奴隷の少女は公爵に拾われる 119
「失礼する………って、何だ。お前の部屋になんでこんなたくさん人がいるんだ、マーダック」
「僕が人気者だからかな。それより、これからの天気ってどうなりそう?」
部屋に入ってきたのは、割と小柄な若者だった。赤みの混じった濃い茶色の髪、白い肌に大きめの鼻、そして不機嫌そうな眉間のしわが特徴的だ。腰には剣を帯びているが、体格は周囲の兵士に比べると貧相で、お世辞にも強そうとはいえない。
「俺の見立てだが、この砦の周囲はおそらく数日は安定する。いつ崩れるかわからんが、でも吹雪に至ることはない」
「ありがとう、セルークル。ってことは、襲撃者が来るのはまたしばらく後ってことかな」
「わかるもんか。襲撃者が既に砦の中に入っているんだろ」
セルークルは眉間のしわをいっそう深くして、椅子に座っているツツィーリエやマーダックの方をみる。
「なんだ、もう知ってるんだ」
「砦中その話でいっぱいだ。ヤィルデルさんが襲撃を受けたのが今日で、今日はずっと快晴だ」
「まぁね。確かにそうなんだけど」
「ヤィルデルさんは、どこか切られたと聞いたんですが」
セルークルは心配そうな目でヤィルデルの方をみる。
「誰から聞いたのか知らんが、ずいぶん失礼な情報だな。たかだか一人の襲撃者の遅れを取るようなやわな者だと思われていたのか」
並の兵士よりも強靭な体躯をしたヤィルデルが、冗談まじりの口調ではあるが荒い鼻息で返答する。
「え?私が聞いたときは数人の襲撃者に襲われて命からがら逃げ出した、と聞いたのですが」
「噂がひどく大きな誤解を生んでいるようだな。私を襲撃したのは一人だし、不意の一撃の後、そいつははすぐに逃げていったぞ」
セルークルは少し混乱したように視線を泳がせる。
「まぁ、とりあえず今日中に情報の統合をした方が良さそうだね。正体のいない襲撃者の陰におびえるのはごめんだ」
「あぁ、そうだな。筆頭辺境伯閣下に連絡して、全体に情報を伝達してもらおう」
「その方が良いでしょうね」
そう言うと、セル―クルは何かを期待するような眼でヤィルデルの方を見た。
「ところで、ヤィルデルさん」
「ん?」
「ヤィルデルさん、気が変わりましたか?」
「何の気だ?」
「とぼけないでください!」
セルークルが怒ったように腕を大きく振る。
「ヤィルデルさんが直接襲われたんですよ?これはあちらからの立派な攻撃です。こちらが兵士を動かす明確な理由になりえるでしょ!」
ヤィルデルはその言葉に対して片眼を細める。
「前の会議でも言っただろ。こちらから軍を動かす事はしない」
「じゃあ、どうするんですか!?自分が襲撃されたんですよ?それでも何もしないっていうんですか?」
「襲撃者が私を襲ったのは、私が死ねばこの砦から軍が動く可能性が高くなるから、という理由からだろう。つまり、こちらから動けば相手の思うつぼだと言う事だ。そういう意図が感じられる以上、絶対にこちらからは動かん」
「そんなことでは意気地がないと言われてしまいますよ?」
「一向に構わん。私の面子がつぶれる事でこの砦に安全が保たれるならいくらでも潰してくれ」
ヤィルデルの言葉からは絶対に動かない意思が感じられた。その意思を感じたのか、セルークルも口を引き結び次の言葉を紡ごうとしない。
「母上もそう言っていただろ」
「だけど………」
「気持ちはわからんでもない。だが、絶対にこちらから動いてはならんのだ。そもそも襲撃者が北の国からの者とも限らん」
「そうに決まってます!」
「国境で大規模な紛争が発生して喜ぶのは北の国だけじゃない。この地域の力を削ぐことで第三勢力の介入を許すことにもなりかねんし、我々と北の国両方から利益を得ようとする者もいるだろう」
「戦争が起これば大きな商売が動くきっかけになるから、国富の貴族たちが関わってる可能性だってあるよね」
マーダックが頬杖を突きながら口を動かす。
「………」
「襲撃者の正体がわかるまで、こちらとしては必要以上に動いてはならん。これ以上こちらの犠牲を出さないように兵士には数人体制で動くように厳命するし、砦内にいるという事がわかっていればとらえるのだって時間の問題だ」
「………失礼します」
セルークルは唇を噛み締めながら部屋のドアの方を向く。そして、ドアの方に数歩歩いたところで、その背中に声が掛けられた。
「少しお待ちを、セルークル第四辺境伯閣下」
セルークルが振り返ると、長身のタレンスが立ち上がり声をかけていた。タレンスの近くには椅子から移動したツツィーリエがおり、タレンスに向けて何やら手を動かしていた。
「なんだ?」
不機嫌さを隠そうとしないセルークルの態度にモヌワが顔をしかめるが、ツツィーリエはまったく意に介した様子もなくタレンスに手を動かし続けている。
「あぁ………なるほど。セルークル閣下。少しお話を伺ってもよろしいですか?」
