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奴隷の少女は公爵に拾われる 121

 廊下の壁で燃える炎がゆらゆらと揺れながらほとんど人気のない廊下を照らしていた。石造りの廊下は、外が雪に覆われた山であることを嫌でも思い出させてくれる。幅の広い廊下と少し高めの天井に飾り気はなく、時折遠くから反響するように響く金属音だけがその場所の変化としてあった。

 その場所を、数人の兵士と一緒に行動するものがいた。

「ずいぶんと人気がないわね。やっぱり襲撃者がいるから部屋の外に出ないようにしてるのかしら」

 一人は胸板の厚い男だ。髪の毛を地肌が見えるくらい刈り込み、更に幾何学の模様が浮かび上がるようにさらに短く刈りこんでいる。だが、彼の低い声に反して口調は妙齢の女性のものだ。動きにもどことなく女性の動きを意識したようなところがある。

「寒いからじゃないのか」

 もう一人は、兵士の一団と比べても頭一つ以上背の高い女だ。錆びた血の色をした髪の毛は逆立つように短く切られ、金色の目はまるで雪山の狼のように周囲を警戒している。初めて彼女の姿を見た人は、顔だちを見て、胸の膨らみを確認してからようやくその人を女性だと判断するだろう。肩幅も腕の太さも、周囲の屈強な兵士たちよりも更に太く逞しい。その筋肉は廊下を歩いている途中、兵士からどのような訓練をしているのかと尋ねられるほどだった。

 その二人に挟まれるように歩いているのは、屈強な人間の中で唯一小柄な少女だ。初成人前だろうか。年齢の割には背丈はある方だが、分厚い上着に着られるほど細身な体は筋肉の目立つ一団の中で異彩を放っている。艶のある黒い髪を上着の中に押し込み、暮れる直前の夕日のように赤い瞳をまっすぐ前に向けて歩いていた。その少女にはまったく表情がなく、口を開くこともない。両脇を固めている二人に話しかけられるとそちらの方を向き、しゃべる代わりに手を動かして意思の疎通を図っているようだった。

 そんな一行がしばらく歩いていると、他の扉よりも幾分大きな扉と、その前に立って辺りを警戒している二人の兵士の姿が見えた。二人の兵士はマントを一枚羽織っているだけだが、寒い廊下の中でもほとんど体を震わせず、目つきの鋭さにも一片の油断も隙も伺えない。体格や装備に特別なものはないが、そのまとっている雰囲気は彼ら自身が普通の兵士とは違う特別な存在であることを示していた。

「止まれ」

 その二人の兵士は、近づいてくる一行に低く鋭い声を発する。マントの下が腰のあたりでわずかに揺れた事が確認できた。その声に従って、一行の歩みが止まった。

「所属と目的を」

 少女の周りにいる兵士の中の一人がその場にとどまって口を開いた。

「我々は白狼隊第5小隊、現在は国守の公爵令嬢の護衛任務にあたっております。ツツィーリエ公爵令嬢がマシラ筆頭辺境伯閣下にお会いしたいという事でしたので、お連れいたしました」

「ツツィーリエ公爵令嬢はどこにおられる?」

 少女は自分の姿を隠している兵士たちの体をトントンと叩いて道を開けさせた。兵士との対比でいつもより小さく見える少女の姿を、扉を守る二人の兵士が鋭い目で確認する。

「確かに公爵令嬢殿ですね。失礼しました」

 二人の精鋭はマントを払うと、剣を見せながら驚くほど優雅な物腰で礼をした。ツツィーリエはその礼に対して静かに礼を返す。

「せっかくお越しいただいたところ大変申し訳ありませんが、筆頭辺境伯閣下はもうお休みです。もしよろしければ明日の朝に再度お越しいただけないでしょうか」

「もうお休みになっておいでなんですか」

 少女の脇にいる男が驚いたように目を開く。

「そりゃ、タレンス。理由は簡単だ。ババァだからだろ」

 その男の反対側にいる大柄な女がそういった。ほんの一瞬、扉を守る兵士二人の目が細まる。

「ちょっとモヌワ」

「おっと、こりゃ失礼」

 モヌワが大袈裟に肩を竦めて愛想笑いを浮かべる。

「筆頭辺境伯閣下は最近の事件のせいで色々悩みを抱えておられる。いつも以上の疲れておいでだ。平穏な休みを、できれば邪魔しないでいただきたい」

「その事件について確認したいことがあるんです。もしよろしければそのお時間をいただけないでしょうか」

「大切な案件か?」

「そうなるかもしれません」

「明日の朝ではいけないのか」

「明日の朝に閣下とお話しできる時間が取れる確証はありません。閣下は非常にお忙しい身ですから」

 二人の兵士は一瞬逡巡する。

「………閣下に言って朝に時間を―――」

「ドアの前でごちゃごちゃうるさいね」

 静かな廊下によく響く声がその場にいる者全員の耳を打った。扉を守る兵士が振り返ると、扉が内側から開き、その隙間から青い瞳の老婆が顔を出していた。その顔は皺や痣だらけで、口から除く乱杭歯とまだら模様の日焼けと合まり、まるでおとぎ話に出てくる怪物のような異様さだった。だが、その青い瞳には賢者と呼ぶのにふさわしい知性と、齢を重ねたものが持つ霊峰そのもののような落ち着きがあった。

