奴隷の少女は公爵に拾われる 116
襲撃者の情報が広がるにつれて砦の中が一気に騒がしくなった。廊下からは先程まで見られた兵士の身の回りの世話をする人員がパタッと姿を消し、兵士たちは一定以上の人数で固まり周囲を警戒しながら走っている。
「情報が巡るのが早いですね。私たちが移動するよりも速いんじゃないですか?」
「噂とはそういうものだ。ましてや皆自分の命がかかっている。友が殺されたものも少なくない」
ヤィルデルの目にも強烈な精気が漲っているような鈍い光を放ち始めていた。
「だが、これで尻尾は見えた」
「彼らはこれまでもだいぶうまく隠れています。そうそう簡単には見つからないでしょ」
「時間があればあぶりさせるさ。敵は数人以上でいる兵士には攻撃してこない。常にそれを守っておけば敵も動きが取れない。それだけこちらに時間が与えられる」
「じゃあ、お嬢がここに来る意味なかったじゃないか。わざわざ危険な目にあってまで」
『それが一番いいわよ。本来は私が来ないほうが良いんだから』
「稽古場までもうすぐですよ」
「ありがとうございます」
辺りに活気の溢れる声が響いてきた。低い鬨の声と人が倒れる音、何か固いものがぶつかり合う音。興奮した人の流す濃い汗の匂いがツツィーリエたちの鼻に入ってくる。
汗だらけの兵士たちの会釈を適当に流しながら廊下を進むと、そこには大きな空間が広がっていた。石作りの天井は高く、発散された汗と熱気がその天井にたまっている。廊下から見て数段低くなっている所に、多くの兵士が模擬剣を持って相対し、自身の力を技量を競うべく歯をむき出しにしてそれを振るっていた。
その広い空間の中央に、一際目立つ一団が剣を交えていた。数人分の鋭い剣筋が一人の人間をとらえようと幾度となく振るわれているが、その殺気のこもった力はすべて空を切り逆に相手の攻撃を許すような形になっている。その攻撃をかいくぐって返される剣の鋭さは、その集団の中でも一等に鋭く的確だ。その集団が動き始めてから最後の人間の喉元に模擬剣が付きつけられるまでそう長くはかからなかった。
「ま、参った!」
突きつけられた兵士は模擬剣を捨て両手を上げる。
「ありがとうございました。やはりずっと書類仕事ばかりしていると、体が鈍ってしまいますね」
細い目の男が突きつけた剣を引き、少し苦味の混じった笑みを浮かべる。前髪が目にかかっている割と細身の体で、屈強な兵士相手に稽古するようにはとても見えない。だが、背筋が良く筋肉が体にみっしりとついているのがわかった。。
「よく言いますよ、アールネク閣下」
兵士が浮かべた笑いにはそれよりもさらに苦味が滲み出ていた。
「三人がかりでかすりもしないんですから」
「それは、その三人が白鹿隊の中でも若い衆だからでしょ。白鹿隊の人の中にはもっと強い人がいますよ」
「御謙遜を。白鹿隊の誰よりも閣下の剣が鋭いことはよく知られていることです」
「ははは。ずいぶん持ち上げてくれるね」
涼しい顔をしたアールネクが稽古場の入り口辺りから視線を投げかける集団に気が付いた。
「これは、ヤィルデルさん。あなたも稽古をしにいらしたのですか?」
アールネクは模擬剣を近くにいた兵士に渡すと、稽古場の階段をのぼっていった。
「そんな年齢でもないさ。それよりも大事な話がある」
ヤィルデルの目を見たアールネクは細い目をさらに細める。
「そちらの公爵令嬢殿からなにかお話でもあるのでしょうか」
「いいや、それもあるがもっと火急の要件もある」
ヤィルデルは自身の腰に下げた剣を鞘ごとアールネクに見せる。その鞘には先程の襲撃者が突き刺した剣の先端の跡がくっきりと残っている。
「ついさっき、廊下で何者かが殺意を持って襲ってきた」
アールネクの目が驚愕で見開かれる。
「ヤィルデルさんを!?」
「そうだ。そいつは兵士の格好をしていた」
「どこの隊の格好でしたか?」
「そこまで見ている余裕はなかった。すぐに逃げて行ったからな」
「いま襲撃者はどこに」
「分からん。兵士に後を追わせたが、おそらく捕まらんだろう」
アールネクの目が考え込むように細まる。
「つまり、いま襲撃者が砦の中にいるという事ですね。そして、彼らの標的が兵士から拡大していると」
「あぁ。アールネク殿は大丈夫だとは思うが、一応辺境伯全員に護衛を付けておくべきだ」
「そうですね。マーダックは常に護衛と一緒ですが、セルークルは護衛を付けていませんからね」
「そちらは任せていいか?」
「えぇ。かまいません。母上に関しては?」
「常に白鹿隊が警護している筈だ。そっちは大丈夫だろう」
「そうですね」
アールネクは少し安心したように息をつく。
「それと、公爵令嬢がアールネク殿に聞きたいことがあるという事だ」
ヤィルデルは自身の横で話を聞いていたツツィーリエに手を向ける。
「ツツィーリエ公爵令嬢殿。私でよければ何なりと」
『あなたの用事が終わってからで。砦の中に襲撃者がいるんだとしたら、色々やることがあるでしょうし』
「ありがとうございます。それでは少し時間をください」
