
『そもそも襲撃者と第一辺境伯たちの間の戦力差が互角だったんじゃないの?最初から手加減なんかできないと判断したのかも』
『本気でそうお思いですか?あいつが襲撃者を3人殺すまでの手際を見て?』
ツツィーリエの視線はもう一度先程の襲撃現場の方に向いた。
『私には、あいつ一人であったとしても襲撃者3人を軽く相手できるだけの実力があるように見えました。でも襲撃者を殺してしまえば、死人の実力なんか誰にもわかりませんから。3対1で手加減できなかったって言う理由も通るでしょ』
ツツィーリエの人形のような表情に少しずつ険しさが浮かんでくる。
『………まだはっきりと言えないわ』
『ですが』
『まだモヌワの印象だけしか根拠がない。第一辺境伯は周囲からの信頼が厚い人物であることは、ここにきて日が浅い私たちでもわかるわ。そんな状況で今のことを言っても誰にも信じてもらえない』
ツツィーリエがさらに手を動かして何か続けようとした瞬間、ハッと息をのむ様にその動きを止める。モヌワもほぼ同時にその原因の方に顔を向けた。
かなり近くから岩の床に杖を突く固い音と、廊下の薄闇の中から闇を見通すように青く光る大きな瞳が浮かんでいる。
「なにがあったんだい」
石造りの大きな廊下で一際通る重い声は、その呟きひとつでツツィーリエたちを通り越し、騒がしくなっていた襲撃現場のざざわめきすら落ち着かせた。廊下の薄闇からツツィーリエたちの近くに姿を現したのは、異形の姿ともいうような外観をした老婆だった。背は曲り、顔は痣や皺で覆い尽くされている。鼻は鼠のように大きく唇にかかるほど折れ曲がっている。唇からは口の乱杭歯が顔を出していた。だが、その威厳のある声と何もかも見通すような深い青い瞳が、彼女がこの地帯で最も地位の高い者であることを周囲に言外に察せられた。
彼女の後ろには剣を携えた男が一人、悠々とした動きで彼女についてきていた。だがその動きの中でも、全身で周囲の警戒を怠らず、危険を塵一つとして見逃さず即排除するために彼が存在していることが分かった。
『マシラ筆頭辺境伯閣下。アールネク第一辺境伯が襲撃に合いました』
「ほぅ。で、その襲撃者はどうなったんだい?」
『全員閣下が殺しました』
「そうかい」
それだけ言うと、マシラは護衛の男を一人連れて襲撃現場の方に歩を進めた。その後ろからツツィーリエとモヌワがついていく。
「アールには白鹿隊の若いのがついてたはずだね」
マシラは彼女の後ろについている男に声をかける。
「はい。若いのが一人。なるべく探索の手を広げるために、1集団当たりの人数をできるだけ少なくしていたようです」
「そうかい」
その落ち着いた言葉を聞いたマシラの表情は、世間話の隙を全く与えない厳しいものだった。廊下を杖をついて歩いていると、向こうの方からアールネクが近づいてきた。
「母上。申し訳ありません。生かして捕えられませんでした」
と言って前髪を垂らす。
「何人だい」
「え?」
「お前を襲ったのは何人なんだい」
「あ、3人です」
アールネクはマシラの性急な問いかけに少し戸惑っているようだった。
「アールネク。襲撃者、今までの襲撃の状況から考えて、襲撃者の数は全員で何人だと考えてるね?」
マシラの抑揚のない声と何を考えているのかわからない静かな視線がアールネクに向けられた。アールネクはしばらく無言で考えた後、きっぱりと答えた。
「5人です」
「私もそう考えてる」
マシラは襲撃の現場の方にゆっくりと向かい始めた。アールネクは小さく数回瞬きをするも、マシラの後ろに控える男に会釈しながらマシラの横を歩く。
「あんたについてた白鹿隊の若いのはどうした」
「彼も無事です」
「そうかい。なら、大したことない相手だったようだね」
「えぇ。ですが、ツツィーリエ公爵令嬢の方に襲い掛かりまして」
マシラが後ろからついてくるツツィーリエの方に目を向ける。
『護衛の兵士とモヌワで生け捕りにできると思ったのですが、閣下が私の安全を確保するために襲撃者を』
「そうかい」
マシラはそれ以上、襲撃現場に着くまで一言もしゃべろうとしなかった。血のにおいが立ち込めるその場所では、ツツィーリエの護衛をしていた兵士が姿勢を正して一列に並んでいる。
「かしこまらなくて良い」
マシラの目は死体を見ても全く揺らぐことなく、節くれだった指を振りながら冷静な言葉を紡いだ。
「あんたのうち半分は、白鹿隊に5人ほどよこすように連絡しな。それと、襲撃者があと2人砦の中に残っていることを砦中に触れ回るんだ。残り半分はこの廊下の状況をシッカリと保っておきな。襲撃者の襲撃もあり得る。誰が来ても指一本触れさせるんじゃないよ。白鹿隊の奴らが来たら、そいつらに何があったのか記録させる。アール。お前は何があったのかなるべく詳細に私に話すんだ」
