奴隷の少女は公爵に拾われる 118
『セルークル閣下はいつごろ来られる予定ですか?』
「うーん、昼過ぎぐらいに天気の予報が固まりそうだから、はっきりしたことがわかってから行く、って言ってたよ。だから、もうちょっと時間かかるんじゃないかな」
『そうですか。では、ここで待たせていただきます』
「どうぞどうぞ。僕も古巣でどんなことが起こってるのか、結構興味があるんだ。ぜひ聞かせてほしい」
『マーダック閣下は元々国富の貴族の一人だったと、話を聞きました』
「正確には国富の貴族の跡取りの一人っていうだけで、貴族じゃない。うちの国の構造上、正式に跡取りと認められなければ貴族と言えないからね」
ツツィーリエは大きくうなづいた。
「公爵令嬢は話が違うさ。まだ初成人の儀を終えてないから正式には跡継ぎじゃないけど、ほぼ決定でしょ?周囲は御令嬢を貴族として扱うんじゃない?」
『余り外に出ないので。ですが、国富の公爵のパーティーに一度出たときは、色々声をかけられました』
「だろうね。そういう時に声をかけられるのは将来的に利益になりそうな人だけだし、令嬢はまさしくその一人だよ。僕はそういう立場に上ろうと頑張って、嫌気がさして逃げ出したんだけど」
マーダックは肩を竦めておどけたように唇を尖らせる。
「そんな僕が、国守の辺境伯の地位についてるっていうのも不思議な縁だよね」
「辺境伯の人事権が筆頭辺境伯にあると言っても、ずいぶん思い切った決定ですよね。周囲は反対しませんでしたか?」
その時まで黙っていたタレンスが話に加わった。
「いいや。周囲に反対する人はいなかったよ。反対してたのは僕だけ」
「そうだったな」
ヤィルデルが懐かしそうに目を細める。
「この山で筆頭辺境伯に逆らう人間はいないからな。お前が反対したところで、周囲が無理やりお前を第三辺境伯に押し上げる。その時のお前の顔、面白いったらなかったな」
「もういいけどね。なったものは仕方ないし。適当に周りをからかうのも楽しいし」
マーダックは目をツツィーリエに向け直す。
「僕の話よりも、公爵令嬢からの話を聞きたいな。汚職事件とか裏切りとかそこら辺のドロドロとしたところに興味があるのに、この山に関係がない情報はほとんど上がってこないんだ」
『ドロドロしたことが嫌だったのに、そういったことに興味はおありなんですか?』
「自分に関係ないことならいくらでも大歓迎さ」
マーダックは兵士の一人が持ってきたお茶を机の上に置く。
「御令嬢の耳に入ったことだけでも良いし、他の人も何か知っていたら教えてほしいな。そういう話を聞くたびに、僕はこの山が好きになる」
ツツィーリエやヤィルデル、タレンスやモヌワにもお茶が運ばれてくる。それと一緒に一口大に丸められたお菓子を持った兵士も現れる。
「そういう話でしたら、色々知っていますよ」
タレンスが嬉々として名乗り上げる。
「嬉しいな。じゃあ国富の貴族関連の汚職ってなんかない?」
「ありすぎて困ります。彼らは汚職の海でしか泳げない魚のようなものですから」
タレンスの言葉にマーダックがおかしそうに腹を揺らす。
「違いない。昔と何にも変わってないや」
「では、数年前の5の伯爵の汚職事件についてなんかはどうですか?」
「聞きたいな」
タレンスが身振りを交えながら、国富5の伯爵が起こした王族も絡んだ汚職事件について語りはじめる。
『お嬢、こんなところで落ち着いてていいんですか?』
モヌワがツツィーリエに小さく手話で伝える。
『いいんじゃない?そもそもあまり急いでるわけではないし』
『そうなんですが……』
『今のところわかってることもあんまりないし』
『やっぱり、話聞いただけでは』
『さっきマーダック閣下の話聞いたときは、アールネク閣下が怪しいかとも思ったけど、兵士が殺されたとき必ずしも彼がいるわけじゃなさそうだし』
『ヤィルデルは?』
『さぁ。彼に関しては、判断する情報があまりないのよ。さっき攻撃を受けたのだって、襲撃者にわざと襲撃させて疑いの目を向けさせないようにしてるだけかもしれないし』
ツツィーリエは一口お茶をすする。
『まぁ、気長にやりましょう。ここで私たちができることはあまり多くないもの』
『そんな呑気な。さっさと終わらせてさっさと帰りましょうよ』
