奴隷の少女は公爵に拾われる 122
「そもそも砦の内部に襲撃者が入る必要はないんだ。ましてや砦の内部で襲撃する必要なんてない」
「辺境伯を襲撃するためには砦の中に入る必要があるのではないですか」
「今やる必要はないね」
マシラはのそっと立ち上がって、近くの棚のほうに向かった。
「ほれ、これ見な」
マシラはその中からひもで縛られた大量の書類を投げ渡す。タレンスがそれを受け取ると、ゆっくり紐をほどいていく。
「これは?」
「今回の一連の事件の詳細を詰めたものだ」
「それならアールネク閣下に聞きましたが」
「その中には、私が自分で直接現場に行ったか、もしくは白鹿隊に調べさせた殺害状況が載せてある」
「直接?あなたが直接調べられたんですか?」
「当たり前だ。部下に丸投げしていい案件とそうでない案件の区別はついてるんだ。雪で大分証拠が消えてるのは確かだが、私が気にしてるのは殺害後じゃなくて、殺害中に敵がどんな動きをしたかだ」
渡された書類にはかなり詳細なスケッチが一緒に乗せてあり、足が雪をかき混ぜた跡と兵士の死亡位置から推測できる敵の動きと殺された兵士の動きが矢印などのメモになってかなり詳細に書かれていた。
「実際見たわけじゃないから完璧じゃないけどね。これだけ何回も殺されてたら、敵が何でこっちの兵士に見つからず事を起こせてるのか、理由がわかる」
「なぜなんですか」
お茶をちょっとすすりながらマシラが答えた。
「敵の中に異常な手練れがいるというような感じではない。作戦立案がうまい奴がいるんだ」
「根拠はなんなんだよ」
「経験からくる感覚って言った方がいいかね。いいかい、例えばここだ」
書類の束から一枚抜き出して、スケッチの一部に節くれだった指をさす。
「こっちの兵士の死亡位置から考えて、ここの位置にいる敵が肩から切りつけて殺してる。だが、もし白鹿隊の奴ならここの位置まで移動する必要はない。この位置にいる段階で既に殺せてる」
「状況次第だろ。吹雪いてるって言ってたんだから、雪が目にでも入ったんじゃないのか」
モヌワが目を細めながら言う。
「一回だけならそんな風に考えられるさ。だがね、こういうような、技術的な問題で好機を逃してる場面がかなりみられる。だが全ての件に関して、敵がこちらが動く前に3手先を動いてる。これじゃ、どうしようもない」
「まぁ、そういうならそうなんだとしてだ。相手に作戦立案の上手い奴がいたとして、それがどうしたんだ?」
「そんな作戦を立てるくらい頭の良い奴が、すぐに見つかる砦内部に襲撃者を入れるか?私なら入れないね」
書類を指で何回も付きながら少し言葉を荒げる。
「何が言いたいんですか?」
マシラの目は鋭く、ほとんど睨みつけるような光を帯びる。その迫力は彼女の顔の異様さによるものだけではない。
「すぐに事態が動く。明日にでもだ。それがこっちにとっていい方向である可能性は低い」
ツツィーリエはその言葉を受けて、紙に文字を書き始めた。
『最悪の事態はどういうようなものですか?』
「例えばこの砦を崩壊させるような仕掛けをされてる場合だね。まぁ、ちょっとした仕掛けで崩壊するような軟な作りにはなってないし、多少ある心当たりに関しても私が今日見た限りでは何もない」
『食べ物に毒を入れてある場合などはどうですか?』
「食糧庫への侵入があればわかる。無音で侵入できるようにはできていないし、近くに常に見張りがいる。調理場も分散させてあるから、砦全体が毒で崩壊するようなことはない。調理した後も毒見を入れてる」
「厳重ですね」
「堅牢な砦を崩すってなったら毒か計略って相場が決まってる。崩されたらたまらないからね」
『では、他にわざわざ襲撃者を中に入れた理由は何か考え付きますか?』
「色々細かい理由は考えられるがね、どれもしっくりこない。急いで何か処理しないといけない案件があったんだろう、位しか考えられん」
