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奴隷の少女は公爵に拾われる 100

 いつもはあまり人気の無い廊下に人が歩く音が多くこだまする。足音は3種類。一番前を歩く細い少女の両脇を固めるように大きな体が展開し、3者3様の歩き方を見せていた。

 一番前の少女には殆ど表情と呼べるものが無く、赤い瞳とまっすぐ流れる黒髪が彼女の印象を人と言うよりも人形じみたものにしている。持っている鞄が重いのかよろめきこそしないが頻繁に持つ手を右から左に変えている。

 その右脇にいるのは3人の中でもっとも体が大きく、もっとも荷物が少ない女だ。頭は少女の遥か頭上にあり、体つきと全身を覆っている筋肉から彼女が戦士として彼女の脇にいる事が窺える。肩に最低限の衣服を入れた袋を掛けいかにも旅慣れた様子だ。その女は少女が鞄の持ち手を入れ替える度、心配そうに少女の方に顔を向け、数回に一度はその鞄を持つと進言しているようだがそれはことごとく拒否されている。

 最後の3人目も筋骨隆々と言える様な体格だが、彼が持っている荷物から反対側の女の様な戦士ではないどちらかと言えば文官のような役割を持っている事が分かる。先頭の少女が簡単に入りそうな大きな革の鞄に車輪をつけ、木製の取っ手を引っ張りながら移動させていた。刈り込んだ頭を撫でながら書類を持ち、少女と大女の様子を横目で観察している。

 3人がしばらく歩いていると廊下が開けた場所に続き、天井の高い玄関ホールに到着した。殺風景に広い石作りのホールにあまり使われた形跡の無いシャンデリアが天井からぶら下がっている。玄関近くには古びた甲冑が数体立っているだけで飾り気がない。

 これがこの国の筆頭貴族の一人で国防、治安維持を司る国守の公爵の邸宅と言って誰が信じるだろうか。

「公爵さま。お嬢様が来られましたよ」

 玄関の扉の近くに立っていた老執事が甲冑を眺めていた壮年の男に声をかけた。

 執事は隙無く燕尾服を着こなし、白い髪を丁寧に後ろに撫でつけ同じ色の口髭を丁寧に整えている。周囲の状況を逐一観察し自分の取るべき行動を把握しながらも挙動不審に見えない落ち着きがあった。

「ん?あぁ、本当だ」

 声を掛けられて振り返った男もそれなりに年齢を重ねた男だ。背筋はピンと伸び年齢を感じさせないが、顔には皺が目立っている。白髪交じりの銀髪を後ろで一つにまとめ、色素の薄い灰色の瞳で近づいてくる少女の方を向いた。

