奴隷の少女は公爵に拾われる 103
かなり広い街だ。石畳で舗装された広い道にはごみなどが落ちておらず、かなり活気のある人の行き交いがある。荷物を積んだ幌馬車や荷車、旅人らしく背中に荷物を背負った人の姿もあった。店の軒差には商品が整然と並べられ、店から呼び込みの声が絶えず飛び交う。公爵たちが住む街との違いは僅かに見られる発音の違いと、建物の高さくらいだ。活気は勝るとも劣らないものがある。
そんな街の中に一台の馬車がゆっくりと道に沿った進路を取っていた。年配の御者の指示に従う馬は大人しく、人の活気に惑わされることなくゆっくりと町の中心部から少し離れた道に向かって進む。特に特徴のある馬車では無いが、その馬車の扉に梟をモチーフにした紋章が付けられている事がはっきりと分かった。馬車は夕陽になりかける前の太陽を目の端に移しながら進んでいる。
「もうちょっとで宿に着くで」
御者は馬車の中にいる人に声をかけた。その声に応じて小窓から顔が覗いた。
「ずいぶんと早いな」
小窓が小さいからかその顔がやけに大きく見える。金色の狼の様な眼が特徴的な顔だ。どすの利いたしっかりとした声色で御者の声に返答する。
「余裕のある行程で行くって言ったろ?」
「まぁな。これくらいの方がお嬢も休めて良い」
「休憩は結構入れたがね。小さい娘さんはびっくりするくらい体力がない時があるから怖いんだわ」
「ん?お嬢くらいの年齢の女の子を乗せる機会があんのか?」
「そりゃあるとも。3の侯爵様には御令嬢と御令息がいるんだから」
「へぇ。あのおっさんだいぶ貧相だったけど家族居るのか」
「おっさんとは随分だね」
御者が苦笑しながら馬の速度を徐々に緩める
「わしはそこまで気にしないが、宿に先行してる3の侯爵さまの配下の若いのにはそんな風に言わないでくれよ」
「若い奴ってのは気にするのか?」
「まぁね。3の侯爵さまは部下に慕われているからの」
「人はみかけによらんな」
「3の侯爵さまは部下に優しいっていうので有名なんだ。それに困っとる人を見過ごせん性格でね。下で働いてる者は閣下に対して1つや2つでは効かん恩があるわ。中には昔に路地裏で野たれ死にかけている所を助けられたっていう若いのもおるな」
「なるほど」
小窓から出ていた顔が中に引っ込んだ。
「いやはや、いい主って言うのは何よりもいいものですね、お嬢」
引っこんだ顔はどことなく嬉しそうな表情で、隣に座っている少女に声をかける。無邪気な表情は子供のようだったが、その体格は馬車が小さく見える程のものだ。腕も体も脚も、どれも鍛え上げられた筋肉が唸りを上げる。胸のふくらみと顔の造作からその筋肉の持ち主が女性であることが分かるが、腕の金属の腕輪意外には特に目立つ装飾品はつけておらず錆びた血の色をした髪の毛は短くして逆立つように立っている。
『そう?』
声をかけられた少女は窓から入る光を反射する赤い目で見上げながら、声を出す代わりに手を動かした。全体的に人というより丹精込めて作られた人形の様な少女だ。年齢は初成人前だろうか。細身な体を幾重にも服で覆い、肩には暖かそうな肩かけをしている。黒い髪はまっすぐ伸ばし、下を向いた時に目の下に流れて来る前髪を小さな花飾りがついたピンで留めていた。
「もちろんですよ。私は今幸せです」
『それはよかったわ』
そっけないともいえる位にさらっと手を動かすと、書類の方に目を戻す。が、すぐに目を上げて眼元を抑えた。僅かに顔をしかめながら目の周りを揉むようにマッサージをする。
「お嬢、大丈夫ですか?」
『大丈夫。ちょっと疲れただけよ』
「馬車の中で小さい文字読むのって結構疲れるものね。無理しちゃだめよ、ツツィーリエちゃん」
その向かい側で余裕の表情で何か文字を記している男が少女に声をかけた。男は可愛らしいピンクの上着を羽織っているが、分厚い胸板に骨太の体格、微かに骨ばった顔をしている。眉毛はどことなく長く、僅かに顔に化粧をしているのがしっかりと見ればわかるだろうか。髪はかなり短く刈り込み、幾何学模様が浮き上がるように地肌が見えるくらいの刈り込みが頭髪全体に施されている。
「続きは宿でご飯食べた後にしましょ」
そう言いながら、書き物の区切りがついたように紙を軽く叩いた。
「ツツィーリエちゃんの書類を読む効率が良くて助かるわ。あんまり遅かったらどうしようかと思ってたの」
「あんまりお嬢に無理させるなよ、タレンス。馬車酔いだけじゃない。うす暗い所であんな細かい文字読んでたら目を悪くするぞ」
「あら、でもちゃんと知っておかないと困るのはツツィーリエちゃんよ」
タレンスは読んでいた書類を手早く自分の大きな鞄の中にしまって行く。
「それにあれだけ全部読んで覚えても実際に協議するには情報が圧倒的に足りてないんだもの。ツツィーリエちゃんが喋れなくてかえって良かったかもしれない。私が代わりに喋れるから多少ごまかせるし」
「お前からぼろが出るかも知れんがな」
「大いにあり得るわ」
タレンスは眉を大げさに上げながら肩を竦めた。
「相手は北の防衛を何十年と任されてきた人たちだもの。私も北の国境地域には殆ど行ったことないから知識があるだけであんまり分からないわ」
「なんだそりゃ。手抜きしてんじゃねぇぞ」
「こっちも今後の人生かかってんのよ。手抜きなんかするもんですか」
顔をしかめながらモヌワを睨みつける。
「知識だけって言ってもとりあえず過去にあそこでどんな戦闘があったのかについて書類に乗ってる所は隅から隅まで把握してんのよ。何とかするわ」
タレンスは自身の膝に肘を乗せ、少し唇を尖らせて馬車の内部に目を巡らせ始めた。