『砦の中に入っているのは襲撃者たちの暴走で、現在作戦立案者の手に指揮権がないのでは?』
「内通してる辺境伯をどうやって説得するのさね。襲撃者が捕まればおのずと裏切り者の名前が割れる。そのリスクを高めるような行動に見合った利益を提示するんなら、なおさら頭の良い奴の知恵がいる」
マシラは怖い目で手元のお茶を見つめる。
「何か理由があると思うんだがね………。それがわからん」
『ですが、私たちのやることに変わりはないでしょう?』
「襲撃者を捕まえる事かい?それはあたし等のやる事じゃない」
マシラの目がぎろっとツツィーリエを睨む。
「それをやるのは私の部下たちの仕事だ。思考を放棄した先にあるのは地獄だよ」
その眼と言葉の鋭さは、ツツィーリエの隣に座るタレンスが思わず冷や汗を流すほどだった。ツツィーリエは無表情のままそれを受け止め、一拍の静止の後、紙に文字を記した。
『勉強になります』
「勉強でも何でも勝手にしな」
マシラは湯気が少し治まったお茶を一息に飲み干す。
「あんたら、明日はどうすんだい?」
『とりあえず、もう一度辺境伯達に話を聞きに行こうと思います』
「ま、そうだろうね。護衛の兵士はあれで足りるかい?」
『大丈夫だと思います。モヌワもいますから』
「そうかい。なら良い」
マシラは椅子にしっかりと体重を預け体を沈みこませる。その老婆の喉から、細く長く息が吐き出される音がした。
『お休みの所申し訳ありませんでした』
「休んでないって言っただろうが」
鼻を鳴らしながら、蠅でも追い払うように手を振る。
「明日に備えて寝な。無理していいことないよ」
ツツィーリエは頷くと、お茶のカップを机の上において立ち上がる。
『ありがとうございました』
「こっちこそ」
マシラはそっけなく返答した。ツツィーリエは一礼すると、モヌワとタレンスを従えて部屋の外に出る。マシラはそれを横目で確認して、扉の閉まる音を聞くと疲れた様に溜息をついた。
その部屋の物陰になっている所から一人の男が音もなく姿を現し、その男はゆっくりとマシラの方に近づいて行った。体つきの良い、戦士の体格だ。だがそれだけでなく、動きや雰囲気に悠然とした風格がある。
「そのカップ、片付けといてくれるかい」
マシラはその方向を見もせずに声をかけると、沈めていた体を起こし書類を手に取った。
「あの公爵令嬢についている女、中々勘が良いですね」
その男は言われた通り片づけながらマシラに声をかける。
「私に気付いてる様子でした」
「国富のとこの兵士じゃあるまいし、隠れるったって限界があるさね。もしくは、あんたがまだ未熟なんじゃないかい?」
「だとしたら、閣下の護衛任務を白鹿隊の後進に託さなければ」
「後進、ね」
マシラが皮肉に満ちた薄笑いを浮かべて男の方を見る。
「アールネクに負けるような奴ばっかりじゃ、その後進とやらも当てには出来ないね」
「部下の訓練が足りないのは、隊を指揮するものとして責任を感じる所です」
カップを洗いながら、男は申し訳なさそうに苦笑いを浮かべた。
「ですが、アールネク閣下が非常に強いというのは間違いない」
「腕っ節が強くたってどうしようもないさ。とりあえず報告しておくれ」
「はい。今の所辺境伯達に不審な動きは見られません。皆自室で護衛と一緒です」
「襲撃者は」
「いえ、まだ見つけられていません」
「そうかい」
マシラは険しい目で男を見つめる。
「辺境伯達の明日の行動は」
「アールネク閣下は白蛇隊と白鹿隊を指揮して砦内の捜索を行うようです。ヤィルデル閣下は主要人物の護衛に白狼隊を配して、最小限の護衛と共に砦内の見回りをするようです。セルークル閣下は現在手勢がほとんどいませんので、やはり護衛と自分で襲撃者の捜索。マーダック閣下は自室から動かないようです」
「目を離すんじゃないよ」
「お任せください」
兵士は低い穏やかな声で返答しながら、洗い終わったカップの水気を布で拭っていった。