『せっかちね。まぁ、確かに歓迎されてる雰囲気ではないんだけど』
ツツィーリエがお菓子に手を伸ばそうとしているのを止めて、モヌワが先にツツィーリエの皿に乗っているお菓子を食べる。モヌワが何もないことを確認してから、ツツィーリエがお茶請けのお菓子を口に含んだ。
『あら、モヌワ。このお菓子美味しいわよ』
『お嬢はそればっかりですね』
それはツツィーリエでも一口で口に含めるほどの大きさに丸められた固い菓子で、お茶と一緒に奥歯で噛み込みようやく砕けるものだ。奥歯で砕くと、わずかな辛みが混ざった品の良い塩気が口いっぱいに広がる。同時に爽やかな柑橘系の香りがお茶の香りに乗って鼻の奥に抜けていった。
『面白いお菓子ですね』
『ね。あまり家から出てこなかったけど、こういう知らないものを食べれるんだったら、そう悪くもないわね』
『血なまぐさい場所ですけどね』
『血なまぐささと食べ物の味には何の関係もないわ』
『お嬢がそういうならそれでいいんですけど』
モヌワはタレンスとマーダックがひたすら喋っているのを観察している。と、その視界の端でヤィルデルがツツィーリエとモヌワの方を見ていることに気付いた。
「なんだよ。なんでこっち見てんだよ」
「いや、さっきから手を動かしてるから、なんかの暗号なのかと思ったんだ」
ヤィルデルが、不愉快ではないがあまりよく思っていないような表情をしているのを見て、ツツィーリエが紙に文字を記す。
『手話です。普段から紙に書いて会話をすると紙がいくらあっても足りないのと、どうしてもワンテンポ遅れるのがわずらわしいので』
「だが、そちらの護衛官の方は喋れるのだろう。なら手話でなくても良いじゃないか」
『えぇ。ですが、どんな言語も聞くだけだと意思の疎通に支障をきたす場合があります。モヌワには定期的に手話を使うよう私がお願いしてるんです』
ヤィルデルが口ひげを少し乱暴に撫でる。
「それは失礼した。内緒話をされると、昔から相手を疑ってしまうんだ」
『お菓子がおいしいっていう話をしていたんですよ』
「それは良かった」
『あと誰が怪しいのか、相談していたんです。状況から見てあなたも怪しいですね、ヤィルデル閣下』
その文字を見て少し驚いたように目を見開いてツツィーリエの方を見ると、ツツィーリエの無表情な顔を見て苦笑した。
「なんともはや。年若いのに食えない人だ」
『買被りすぎですよ。私は正直に言っただけです』
ツツィーリエは口を湿らすようにお茶を含んだ。ヤィルデルもそれ以上何も言わず、ひたすらタレンスとマーダックが人の欲望の果てしなさについていろいろと議論しているのを黙って聞いていた。
「やっぱり、商売で必要以上に金を稼いでしまうとそのうち金が目的ではなく、手段になっちゃうんだよ。しかもたちが悪いことに、より多くの金を得るための手段になる。目標を達成する事が永久にできなくなる」
「というより、達成目標自体がなくなる感じよね。生きるために食べるのか、食べるために生きるのか、じゃないけど。胃袋みたいに限界があればいいけど、限界なく集めればどんなものだって腐ってきますよ。その腐敗が人や組織にも伝染するんですよね」
「しょうがないさ。金があろうがなかろうが、組織は腐敗するもんだ。人も腐るけど、個人だけなら死んでおしまいだ」
「焼いてしまえば死体も腐りませんね」
「まさにそれだ」
タレンスとマーダックはさもおかしそうに笑い合っていた。
「いやいや、とても面白い人だね。この山は僕にとって天国みたいなところなんだけど、いかんせんこういった会話ができる人が少なすぎる。みんな頭を使って書類仕事をするくらいなら、自分の体についた筋肉がいかに美しいかを競い合っているんだから」
「あら、筋肉は美しいものですよ。頼もしさの象徴と言ってもいいくらいだわ」
「ほう、ではうちの兵士たちはあなたの眼鏡にかないますかな」
「そうですね、非常に好ましいです。男は少し馬鹿なくらいがちょうどいいと思いません?」
「一緒に働く分には勘弁だね」
タレンスの口調が少し素に戻っていることにマーダックも気付いているだろうが、それについては触れられず楽しそうに会話が続いている。
と、そこに扉の外からノックの音が響いた。
「マーダック閣下。セルークル閣下がお見えです」
「ありがとう。中に入ってもらって」




