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奴隷の少女は公爵に拾われる 117

「これはこれはヤィルデル閣下に、ツツィーリエ公爵令嬢。こんな砦の端っこに何か用でも?」

 大きな部屋の中央に血色の好い丸々とした男が座っていた。目は頬の肉に押されて小さくなり、毛髪は剃りあげられている。表情は何か面白いことでも待っているかのように陽気で、目の前に書類の束が積み上げられているようには見えなかった。男が座っている目の前の机には男と同じぐらいどっしりとした書類の束が積み上げられ、しゃべりながらも彼の手に持たれたペンが動いて書類の処理をしていた。彼の周りには筋骨隆々とした男たちが数人、剣を帯びて立っていた。今は割とくつろいでいるように見えるが、それでも無意識のうちに周囲へ警戒するような目線を巡らせている。

「相変わらず、恐ろしい量の書類だな」

 その肥った男に話しかけている武人然とした男は、書類の束をほとんど恐怖の面持ちで見ている。その武人の脇には、まだ初成人を迎えていないであろう小さな少女が静かに立っていた。分厚い上着を着込み、顔を半分ほど寒さから庇うように隠しているが赤い瞳と黒い髪は非常に目立つ目印として人の印象に残る。

「この山の金勘定とか書類整理が、辺境伯としての僕の存在理由だからね。むしろ書類が全部片付いてしまったら、僕のかわいいお腹は兵士の食糧になってしまう」

 マーダックは自分の周りを囲む数人の兵士を冗談めかして指さして見せる。彼らはそのしぐさを見て苦笑するが、その表情には相手を嫌悪する色は見られない。

「マーダックはちゃんと部下に信頼されている。卑屈になりすぎだ」

「ははは。まぁ、こんなところで堂々巡りになることがわかっている議論をする必要はないよ。用事は何?」

 マーダックは書類の山を片付けて、脇に控えている兵士にその山を渡す。他の兵士は部屋の隅に置いてあった椅子を持ち上げて、ツツィーリエたちのところに置いて行った。

「ツツィーリエ公爵令嬢が、お前と話したいことがあるんだそうだ」

「へぇ、それは驚きだ。考えてもみなかった」

 ヤィルデルの言葉にマーダックが頬を揺らしながら肩を竦める。

「ふざけてる場合じゃない。良くない知らせもある」

「ヤィルデル閣下が侵入者に襲撃された件の事?それならもう知ってるよ」

 マーダックは机の脇に置いてあった数枚の書類をめくってヤィルデルに見せた。

「耳が早いな。どうやって情報を集めてるのか教えてほしいものだ」

「簡単な話だよ。みんなが剣を振る時間をほんの少しだけ、目と耳を開くことに割けばいいのさ。そうすれば、今日の晩御飯がなんなのかくらいならわかると思うよ」

 ヤィルデルはその言葉を無視して、マーダックが取り出した書類を指さす。

「何の書類だ?」

「予算の申請書。何をするにもお金がいるからね。とりあえず、配置を変えて護衛任務にあたる兵士たちの給金を計算して、それに必要な装備品を運ばないといけない。あ、そうだ。ヤィルデル閣下。襲撃にあった時に何か壊れたモノとかある?」

 ヤィルデルは何とも言えない表情でマーダックのふくよかな顔を見つめた。

「お前は、私が襲われたってことに何か感想はないのか?」

「何かけがをしたんなら考えるけど、見たところ僕よりも元気そうだね。うらやましいくらいだ。で、壊れたモノ無いの?今言わないと経費で落とさないよ」

 ヤィルデルは口を開きかけて、思いとどまったように黙って襲撃の受けた際に傷のついた鞘を剣ごとマーダックに渡す。

「へぇ、結構傷ついてるね。でも、これって鞘として使えなくなったの?」

「使えるぞ」

「じゃあ使ってよ」

 マーダックが鞘から剣を抜き差しする。

「使えなくなってたり使いにくくなってるんだったら考えるけど、使えるんだったら交換するのは金の無駄だ」

「装備品には金を惜しむなと言われてるはずだぞ、マーダック」

「無駄使いしろとは言われてないんだよ」

 マーダックはヤィルデルに剣を返却する。

「もう一回襲撃にあって剣が欠けたり鞘が破損したら予算を動かすよ」

 マーダックは予算の申請書を机の棚にしまうと、陽気な表情で身を乗り出す。

「それで、ツツィーリエ公爵令嬢殿からのお話とはなんでしょうか。」

『いくつか確認したいことがあるのと、マーダック閣下のご意見を聞きたいと思いまして』

「何なりとどうぞ」

 手のしぐさで先の話を促す。

『まず兵士が連続で殺されている事件についてですが、一番最初はマーダック閣下の白鯨隊の人間が被害にあわれたんですよね』

「えぇ」

 マーダックの表情が曇る。周辺の兵士の目にも険しさが増した。

「あれは、雪の強い日だったね。僕はいつもみたいに自分の居城で書類整理してた。で、巡回に行ってる兵士が戻ってこないっていう連絡を受けたから、隊を3つほどまとめて探索にあたらせたんだ。そしたら、城壁のすぐ近くで兵士が殺されてた」