「忙しいんで、あまり時間を取りたくないな」
「簡単な質問をいくつかするだけですので」
タレンスがなだめるような笑顔を浮かべる。それに対してセルークルの表情には険しさが増した。
「なぜ、北の国との戦闘にこだわるんですか?」
タレンスの質問にセルークルは鼻で笑いながら答えた。
「目障りだからだ。小細工を弄しては、こちらを攻撃する機を怯えたウサギのように狙っている。地中の虫を見たときのような、嫌悪感が浮かんでくる。北の奴らがこの砦へ侵攻するための部隊くらい、俺たちの力を結集させれば捻り潰してやれるんだ。こちらが親切に待ってやる必要もない」
その返事を聞いたツツィーリエは、ペンを取り出しかけて、それを途中でやめタレンスに手を動かす。
「セルークル閣下。閣下は辺境伯になられてから何年ですか?」
それを見たタレンスが、通訳をするようにセルークルへ質問をした。
「2年だ。腰を悪くした父が、俺に地位を譲った。それがどうした」
「その間に、この地域で戦闘はありましたか?」
「ない。本格的な戦闘は、この地域があんたたちの国に併合されて少し経ったときのものが最後だ。だから、30年ほど前か。小競り合いを含めればそれなりにあるが、それでも数年前、あっちが中立地帯に小隊の拠点を作ろうとしたのが最後だ」
「それは小競り合いでは済まない気がするのですが」
「正確には小競り合いにすらなってない」
セルークルの顔に意地の悪い笑みが浮かんだ。
「拠点を建設しようとしていた奴らは、なぜかその拠点を離れて全員谷間に集結して、そしてなぜかその時、折悪くその谷間に数年分の雪が雪崩れてきたんだ。俺たちは一切軍隊を動かしていないことになってるし、ましてや中立地帯に軍隊を進めてなんかいないことになってる」
「では、実際の戦闘は起きていない」
「あぁ。剣を交えて血を流すような戦闘は、しばらく起こっていない」
「そうですか。最後に質問よろしいですか」
「なんだ」
「この砦内に侵入者がいることを、どうお思いでしょうか」
「不愉快極まりない。すぐにあぶりだして、報いを受けさせてやる」
セルークルの顔に赤みが増し、拳を握りしめて胸の前で殴り合わせた。
「ありがとうございます」
タレンスはそういうと、視線を下げてツツィーリエの手の動きを見る。一連のやり取りにセルークルは目を細めて眉間のしわを深くした。
「何の質問だったんだ」
「我々は閣下たちがどのようなお考えをお持ちなのか知りたいと考えています。辺境伯閣下たちの事をまだよく知りませんので。我々がこの部屋にいたのも、マーダック第三辺境伯閣下とお話がしたいと考えていたからでして」
セルークルはタレンスの言葉を聞いて眉間の皺を更に深める。
「麓の人間は、不愉快な喋り方をするもんだな」
「僕も元々は麓の人間だよ」
マーダックが窘めるように口をはさむ。
「マーダックはそういう性格なんだから仕方ない。山に生まれていたとしてもそんな喋り方だろうさ」
「随分ひどいことを言うね」
「だが、こいつらは何を考えてるのかわからん。俺は、お前らの事が好きになれそうにない」
それだけ言うと、セルークルは足早に部屋を出て行った。
「セルークルに白鯨隊から護衛を数人付けてあげて」
マーダックが後ろに控える兵士に指示をだす。
タレンスが苦笑いを浮かべながら言った。
「ずいぶんと、嫌われたようですね」
「申し訳ない。気にしないでやってくれ」
ヤィルデルは申し訳なさそうに頭を掻く。
「自分を曲げることを良しとしない性格も、若さも、良い方向に進めばとても良い青年なんだが、大分偏った意見の持ち主でね。気に入らないものは排除すれば良い、と思ってるところが玉に傷なんだ」
「そのうち丸くなるんじゃない?」
マーダックが机の上においた菓子を一粒口の放り込む。
「お前みたいに丸くなるのは考え物だがな」
「精神と肉体はつながってるのさ。肉体を丸くすれば、精神だっておのずと丸くなるさ」
「母上も言っていただろうが。肥りすぎだぞ」
「何言ってるのさ。こうやって太ってるのは、みんなのためでもあるんだよ?」
「なに?」
「こうやって僕が太れば、いざという時に非常食になれるじゃないか」
「ふざけた冗談はよせ」
マーダックが笑っていると、彼のもとに一枚の紙が差し出された。
『美味しいお肉になるには、脂身と筋肉が適度についてないとだめですよ』
マーダックが紙を差し出す少女の方を肉に埋もれた細い目を少し開いて見つめた。
『適度な運動が、美味しいお肉には欠かせません』
「ははははは。こりゃ参った。辛口な批評家がいらっしゃったみたいだ」
「いやいや、確かに公爵令嬢のいう事に間違いはないぞ。本気で兵士たちの肉になりたいなら、なおのことちゃんと動かないとな」
「僕を食べるくらいお腹減ってるんだったら、好き嫌いなく食べてよ」
椅子の背もたれに体重を預けながらマーダックが言った。




