奴隷の少女は公爵に拾われる 109
「…わかったよ。納得した。まぁ、こんな寒い所で話しするのもなんだ。ちょっと歩くけど私の家に案内するよ」
『ありがとうございます』
ツツィーリエが微かに膝を折って会釈する。
「よーし、あんたらよく聞きな!」
マシラは体格からは想像もできないくらい良く通る声でその場にいる全員にきびきびと指示を出していった。
「白鹿隊はこのまま公爵令嬢の一行を護衛!隊列は縦列変則形式で中央要塞に移動するよ。一人先行して現在の状況を中央要塞に報告しに行っておくれ。セルークル、あんたは白熊隊の数人だけ連れて私の指揮下に入りな」
「母上!?それではこの地域の防衛が」
「白熊隊の指揮系統は副指令に引き継いで部下に任せな。それくらいできるだろ」
「ですが――」
「他の辺境伯も全員中央要塞に呼んでんだ」
「こ、こんな時にそんなことしたら、防衛線維持に支障をきたしてしまいます!」
「辺境伯がいなくたって機能するように兵士の訓練させてんだ。それにこのままじゃ埒が明かない。その為に公爵の名代が来てんだ。黙って従いな」
セルークルは唇を引き結んで言葉を紡ぐのを堪える。
「私たちが隊列を整えて出発するまでに指揮系統を移しな、いいね?」
マシラがセルークルに顎をしゃくる。セルークルは一瞬ためらうがすぐに敬礼して部下たちが集まるテントに向かって走って行った。
「白鹿隊、とっと隊列を組みな」
辺境伯の精鋭は流れるように辺境伯を中心とした隊列を組み始める。
「さて、セルークルが来たら行くよ、ツツィーリエ公爵令嬢」
ツツィーリエは無言で会釈する。
「モヌワ護衛官、あんたはまだ体力充分あるね」
「当然だろ」
モヌワは訝しげな表情で腰の曲がった老婆を見下ろす。
「じゃあお嬢ちゃんをそのでかい体で背負ってやんな」
『必要ありません』
ツツィーリエが手早く紙に文字を書いて見せる。マシラはその文字を一瞥するとツツィーリエの顔を青い目で見上げる。
「私の眼が節穴だと思ったら大間違いだ。公爵邸からこの山のふもと過ぎまで馬車で来たんだろ?慣れてない旅は体力を削る。それに山道をそれなりに歩いて、セールともやり合って最終的には魔法を使ってるんだ。年齢と体格を考えてもここから中央要塞までの道を歩き続けるなんて出来やしないよ、大人しく私に忠告に従って護衛官の背中で休むんだ」
ツツィーリエは何か反論しようと手を動かそうとする。だが、マシラの眼の光を見てその動きを止める。
「賭けてもいいがね、私の見立てだとあんたはここから要塞までの道を半分も行けやしない」
そう言ってツツィーリエを見つめるマシラの瞳からは尋常ではない引力を感じられた。ただでさえ深みのある青い瞳の奥から無尽蔵に光が溢れ、輝く海の水面の様な様相を呈している。
「どうせ背負われるんだから、今ここで部下を頼りな。時間の無駄だ」
ツツィーリエはしばらく体の動きを止め、遠くに見える雪の山を見て、上に続く山道を見上げた。
「お嬢…確かに山道をこれ以上歩くのは難しいですよ。私なら別に問題ないですし、お嬢を守りやすいです」
モヌワがツツィーリエと目線を合わせるように体を屈める。ツツィーリエはモヌワの方をじっと見ると、小さく頷いた。
「どうぞ」
モヌワは自らの上着を脱ぐと、ツツィーリエに背中を差し出した。少女は荷物を置くと、自身の体の数倍はあるモヌワの背中に上り、首に腕を回した。モヌワがそれを確認すると、ツツィーリエを覆うように上着を着込み、ツツィーリエの荷物を持って立ち上がる。
「何かあったら肩叩いてくださいね」
分厚いモヌワの上着の下からツツィーリエがうなづく。