「はっ!」
その場にいる兵士が全員敬礼すると、護衛の兵士が半分に分かれ、淀みなく支持を全うするべく動き出した。
「あんたらもここにいてもらうよ。護衛の兵士が戻ってくるまでわね」
マシラはツツィーリエとモヌワに向けてそういった。
「あらツツィーリエちゃん。大丈夫?」
『大丈夫よ』
ツツィーリエは心配そうに声をかけてくるタレンスに向けて指を動かす。
「なんだい?血の匂いにでもやられたのかい」
ツツィーリエはそのマシラの問いかけに小さく頷くと、近づいてくるタレンスにだけ見える位置で小さく『後で話があるわ』と指を動かした。
タレンスはそれを見て表情を全く変えることなく、心配そうにツツィーリエちゃんの方に寄る。
「無理しちゃだめよ」
「血の匂いなんか嫌でも慣れるさね」
マシラは体を貫かれて死んだ襲撃者の顔を杖で突いて上を向かせた。
「アール。どういう風に動いたのか説明しな」
マシラに言われたアールネクは頷いた。そして、先程一緒に襲撃者と戦った若い青年を呼び寄せると、わかりやすく動きを説明し始めた。
『ツツィーリエちゃん。どうしたの?』
タレンスがその様子を見ながら、横に立つツツィーリエに指を動かす。
『モヌワが、アールネク第一辺境伯が怪しいって。内通者の可能性があるって』
タレンスは特に表情を変えることなく肩を竦める。
『驚かないのね』
『驚いてるわ。でも、こういう時にはポーカーフェイスが大事なのよ』
タレンスは、首にナイフが刺さって死んでいる襲撃者の方を見る。
『ん~、なるほど。口封じってことかしら。だとしたらちょっとまずいわね』
『どうする?』
『とりあえず、後で落ち着いて話しましょう。筆頭辺境伯が私たちにここにいるように言った以上、自由には動けないわ』
『ずいぶんと呑気な話だな』
モヌワが指の会話に割り込んでくる。
『何言ってるのよ。この中で一番私が焦ってるわよ』
『なんでだ』
『忘れてるのかもしれないけど、私はこの案件をしっかり解決しないと公爵様にこれからのことで口利きしてもらえなくなるからよ』
タレンスは話し込んでいる第一辺境伯と筆頭辺境伯たちを視界に納めながらタレンスが憂鬱な表情になる。
『わざわざ北の山まで来て、目の前で重要な証人達が次々と殺されて事件は闇に葬られました、なんてことになったら私は路頭に迷うわ』
「傭兵にでもなったらどうだ」
モヌワがタレンスに言葉をかけた。
「あんたみたいな男臭い奴ばっかりのところに行けっての?冗談じゃないわ」
「私は女だ。目か頭が悪いのか」
「どっちもおかげさまで正常よ。あんたこそ自分の鼻で体の臭いを嗅いでみたらどう?」
「お前に言われたくない」
モヌワは掃き捨てるように言い放つと憮然とした表情でツツィーリエの斜め後ろで腕を組んだ。タレンスは死体を見つめて思案気な表情を作る。ツツィーリエの視界は廊下の死体とアールネクの間を行ったり来たりしていた。すると、その肩を大きな指が叩く。
『なに?モヌワ』
「今、私汗臭いですかね?」
ツツィーリエは、不安げな表情で耳打ちするモヌワの大きな顔を思いっきり見上げ、数回大きく瞬きをする。
「あ、いや、忘れてください」
モヌワはわずかに顔を赤らめながら姿勢を正した。そのモヌワの体にツツィーリエが顔を近づけ、鼻を鳴らすように数回息を吸い込む。
「ちょ、お嬢!?」
『別にいつものモヌワの匂いよ』
「いつもの匂いってなんですか!?」
ツツィーリエが首をかしげる。
『汗とか?』
「汗臭いんですか!?」
『別に汗臭くないわよ』
「どっちなんですか!」
モヌワがツツィーリエの両肩をがっちりと掴む。ツツィーリエはしばらく何かを考えるように無反応だったが、おもむろに腕を動かした。
『モヌワ』
「はい」
『私は別にある程度清潔にしてくれていれば、別に匂いは気にしないわ』
「………」
モヌワの目がツツィーリエの目を見つめる。
『私が気にしないんだから、別にどんな匂いでもいいんじゃない?』
ツツィーリエのその言葉を、モヌワは噛み締めるように頷いた。
「………そうですか」
『私はモヌワの匂い、嫌いじゃないわよ』
「そうですか!」
モヌワはいきなり立ち上がると、満面の笑みを浮かべながら陽気にその場を動き回り始めた。
「ツツィーリエちゃんも大変ね」
その様子を見ていたタレンスが呆れた様に言った。ツツィーリエは特に何も返事をせず、ただ肩を竦めるだけだった。




