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奴隷の少女は公爵に拾われる 102

 冷たい空気を纏った光の中馬車が着実な動きで前進していく。馬の動きに合わせて馬の鼻から白い息が立ち昇っていた。道はしっかり踏み固められた土で作られており、その幅は大きな馬車が行きかっても十分なほどに広い。遠くまで見える光景の中では球菜が寒さに凍えるように自身を葉でくるんでいる姿が大きく広がり、道のすぐ脇には一定の距離で小さな石を積み重ねた標識のようなものが作られている。

 馬車の中でモヌワは暇そうにそんな変わり映えのない外を眺めていたが、耐えかねたのか馬車の進行方向に作られた御者の見える窓を開けた。年配の御者は頭の後ろで窓が開く気配に気づいて横目で後ろを確認する。

「おっと、失礼」

「いえいえ。構わんよ」

 御者は小窓から見える巨大な女の顔に驚くこともせず軽く笑って前方に意識を戻す。

 はるか前方に見える巨大な頂は、雲の首飾りをしてこちらを見下ろし続けている。街を出てからだいぶ進んだはずだが、その山ははるか遠くに見えるだけで距離が縮まったように見えない。白い山肌はまるで刃のように鋭く、近づくものを拒絶しているように見える。

「あれがこれから行く北の山か?」

 モヌワの言葉を聞くと御者はおかしそうに笑った。

「これから5日かかるような場所にある山が今から見えとったら、それは山じゃない。蜃気楼だ」

 モヌワは笑われたことに少しムッとしながら前方に見える山を指す。

「じゃあ、あれはなんて山なんだ」

「あの山はいろんな呼び方をされとるよ。”偉大な守り神の住まう山”だとか、”悪魔を生む山”だとかね。でも、わしにしてみればあの山はただのでかい山だ」

「ずいぶん適当なおっさんだな」

「よく言われるよ」

 御者はからからと笑って小さく手綱をふるう。

「あんたも、あの山ほどじゃないがずいぶんとでかいね。馬車に熊が乗り込むのかと思ったよ」

「誰が熊だ。私はお嬢の護衛だ」

「3の侯爵さまから聞いてるよ。あんたに守られてれば何が来たって安心だ。暴れ馬だって力づくで抑えるだろうさ」

 ふんとモヌワはその言葉を鼻で笑う。

「まぁ、道中はあんたの仕事はあんまりないさ。多少遠回りになってでも安全な道を行くようにって言われてるからね」

「何が起こるかわからん。それに安全な道だろうと徒党と組んだ賊がいる可能性は常にある」

「3の侯爵さまはなるべくその可能性を減らすように手を打ってらっしゃる」

「護衛でもは密かについてんのか?」

「それもしてるかもしらんね。まぁ、でもそういうやり方はどちらかと言えば1,2の侯爵たちのやりかただよ。3の侯爵様はもうちょっと凝ったやり方をされる」

 御者は緩やかにカーブした道を自分で曲がって行く馬を褒めるように手綱を揺らした。

「馬車を襲うには人と武器が必要だわ。ましてやほれ、襲う馬車に国守3の侯爵の紋章がついてるならなおさらの。つまり近辺の人や物の情報に目を凝らしてりゃ、自ずとタイミングがわかるってもんだ。確か3の侯爵の若いもんが経路に先行して要所要所にいるはずだわ」