アールネクは先程まで稽古をしていた三人の兵士を呼び寄せると、汗をかいている彼らに短く何かを伝え、指示を出す。彼らはその言葉を聞くと、一度だけ頷いてすぐに周囲の兵士を呼び寄せ、指揮を執り始めた。三人の兵士はそれぞれ兵士を率いてわかれる。
一つの兵団がツツィーリエ達に近寄ってくる。
「アールネク閣下。ヤィルデル第二辺境伯閣下、ツツィーリエ公爵令嬢を護衛させていただきます」
「ご苦労。私も一緒にいるよ」
白鹿隊の兵士がさっと敬礼をすると、後ろで控える兵士たちに指示を出して辺境伯たちを囲む様な陣形を組む。
「それで、私に聞きたいこととはなんでしょうか」
アールネクが横で見ていたツツィーリエの方に声をかける。
『後はよろしいのですか?』
「あぁ、大丈夫ですよ」
アールネクが警護している兵士の方をちらっと見る。
「砦内への情報の伝達と、不審者のあぶりだしは白鹿隊に頼みましたから」
『そうですか』
ツツィーリエはアールネクと同じ方向に視線を向けると、またすぐに視線を戻した。
『今日ここに来たのは、アールネク閣下にもう一度兵士たちの殺害状況をお聞きしたいのと、後はいろいろ意見を伺いたいと思いまして』
「私でよければいくらでも」
アールネクは柔らかく笑って見せる。
『タレンス、前の会議で言ってた兵士の殺害の件数とか、それぞれの殺害状況覚えてる?』
「えぇ、覚えてるわ」
『じゃあ、お願いして良い?』
「分かったわ。任せて」
タレンスがアールネクの方に近寄っていく。
「アールネク第一辺境伯閣下。公爵令嬢に代わって私が質問させていただきます。まずお尋ねしたいことは最初の―――」
「あぁ、その件でしたら、第三辺境伯砦の外壁、すぐの部分で―――――」
タレンスは最初の兵士殺害から一つ一つの件についてかなり詳細に尋ねていった。アールネクはその質問に対して、紙も見ず淀みなく答えていく。ツツィーリエはその質問と回答の応酬を、じっと観察するように眺めていた。周囲の兵士はその間周囲を警戒し続けて、モヌワとヤィルデルも周囲へ視線を配り続けている。
やがて、タレンスが困った様に顔を顰めた。
「んー。やっぱり実際見ないことには何とも言えない部分が多すぎますね」
「えぇ。これ以上兵士の犠牲が増えるのは望みませんが、相手が尻尾を出すのを待つしかない状況ですからね。ヤィルデルさんを襲ってくれたのはある意味良かったかもしれない」
「そりゃよかった」
ヤィルデルは冗談めかして肩を竦めた。
「もちろんヤィルデルさんが死んでたら最悪も最悪ですよ。北の国との戦争に歯止めがかけれなくなります」
アールネクはそういうと、目にかかる前髪を掻き上げた。
「いっそ、辺境伯が一人襲撃者に殺されたと、情報を流してみましょうか。好機とみてあちらから攻撃してくるかもしれない」
「襲撃者を捕まえてあっちに情報を流せなく出来れば、それもいい案かもしれませんね」
「確かに。襲撃者をどうにかするための方法では無いですね」
アールネクが困った様に微笑む。
『アールネク閣下。閣下は、襲撃者が砦の中にいる事をどう思いますか?』
ツツィーリエは割と唐突に質問を投げかけた。
「この砦はどこからでも入れるようなものではありません。入口は限られているし、そこには常に門番がいる。と言う事は、門番の目を盗んで入る事が出来る条件にあったという事でしょう」
アールネクは慎重に事を選びながら答えた。
『例えば、その条件とは』
「門番を眠らせるような薬を使ったり、注意を逸らす技術にたけているなど考えられますが………」
アールネクは言い淀むが、悲しそうな表情で先を続けた。
「内通者がいると言うのが、一番簡単な条件でしょう」
『そうですね。心当たりはおありですか?』
「ありません。兵士を殺してまで外の者と内通する理由が分からない」
アールネクが首を振る。
「とりあえず、私にできる事は今までの件と、今日の件から上がってくる情報を考える事だけです。公爵令嬢はどちらへ?」
『辺境伯全員の意見を聞きたいと思っています。なので、マーダック第3辺境伯の所へ行くつもりです』
「マーダックなら居場所を見つけるのは簡単ですね。彼は自室からあまり動きませんから」
アールネクは兵士の一人に合図をして、剣と剣帯を持って来させた。
「私は隊の方に行って、侵入者のあぶりだしが出来るかやってみましょう。護衛の兵士を数人お借りしますよ」
『どうぞ。あなたに死なれたら困りますから』
「私としても非常に困ります」
そう言ったアールネクは近くにいた兵士を手招きして稽古場の出口に向かう。
「ひとまずこの辺りで。またお会いしましょう」
アールネクは会釈しながら稽古場を後にした。ツツィーリエは彼が消えた方向をジッと見つめていたが、しばらくしてヤィルデルの方に目線を向ける。
『では、マーダック第三辺境伯の所まで案内してもらえますか?』
「もちろん。ここから少し歩きますよ」
『それなら、また襲撃があるかもしれませんね』
「そうしてくれるとむしろありがたい」
無意識なのか、剣の柄に手をかけて呼吸が荒くなる。ツツィーリエは特に何も感じた様子もなく紙に文字を書いた。
『それではお願いします』