「あたしは寝てなんかいないよ。そこら辺の年寄と一緒にすんな」

 その老婆の声は眠気など微塵も見つけられないほど明朗だった。

「あんたもいらん気を回すんじゃないよ。このお嬢ちゃんにはこっちから頼んできてもらってんだ。仮に休んでたって飛び起きるさね」

「ですが」

「ですが、じゃないよ。年寄り扱いすんじゃない」

 その老婆は兵士の心配する言葉をびしっと切り捨てる。

「入んな」

 節くれだった異様に長い指でツツィーリエたちを手招きする。

「あんたらは白狼隊だね。寒いけど、ちょっと外で待っておくれ」

 先程までツツィーリエたちの護衛をしていた兵士は一糸乱れぬ敬礼をして見せる。

「悪いね」

 と言って、老婆は扉の後ろに姿を隠す。

「………入っていいかしら」

 タレンスが扉を守る兵士に確認を取る。

「閣下がああ言っておられる。私たちには拒否できん」

 兵士は苦い表情を浮かべながら扉をゆっくりとあける。

「だが、できれば手短に。閣下が休む時間は長いほうが良い」

「そうします」

 タレンスがその言葉に対して返答する。ツツィーリエは扉を開けている兵士に一礼すると、躊躇いなく扉の奥へと足を進めた。

 部屋には窓こそないが、砦の中ではほとんど見られなかった生活感のある空間が広がっていた。洋服箪笥に本棚、毛足のくたびれた絨毯に、読みかけの本が乗った長椅子。暖炉の火にヤカンが掛けられ、部屋の隅にはベッド、部屋の奥には調理器具まで見える。部屋の真ん中にある机の上には地図や書類などが乱雑に広げられ、そこかしこに何かを書きなぐったような跡が見られた。

 椅子や机は足の長いものはなく、どれもかなり背の低いものになっている。他の家具や道具も、全て普通の大きさのものではない。

「汚い部屋で悪いね。適当に座んな」

 老婆の声が部屋に入った三人の耳に入る。先程顔しか見えなかった老婆は、腰の曲がった状態で暖炉の火からやかんを引き上げると、近くにおいてあった食器を引き寄せてお茶の準備をし始める。彼女の背中には大きな瘤があり、ますます彼女の姿を普通のものではないように見せている。

「………閣下はここで暮らしておいでなんですか?」

 タレンスは部屋をぐるりと見渡してつぶやくように言った。

「あぁ。仕事をする部屋と寝たり食事をする部屋と分ける必要を感じなかったからね」

 マシラは杖を突きながら部屋の中央の机に近づく。

「座んなよ。自室で首を痛くするのは勘弁だ」

 マシラは一瞬横目でお湯の入った食器を確かめてから、大きめの椅子にため息とともに座り込んだ。その正面にツツィーリエが座り、横にタレンスが窮屈そうに座った。モヌワはツツィーリエの後ろで座る様子を全く見せない。

「あんたも座んなよ」

「んな低い場所に座ったら動きづらいだろうが」

 モヌワがツツィーリエと部屋の奥、物陰になっている場所との間に立つ。マシラは肩を竦めてそれ以上強要しようとはしなかった。

「で、話ってのはなんだい?手がかりでも見つかったのかい?」

「手がかりというか、襲撃者が砦の内部にいることはもうすでにご存じですよね」

「御存じだとも。私の家によくもまぁ、土足で入り込んでくれたもんだ」

 顔の皺を増やすように表情をゆがめる。

「それで、仮に辺境伯の誰かが敵と内通しているとして、彼らが襲撃者を隠す場所に何か心当たりはないかと思いまして」

「私がそのことに考えが及んでないとでも思ったのかい?」

「閣下が辺境伯たちを疑っているという事を知られたくないとおっしゃいました。なら、閣下の動かせる手駒が少ないのではないかと思いまして」

 タレンスが取り繕う様に言った言葉に、マシラは鼻で笑った。

「お気遣いどうも。まぁ、確かにいくつか心当たりはある」

「砦の内部にですか?」

「外部にはない。襲撃者の存在が知られてない時期ならともかく、すでに襲撃者が内部にいるってわかってんだから、下手に砦の外に出そうとしたら見つかっちまうよ」

 マシラはゆっくりと立ち上がり、暖炉の近くにおいた食器を盆に載せ、器用に机の方まで運んできた。

「お茶でも飲むかい?」

 ツツィーリエはマシラの方を見て頷いた。マシラはお茶を人数分用意すると、熱さへの注意を呼びかけながら渡していった。

「では心当たりはどこですか?」

「この砦は、各隊の居住スペースが大体決められてる。各辺境伯たちはその居住スペースの真ん中にこの砦の中の部屋を持ってんだ」

 マシラが紙に適当な四角を描いて、その内側に4つの円を描いた。

「自分の隊の人間に怪しまれるから、自室には隠せない。かといって他の隊のところに隠すのは論外だ。となると、襲撃者を隠すのは必然的にすべての隊が行きかう所だ」

 円で覆われていない部分をペンが走る。

「その中でも人気のない使うものが少ない廊下や部屋、逆に人が多すぎて把握しきれない場所なんかに隠すだろうね」

「じゃあ、明日そこら辺を見て回ります」

「もう白鹿隊の人間を何人かやって捜索してるよ」

 お茶をすすりながらマシラが言った。

「おぉ、早い…。それを見て回るのに、どれだけの時間が必要ですか」

「2日あったら問題ないだろうね」

「なら、すぐにでも襲撃者は見つかりますね」

「あぁ………そうだね」

 お茶を手に持ったままそういったマシラの表情は非常に暗い。

『どうされたんですか』

 ツツィーリエの文字を見たマシラが険しい表情でツツィーリエの方を見る。

「出来すぎだ」


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