奴隷の少女は公爵に拾われる 104
「宿に着くで。身支度してくんな」
御者が声をかける。そう言われると、ツツィーリエは自身の鞄の中に読んでいた書類を丁寧に入れて行く。モヌワは特に何もしなかったが、タレンスはピンクの上着を脱ぐと大きなフードの付いたローブを鞄から引っ張り出してきた。
『寒いの?』
「いいえ。一応顔は隠しておかないとね。大丈夫だとは思うけど、道中で1の侯爵の耳に私の存在が入ったら面倒な事になるし」
めんどくさそうに口角を下げる。
「これじゃおしゃれも出来やしない」
その言葉で思い出したのか、ツツィーリエは前髪についている小さなピンを取るとタレンスに渡した。
「いいのよ。ツツィーリエちゃんが持ってて。今私使わないし」
「私より髪が短いのに何で髪留めなんか持ってんだよ」
「レディの嗜みよ」
「色々突っ込みどころはあるけど黙っとく」
「親切にどうも」
タレンスは地味なローブをしっかり着こむと、顔を目深に被ったフードで隠した。ツツィーリエはその様子を特に何もせずにぼーっと眺めていたが、モヌワがツツィーリエの鞄から上着を取り出して丁寧に肩からかぶせた。
「お嬢、寒いんですからしっかり着てください」
『馬車から宿までの間でしょ?すぐじゃない』
「すぐでも、体を冷やしたらだめです」
ツツィーリエはそれ以上何も云わず分厚い革の上着を着込んだ。
「あ、そう言えばここの辺りでもう一枚上着買わないとね。北の山はこことは比べ物にならない位寒いから」
「私は山用の上着を持ってる」
「あんたの体に合う上着なんかそこらへんで売ってるわけないでしょ。ツツィーリエちゃんのよ」
『これ以上着るの?もう肩が詰まりかけて動きづらいんだけど』
「山の寒さをなめたらだめよ」
タレンスは脅かす様にフードの中から目を光らせた。
「3の侯爵の所の若い子に買って来てもらいましょ」
『なんか悪いわ』
「遠慮なんかしたら彼らの方が恐縮しちゃうわよ」
馬車の速度が中にいても分かるくらい落ち始めた。車輪の軸が軋む音が微かに聞こえる。気づくと周囲の雑踏が遠くなり、代わりに寂しげな鳥の声が聞こえてきた。
「着いたで」
御者は馬車の中に声をかけると、御者台から身軽に飛び降りて馬車の扉を開ける。馬車は軒下に小さな鳥の看板が掛けられている大きな建物の前につけていた。まず最初にモヌワがヌッと身を乗り出して馬車から降り、ツツィーリエが下りてくるのを待つ。が、突然ツツィーリエが馬車から降りようとするのを手で制してモヌワが後ろを振り向いた。
建物の扉を細く開けてからこちらを覗く青年の姿が確認できる。モヌワの明らかに警戒した視線に気づいたのか、その青年は扉を大きく開けゆっくりと馬車に近づいて来た。
金の巻き毛が特徴的な青年だ。大きな青い瞳に小さな鼻、白い肌をしていて彼の動きや仕草は非常に柔らかく女性に見えるほどではないが中性的な印象を受ける。モヌワの射殺しそうな視線にも平然として近づいてくる辺りには外観に見合わない芯の強さがうかがえた。
「こんにちは。ようこそ、雲雀亭へ。私は3の侯爵のもとで雑務を任されていますワメラと申します」
「あら、ワメラ君じゃない!?あなたが来てるなんて思わなかったわ」
馬車の中からタレンスが大きな声を上げる。その声を聴いたワメラは笑みを少し深めると、上目づかいで唇に指を一本立てた。
「お久しぶりです。でも声が大きいですよ」
「あら、ごめんなさい。でも久しぶりね。ワメラ君が来るなんて思わなかったわ」
「最重要の課題ということで、今やってる案件を放り投げてこちらに来ました」
ワメラは微かに含みのある笑顔を浮かべる。
「外は冷えます。この雲雀亭は3の侯爵様が管理している宿ですから安心してください」
ワメラは建物の中へゆっくりとはいっていった。
「あれは誰だ」
ツツィーリエが馬車から出るのを手伝いながら、モヌワが不審げに建物の方を見る。
「彼は、まぁ3の侯爵の右腕みたいなものよ。3の侯爵の主業務から離れた情報収集に関する補佐をしてるの」
タレンスは上機嫌に喋りながら馬車から降りた。
「彼、細く見えるでしょ?でも結構筋肉がついてて、いい感じなのよ」
「筋肉がついてるのはわかったが、外観が気に食わんな。もっと無骨な外観の方が私は好みだ」
「あら、あんたも男性の好みとかあるのね」
「当たり前だ。私をなんだと思ってる」
「ここではとても言えないわ」
「殴られたいのか」
「ツツィーリエちゃんが冷えちゃうわ。早く入りましょ」
そういうと、タレンスは心なしか弾んだ足取りで建物の中に入っていく。モヌワはそれを見送りながらツツィーリエの鞄を持とうとした。が、ツツィーリエは黙って首を横に振って自分で鞄を持ち上げようとする。
「重いでしょ?持ちますよ」
『私が持つわ』
「でもお嬢、動きづらいでしょ」
『私が動きづらくても何とかなるけど、いざって時にモヌワが動けなかったら誰が私を守ってくれるの?』
ツツィーリエが荷物を持とうと身を屈めていたモヌワの目をまっすぐ見ながら手を動かす。
「それは……失礼しました」
モヌワは何かの感情を伝えようと見つめる赤い瞳に縛られて視線を逸らすことができなかった。
『お父さんもいないし、モヌワが私を守ってくれるんでしょ』
ツツィーリエは動かないモヌワの顔に指を近づけてモヌワの鼻を摘まむ。
『お願いね』
ツツィーリエは小さな笑みをモヌワに向けると、自分の荷物を持ち上げて宿の扉に向かって歩く。モヌワは言葉を忘れたように口をパクパクさせていたが、ツツィーリエが自分で扉を開けようとしていることに気付いて声を上げながらツツィーリエを追いかけて行った。