 モヌワは小窓から覗いた顔に少し残念そうな顔を浮かべて頷いた。

「じゃあ、私の雄姿をお嬢に見てもらう機会はないわけだ」

「護衛が危険を望んでちゃ世話無いや」

「全くだな」

「そのお嬢様は、今何しておられるんだい?」

「難しそうな書類を読んでるよ」

「書類?へぇ」

 前を見ながら眉を上げた。

「文字の小さいあれかい?」

「まぁそれだ」

「じゃあ、早めに休憩しよう」

「……何の関係があるんだ」

 御者はキョトンとした顔でモヌワを振り返った。

「馬車の中で文字よんでりゃ、馬車酔いするで。なったことねぇのか?」

「ん、いや……確かに」

 モヌワは自身の隣にいるツツィーリエの方を見た。すでに数枚の書類を脇に退け、新しい書類を読んでいるところだ。

「あんまり馬車とか頻繁にのらねぇだろ?適当なとこで休憩するから任せときな」

「あんたはそういうことになれてんのか?」

「わしは小難しいもんは読まないがね。いつも3の侯爵さまが馬車の中で読まれてるから、なんとなくわかるさ」

 そのまましばらく、馬車は車輪の回転する小気味よい音と共に進んでいった。街から離れるにしたがって畑の数は減り、道の脇には疎らな林が広がり始める。

「ちょっと揺れるよ」

 御者がそういうと巨大な山に近づくほどに濃くなる気配を見せていた林を避け、周りを迂回するように進路を取った。そちらの道はそれほど大きな道ではないが、森の中に通じる道より車輪の数が少ない分人の数が多くなっている。その道に入ってすぐに小さな川の流れる音が聞こえてきた。

「別に森の中に入っても大丈夫だとは思うがね。一応見通しが悪い所は避けるわ」

「大丈夫なのか?」

 モヌワがまた小窓から顔をのぞかせる。

「大丈夫大丈夫。かなり余裕持って予定組んでるからよ」

 御者は手をひらひらと振って見せる。モヌワは首元を少し掻きながら馬車の中に顔を戻す。

「お嬢、大丈夫ですか?馬車酔いしてません?」

『馬車酔い?』

 ツツィーリエは少し顔を上げてモヌワの方を見た。

「馬車とか船とか、揺れる乗り物に乗ってるとたまに気分が悪くなったりするんですよ」

『あぁ…それでちょっと吐き気がするのかしら』

「え!?大丈夫ですか?御者に言って止めさせますけど」

『別にほっとけば治るわよ』

「もうちょっとしたら馬車止めるから待ってくれや」

 外からモヌワの声に反応した御者が声をかけてきた。

『大丈夫だ、って言ってちょうだい』

「いいえ、どうせ長く馬車に乗るんですから少しずつ休憩しながらにしましょう。御者は割と休憩を頻繁にとるって言ってますし」

『別にいいのに』

 ツツィーリエは持ってる書類をぴらぴらさせながらモヌワの方に片手で意思を伝えた。

「それにそのうちお昼の時間になります。お腹がすいたら集中できないですよ」

 ツツィーリエは小さく息を吐くと、今までに読んでいた書類を軽く読み返し始めた。

「旅は長いわよ、ツツィーリエちゃん。家で過ごす5日と馬車で移動する5日は早さが全然違うもの」

 向かい側で同じく書類を読んでいたタレンスは、肩に手を当てて首元を解しいていた。

「それにせっかくだし、観光というわけにはいかないけど外の景色もゆっくり見ましょ。書類を読み進めながらになるけど」

『このあたりって大きめの町以外何かあったかしら』

「ツツィーリエちゃん、あんまり外でないでしょ?」

 タレンスの言葉にツツィーリエは首をかしげる。

『何か関係あるの?』

「おおありよぉ。見るべきものがあるかどうかなんて愚問にもほどがあるもの」

 タレンスは指を振りながら謎めいた笑いを浮かべる。

「地図とか書類ではわからないことの方が多いのよ。行ったことのない場所っていうだけで見る価値があるわ。特に外で実際に感じるとね。見るっていうより全身で感じる方が重要よ」

 ツツィーリエの視線が自然と外の光景に移る。片手側にまばらに木が生え、時折吹く強い風にあおられて木の枝が揺れていた。川の流れる音が風に乗って聞こえてくるがその姿はまだ見えない。どちらかと言えば殺風景な景観が広がっている。

『楽しみね』

 ツツィーリエは表情を変えずにそう手を動かすと、書類に目を戻した。

「お前もいいこと言うんだな」

 モヌワがタレンスを見ながら言う。

「そうよ。私は良いことしか言わないの」

「調子乗んな。お前あれだろ、私は嘘をついたことがありません、とか臆面もなく言う類の人間だろ」

「もしそういうことをいう機会があるのだとしたら堂々と言うでしょうね。ウソっていうのは胸を張ってつくものよ」

「お前を育てた奴の顔が見てみたい」

「造りはだいぶこの顔に似てるわよ」

 モヌワは睨むようにタレンスの顔を見つめる。タレンスの方はその視線など微風ほども気に留めず、涼しい顔で書類を読み進めていた。

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