奴隷の少女は公爵に拾われる 112
椅子の上に座る老婆は小さく息をついた。
「………まぁ、ね。あんまり考えたくはないけど、アールネクが全く足掛かりをつかめてない以上、誰かがその襲撃者の手引きをしているのは間違いないだろうさ」
マシラは目をぎゅっと閉じて目の間を揉み込む。
『誰がその手引きをしているのかを父に判断させるつもりだったんですね』
「あぁ、そうだ」
「辺境伯の事はあんたが一番知ってるだろうに」
マシラは椅子からゆっくりと降りる。
「もちろん。私が一番知ってる。だからこそ、あの子たちがこの土地と私を裏切るとは思えないんだよ」
椅子から降りたマシラがツツィーリエの方に近づいてくる。
「私はガキの頃からあいつらを見てる。性格も嗜好もこだわりも全部知ってる。私に隠しごとをするような奴らじゃないんだ」
『じゃあ、襲撃者が独力で隠れおおせてると思っておいでですか?』
「いや。それもない。おそらく辺境伯の誰かが手引きをしているのは間違いないさ。でも、いくら考えても分からん。だから公爵に要請を出したんだ」
マシラは深いため息をつく。その歪んだ顔に浮かぶ表情は先程の会議では見せた事がないほど沈痛なものだった。
「私も年を取ったかね。大抵の事はこの目で見ればわかる、そう思ってたんだが……今や我が子同然に可愛がってる奴らの事すらも分からん」
ツツィーリエは特に表情を変えることなくマシラに近寄り、腰の曲がって自分より低い位置にある顔に文字を見せた。
『内通者の件について誰かと話しましたか?』
「いや。誰にも話してないよ。だけど気づいてるのもいる」
『誰ですか?』
「アールネクとヤィルデルだ。第一、第二辺境伯として他の二人より経験を積んでるからね。特にヤィルデルは確信してるよ。元々慎重なやつだが最近は特に慎重だ。軍勢を一つにまとめることへ強く反対してるのはそれが原因だろ」
『アールネク第一辺境伯は?』
「あの子も気づいてる。あの子は賢い子だ。次の筆頭辺境伯はあの子だしね」
「そうなんですか?」
「私には子供がいない。順当に行けば皆があの子を推すだろうよ」
マシラは目の光を鋭く尖らせる。
「私はいつか死ぬ。その時跡取り問題で仲違いが起きるようなことは絶対にできない。疑心暗鬼になって後々面倒なことになってもつまらん。私があの子たちを疑ってる、ってことはなるべく知られたくない」
『では、私が父に代わって色々調べます』
「ちょっと頼りない気もするがね。まぁ、そうしてもらえるとこっちとしてはありがたい」
『辺境伯のことをいろいろ、教えてもらえますか』
ツツィーリエはマシラの憎まれ口を無視して話を続けた。マシラは唸る様に返答すると、先程までアールネク第一辺境伯が座っていた席に指を向ける。
「あそこに座っていたのは、アールネク第一辺境伯。私の右腕といっても過言じゃない。頭の良さや機転の利きは辺境伯の中でも群を抜いてる」
『あなたよりも?』
「そりゃそうさ」
マシラはどことなく誇らしげに言った。
「あの子は元々この山の麓にいた貴族の子供だ。あんたらの国に麓の奴らが侵攻して、案の定返り討ちにあったあと、その戦闘に加担した者は全員処刑されてる。あの子の両親は、その処刑の対象になって殺された。アールネクは幼かったからね。周囲の取り成しもあって処刑からは何とか免れてるけど、貴族としての権利や財産はすべて剥奪されてる」
ツツィーリエの脇に控えていたタレンスが顔をしかめた。
「じゃあ、その処刑を断行した公爵様のことを恨んでるってわけね」
「いや、それはないだろ。あの子が大人になって麓の連中が始めた戦争の資料を見る機会があってね。あの子は、自分の父親の愚かさに呆然としてたよ」
マシラは肩を竦めた。
「なんでこんな勝ち目のない戦いを始めたんだろ、ってね」
「それはそうなんだけど…」
「あの子は意味のない復讐に駆られるほど弱い人間じゃない」
マシラはきっぱりと言い切った。
「私があの子に会ったのは、色々面倒事が終わって久しぶりに麓に降りたときだ。住んでた家も土地も全部没収されて着の身着のままに追い出されてた所を丁度見かけてね。路頭に迷わせるのも忍びなかったから山に連れてきたんだ。私のことを母上って言い始めたのも、あの子が最初だよ」
『その彼について他に何かありますか?』
「他ね。まぁ、何をやらせても一通り完璧にこなす奴だ。剣術も勉強も兵法もね。多少謙虚になりすぎて卑屈に見える面もあるけど」
『他の人は?』
「ヤィルデルは私に次いで古株だね。麓の人間が戦闘をおっぱじめた時には、この山の実質的な防衛任務の一端を任されてた。あいつはいろんなことに頭が回る分、慎重でね。裏を返せば積極性に欠けるってことだ。その性格が抜けないから、私はあいつを次の筆頭辺境伯にできない」
「それを恨んでたりってことは?」
タレンスがマシラに尋ねると、マシラは鼻で笑う。
「それはないわな。あいつは、自分が先頭に立つのに向いてない性格だって自覚してる。筆頭辺境伯になることが私の寵愛を受ける一番の方法だって勘違いするほど馬鹿でもないしね」