 マーダックの手が止まる。

「その時、書類の受け取りにアールネク閣下がいてね。彼と一緒に周りの状況を調査してたんだ」

『アールネク閣下があなたの居城にいたんですか?』

「よくあることだよ。僕は辺境伯全体の書類の整理をしていたりするから、その書類を受け取りに来たり、あとはいろいろ助言を貰ったり助言をしたりするんだ」

『白鯨隊の人間がほかにも殺されたとき、あなたの居城には誰かいましたか?』

「………いろんな人がいたよ。最初の時はアールネク閣下だったけど、セルークルの時もあった。ヤィルデル閣下の時もあった」

 マーダックの表情に怪訝な色が浮かんだ。

「そんなこと聞いてどうするのさ」

『関連する情報をなるべく多く知りたいと思っています。私たちはここについて、書類以上のことを多く知りたい』

 ツツィーリエはまったく表情を変えることなく、赤い目をマーダックの細い目から離さない。

「………まぁ、正直雪が強い日にしか殺されてないよね。正直そこの理由がわからない」

『証拠が隠れやすいからではないんですか?』

「僕たちは雪の中で戦闘する訓練を受けてる。雪の中なら、普通の兵士相手なら数倍の人数がいても退けられるさ。それだけ、雪っていうのは僕たちにとって有利なものなんだ。にもかかわらず、敵は雪の中を攻撃してきて、それで兵士を殺している」

 ふくよかな顔に険しい表情を浮かべながら、机に肘をつく。

「まぁ、雪が降るのはここだけじゃないし、吹雪ってなったら視界も悪くて不意打ちも食らうだろうけどさ」

 マーダックはほとんど独り言のように喋っていた。

『最初の時の状況は、何か変なところはありましたか?』

「アールネク閣下が見つけた以上のことは僕には見つけられなかった。まぁ、僕は正直現場に出ての情報収集に関しては素人に毛が生えた程度の事しかわからないんだけどさ」

『あなたが感じたことでもいいので』

「そうだね………一方的に殺されてる。そんな印象を受けた。彼らはうちの隊の中でも著しく強いというわけでもないが、目に余るほど弱い、という事はない。そんな隊が出ないようにバランス良く配置がなされてるからね。だから、同程度の人数相手なら全滅することはあっても、一矢報いるくらいならできたはずなんだ。にもかかわらず、うちの隊の兵士の剣には敵の血ひとつついていない」

 マーダックは唸った。

「アールネク閣下も同じことを疑問に思ったようだったよ。よっぽど強い敵がいたのか、よっぽどうまく作戦を練っていたのか。正直僕は前者だと思ってる。何人も殺されていることを考えるとね」

「だが、俺が廊下で襲撃された時にはそこまで圧倒的な力量差を感じはしなかったぞ。むしろ正々堂々と戦えさえすれば、相手を殺さず捕獲することだってできたような気もした」

 ヤィルデルが腕を組んで話に加わる。

「数人いるんじゃないかな?攻撃してきたのは一人なんだろ?若いのが一人、先走ったとか」

「ずいぶんと統率がとれていないんだな」

「襲撃が始まって、それなりに日数がたってる。状況の変化とともに人の心も作戦も変わるさ。それに、若いのが先走るのは、どこでも同じだよ」

「セルークルか」

 ヤィルデルの表情に苦いものが走る。

「彼は何か具体的に先走った行動をしてるの?」

「護衛なしに山を歩き回ったり、隊を率いて山狩りをしていたりしている」

「危ないわね」

「本来ならあまり問題はないんだ。彼は山をよく知っているから、危険な場所へは決して行かないし、天気を読むのもうまい。だけど、一人ででも襲撃者を捕まえようとするのは大分危険だよね」

 ヤィルデルの目が少し泳ぐのを視界の端にとらえながらツツィーリエが紙に文字を記した。

『マーダック閣下は、砦内に襲撃者がいる件をどう思いますか』

「入っているものはどうしようもない。何らかのルートを見つけたんだろう。だが、彼らはもう袋の鼠だと考えるね。兵士だらけのこの状況、長くは潜伏できはしないさ」

 マーダックは割と楽観的な意見を言う。

「捕まえた後の処罰についてはいろいろ考えていることがあるけどね。僕は実際に戦場に出ることはあまりないし、兵士と一緒に訓練してるわけではないけど、それでも僕が管轄してる隊は僕の大事な部下だ。そんな彼らを殺した相手を、僕は許さない」

 言葉の芯から、彼の中に怒りの感情が満ち満ちていることが分かった。彼の周りの兵士も無言ではあるが、体中の筋肉が感情の高ぶりに応じて引き締められている。

『そうですか』

「僕は、あなたに期待しているんだ、ツツィーリエ公爵令嬢。あなたが何をするかというよりも、停滞したこの状況をかき回すことで何か得られることがあるかも、ってね」

『マシラ筆頭辺境伯閣下にも同じような事を言われたような気がします』

「まぁ、ゆっくりしていってよ。小腹がすいたなら色々食べ物も用意してるし。白鯨隊はお茶を入れるのも上手だよ」

「そんな時間はない。セルークルにまだ話を聞いていない」

「だろうね。でも、だったらなおさらここにいたほうが良い」

 ヤィルデルの困惑した顔を見たマーダックは、満足そうに口角を上げる。

「セルークルにこの砦近辺の天気予報を頼んでるんだ。そのうち、僕の部屋に顔を出してくれるはずさ」

「ほう、それは間が良い」

「間抜けじゃないからね、僕は。今日僕に用事がある人は、十中八九セルークルにも用事がある、って思ったからね。あらかじめ彼と僕とが一緒にいるようにしておいたんだ」

「ずいぶんと準備が良い」

「頭に筋肉が詰まってなければだれにだって思いつくことだよ」

「腹に贅肉が詰まっていてもか?」

「贅肉の方がましさ。僕はきっと筋肉が頭に悪影響を与える物質を出してるんじゃないかと思ってるんだ。ぜひ検証してみたいね」

「ここら辺の兵士全体を敵に回すぞ」

「問題ないよ。だって彼らはみんな自分だけは例外だって思ってるんだから」

 ヤィルデルが脅すような口調で言うのを、そよ風を感じているかのような爽やかな顔で受け流した。


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