「ここからしばらく歩いたら中央要塞だ。夜が明けるまでには付くと思うがね」
「わかりました」
タレンスがマシラの言葉に返答した。
「あと、なかなか急で悪いんだけど太陽がしっかりと顔を見せたら辺境伯の会議を始める」
マシラの目がツツィーリエの方に向く。
「客人の体調に気を使ってられる様な余裕がないんでね」
『道すがら話を聞きます』
「やなこった。あんたはしっかり休むんだね。後ろにいるあんたの補佐に必要なことは伝えるからうちの要塞についたらそこで聞きな」
ツツィーリエが何か書こうと体を動かすが、それを遮ってタレンスが言葉を発した。
「わかりました。ツツィーリエちゃんもそれでいいわよね」
タレンスは口でこう言いながらツツィーリエに向けて手を動かす。
『ツツィーリエちゃんは休んでて。私がわかりやすく話を噛み砕いておくから』
そういわれたツツィーリエはしばらく体をもぞもぞさせていたが、タレンスの心配そうな顔を見て体の動きを止め、小さく頷いてモヌワの背中に体を沈めた。
ツツィーリエたちの動きを見ていたマシラは、ほんの少し目を細める。だが、セルークルの声が聞こえて表情が変わった。
「筆頭辺境伯閣下、準備が整いました」
「御苦労だね。今から何かあったとしても私の指示に従うんだ。いいね」
「もちろんです」
「よし。じゃあ、出発だ」
マシラは顎をしゃくって自身の周囲を固める兵士たちに指示を出す。白いローブの精鋭はその指示に静かに従い、雪の中を力強い足取りで進み始めた。ツツィーリエはモヌワの背中で揺られながら文字を記してモヌワに見せる。
『重くない?』
「全然重くないですよ。羽みたいに軽いです」
その返答を聞くとモヌワの肩のあたりに頭を乗せて小さく息を吐いた。
「お嬢があと10人いたって背負えそうです。あ、でもお嬢が10人もいたら幸せで死んでしまうかもしれない」
『それは困るわ』
モヌワはワハハと笑って、周囲の兵士の目線を感じて声量を落とす。
「お嬢こそ大丈夫ですか?寒くないですか?」
そういってツツィーリエの方を向くモヌワに小さく頷くと、モヌワに見えるように手を動かした。
『暖かいわ』
「そうですか」
モヌワの背中の筋肉が動くたびに服越しにも熱が伝わってくる。ツツィーリエの上からはモヌワの上着が毛布のようにかかり、雪山にいるとは思えない温かさでツツィーリエを包んでいた。
「お嬢、寝てて大丈夫ですよ。着いたら起こしますか――――」
とモヌワが言いながらツツィーリエを横目で確認する。そこにはすでに目を閉じて小さい寝息を立てている少女の顔があった。
「――――もう寝てる」
「まぁ、ツツィーリエちゃんは初成人前の女の子だもんね。私たちとは体力が違うのに頑張ってたもの」
「お嬢ちゃんは寝たのかい?」
ツツィーリエの寝顔を覗くモヌワとタレンスに、前を行くマシラが声をかける。
「えぇ、寝ています」
「ったく。あんたらお嬢ちゃんに遠慮してるのか知らんけど、無理やりにでも休ませてやんな」
マシラの目が厳しさを増して、モヌワとタレンスに向かう。
「この子は公爵の若造にそっくりだよ。力づくで休ませないと死ぬまで走り続けるんだ」
「肝に銘じます」
タレンスがそういうと、マシラは顔をゆがめて唾を吐き捨てた。
「そういうやつに限って少しずつこういう子に頼っていくんだ。まぁ、今はいい。先に今の状況についてあんたに説明しとくよ。お嬢ちゃんが起きたら噛み砕いて説明してやんな」
マシラとタレンスは雪の中を行軍する兵士の足音とツツィーリエの微かな寝息を耳にしながら言葉を交わして歩き続ける。ツツィーリエは大きな背中の上で、外の言葉どころか夢すら近寄れない深い眠りについていた。