「口ではどういってもどう思ってるかわかりませんよ?男は権力に執着する生き物ですから」
「本心ではなりたいかもね。まぁ、あの子は年配のおっさん辺りには人望が厚いんだが、若い奴らにいまいち人気がない。慎重な年寄りってのは若者に好かれないからね」
「若者に人望がない…」
「嫌われてるわけじゃないんだ。尊敬はされてるよ。ただまぁ、立場上血気盛んな若い衆を抑える事が多いからね。煙たがられもする」
「血気盛んな若者というと、セルークル第4辺境伯あたりですか?」
「そうなる。血の気の多い連中とあの子は年齢も近い。何よりセルークル自身がそういう連中を先導する位過激な考え方をしてるからね」
マシラが苦笑いをして見せる。
「あの子は元々山を領地にしていた貴族でね。生まれも育ちもこの山だ。それだけ山の気候や地形に詳しい。後、天候に関する勘が良い。よっぽど変な気候にならない限りかなり正確な気候の予測をするよ。今度見せてもらうと良い」
「でも、かなり血の気が多いというか、周りが見えない所がありますよね」
「あぁ。あの子は山とそこに住んでる人の事が大好きでね。その愛が暴走してるのが見て貰った通りさ。この地域への愛が、外部勢力の排斥と高くなりすぎた自尊心に繋がってる」
『マーダック第三辺境伯はどういう人ですか?』
「あいつは几帳面で、あんまり外に出たがらない。実際の行動より書類と向き合ってそれを処理する方が好きな奴さ」
「彼はこの件についてどういう考えを持ってるんですか?」
「どちらかと言えばヤィルデル寄りの思想を持ってる。こちらから事を構える事はしたくないだろうよ。ただ、あいつの所の部隊が殺されたのがこの件の発端になってるからね。怒りはしてるよ」
「あいつだけ、なんか体型が違ってたな。なんか理由でもあるのか?」
「体型が違うって、モヌワ何言ってるの?」
「太ってるとかそういう事もあるけどな。ただあいつだけ剣術とかの武術をやってないように見えた。なんか理由があるのか?」
モヌワの質問にマシラは素直に応える。
「良く気付くもんだね。あの子は、あんたの国から逃げてきたんだ。もとは国富の貴族の三男坊だよ」
「へぇ……山に養子にでも出されたのか?」
「養子じゃない。あいつが跡取り争いに嫌気がさしてこっちに来たんだ。金勘定とか情報の整理とかそういうのに重宝するし、何より耳が早い。こっちから頼んで第3辺境伯をやってもらってる」
「ここへの忠誠心が低いってことじゃないのか?」
「まぁ、山への愛着はあんまりないだろうね。だけど、その分あの子はここにいる山の人間が好きだね。あの子の境遇を昔聞いた事があるけど、だいぶ昔はぎすぎすしてたみたいだ。あの子曰く、ここの人間は人間らしくて好きらしいよ」
「人間らしい、ね。国富の貴族ってのはそんなに人間離れしてるのかね」
「少なくともあんたには合わないわよ、モヌワ」
モヌワはタレンスの言葉に大きく肩を竦める。
「そりゃそうだ。私は難しい金勘定はできん」
「そんな性格でよく傭兵なんかやってこれたわね」
その質問にモヌワが淀みなく答える。
「簡単だ。相手がこっちを騙そうとしたり契約違反の行動をしてきたら、相手の頭をぶん殴って財布から有り金を奪って逃げるんだ」
モヌワが手を広げてにやっと笑って見せた。
「物事は単純なのが一番」
『分かりやすいわね』
「あ、お嬢。真似しちゃだめですよ。お嬢は私みたいな物騒な事しなくてもいいんですから」
「軍の指導者がそんなことする必要あるわけないだろ」
モヌワの言葉にマシラがあきれたような口調で口をはさむ。
「そりゃそうだ」
「騙そうとしてきたら、部下に人質に取らせて全財産を奪ってから皆殺し」
さも当然のように歪んだ顔から言い放った。
「それが正しい軍隊的金勘定ってもんさ」
「正しいもへったくれもないわね」
「騙そうとする方が悪い」
マシラはそこまで言うと、疲れたように息を吐いた。
「さすがに一日中山を歩くと体がだるいよ。少し寝る。あんたたちも適当に休みな。とりあえず何かしら事態が動くまでは待ちの姿勢を崩すつもりはない。いつ何があるのかわからないけど、その間に色々調べておくれ。この砦の中なら自由に動けるように言っとくから」
『ありがとうございます』
マシラは扉を開け、扉を守る衛兵に声をかける。
「公爵令嬢たちは長旅で疲れてる。公爵令嬢たちを部屋に案内しな」
衛兵は勢いよく敬礼すると、きびきびとした口調でツツィーリエたちに声をかけた。
「こちらへどうぞ、公爵令嬢閣下」
「閣下じゃないよ。貴族じゃないんだから」
「はいっ!………公爵令嬢殿、こちらです」
衛兵は一瞬迷った後無難に言い直してから三人を先導するべく歩き出した。
「じゃあ頼んだよ」
マシラが三人に声をかけると、歪んだ体を器用に動かして廊下を反対方向に進んでいった。ツツィーリエたちが振り返ると、もう一人の衛兵が慌てたようにマシラを追いかけていた。