 少女の方も男の方に気付き顔を向ける。

「ツィル。用意はできた?」

 少女は無言で頷くと、手に持った荷物を掲げた。

「それで大丈夫かい?忘れ物はない?」

 少女は再度頷く。

「路銀は渡したけど、タレンスとモヌワも持ってる。道中は3の侯爵の馬車だから心配しなくてもいいと思うけどね」

 少女は鞄の内袋に入れた小袋を小さく取り出して、すぐにしまった。

「北の山はここよりもとても寒い。寝るときは暖かくするんだよ。辺境伯たちは癖者ぞろいだからね。体調は万全にしておくんだ」

 少女は小さく頷いた。

「………………」

 公爵は少女の方を見たまましばらく口を閉ざす。少女も公爵を見たままじっと動かない。

「………体調には気をつけるんだよ」

『それはさっき聞いたわ』

「そうだね」

 公爵は自分の言葉に苦笑する。

「…まぁとりあえず何か失敗しても私が最終的には何とかするから。あまり心配しないで行きなさい」

『ありがとう』

「お礼を言うのはこっちだ。本当は私が行くべき所だし」

『でも、北に行くように言ったのは私のため、っていう所もあるんでしょ?』

「まぁね。経験を積むのはとても大事だから」

 公爵は頭を小さく掻いた。その玄関ホールに向かって邸宅の奥の方から走ってくる女性の姿が見えた。

「あぁ、良かった。間に合ったわ」

 ふくよかな体の女性だ。髪を上にひっ詰めてきびきびとした雰囲気を纏っている。農民風の出で立ちで見るものに安心感を与える強い母親という印象を受ける。

「マーサ。そんなに急いでどうしたんだい?」

「いえ、折角だしお弁当を持って行ってもらおうと思って」

 マーサが持っているのは、腕いっぱいの大きさのバスケットだ。旅行鞄よりも大きい。そこからはいろんな食べ物が集まった時独特の不思議な食欲をそそる匂いが漂ってくる。

「作りすぎちゃいました」

 その量を見て、刈り込んだ頭の男が驚いたように目を開いた。

「あら、マーサさん。こんなに作ったら北の山までもっちゃいそうよ」

「タレンス、大きくなったわねぇ。私の髪の白髪も増える訳だわ」

 マーサは大きなバスケットを少女の脇にいる女に渡してから髪を触る。

「でも大丈夫よ。この量なら2日も立てばなくなっちゃうから」

「そこの大女が食べるんですね」

「いーえ、モヌワも食べるけどそれよりツツィーリエお嬢様がもっと食べるんじゃないかしら」

「また御冗談を」

「ははは。冗談だとしたらおかしいわね。お嬢様、つまみ食いは駄目ですよ」

 そう言われたツツィーリエの体が硬直する。丁度、モヌワが抱えていたバスケットの蓋を開けようと手を伸ばしていた所だった。

「初めての長旅なんですから。ちゃんと食事の時間は決めて、ちゃんと取らないとだめです。つまみ食いなんかしないように」

 ツツィーリエは肩を竦めてバスケットから身を引く。

「忘れ物はないですね。生水は飲まないようにしてくださいよ。お腹壊したらできる事も出来なくなりますからね」

 ツツィーリエは無表情に頷いた。

「まぁ、今なんだかんだ言っても仕方ないですから。決まったことですし、バーっと行ってバーっと解決してバーっと戻ってきてください。美味しいご飯作って待ってますから」

 ツツィーリエがその言葉を聞いて、ほんの僅かに表情を緩める。玄関の扉を少し開けて外を見ていたラトが声をかけた。

「お嬢様。3の侯爵の馬車が来ました」

 玄関前の者が全員顔を見合わせた。

「じゃあ、行きましょうか」

 タレンスが扉の方に向かう。

「タレンス。娘を頼むよ」

「任せてちょうだい、閣下。ツツィーリエちゃんがへましてもフォローするわよ」

 タレンスは自分の分厚い胸板に拳をあてて笑って見せる。公爵はそれを見て小さく頷いた。

「モヌワも。ツィルを頼むよ」

「言われるまでもない」

 モヌワはフンと鼻息を荒げると、大きなバスケットを抱えて進んで行った。

「ツィルも。気をつけるんだよ」

 ツツィーリエは頷きながら手を振って見せる。そのまま無言で扉の方に向かって行った。公爵とラト、マーサはその姿を何とも言えない表情で見守っている。

 と、公爵が何かを思い出したように声を上げ、ツツィーリエの方に駆け寄った。

「ツィル、ツィル。忘れてた。待って」

 ツツィーリエが公爵の言葉に振り替える。荷物の重さに振り回されて少し体がよろけるのを公爵が支えた。

「ツィル」

 と、公爵はツツィーリエを手招きして体をかがませると、耳打ちしながら誰にも見えないように何やらごそごそとし始めた。

「閣下ったら内緒話だなんてやらしいわ」

 タレンスは少し冗談めかして言ってみるが、公爵もツツィーリエも真剣な顔で会話をしている。

「いいかい?任せるよ」

 ツツィーリエは目の奥にしっかりとした光を湛えて頷いた。

「じゃあ、行っておいで」

 公爵はツツィーリエの手をしっかりと握って、それからゆっくり立ち上がった。ツツィーリエは何事もなかったように扉の方に向かい、思い出したように残る三人に向かって手を振った。3人が手を振り返したのを確認すると、モヌワが開けている扉をくぐり、邸宅の外に出る。ラトがそれを追って扉の外に出ると、ゆっくりと扉が動き始めた。

 大きな扉が重厚な音を立ててぴったりと閉まる。玄関ホールにその音がやけに響いた。

「………門まで見送らなくていいんですか?」

「別にいいよ。あまり引きとめても悪い」

 公爵は肩をすくめて見せた。

「でも、お嬢様が長期間この家を空けるのって初めてですね」

「マーサは料理を作る量が減ってさみしいだろ」

「それはもちろん」

 マーサはむしろ心配そうに公爵の方を見る。

「でも公爵さまの方がさみしいでしょ?」

「そうだね。さみしいかな。でも必要な事だ。いつまでも私がいる訳じゃない」

「そうですね…私たちも年を取るわけですよ」

 しみじみとマーサが言った。しばらくして外から見送りを終えたラトが帰って来る。

「お嬢様たちは無事に出発されました」

「ありがとう」

「そう言えば、出発間際にお嬢様と内緒話をされていましたが、あれはなんだったんですか?」

「内緒」

 公爵が肩に手を当てて凝りをほぐす様に首を回す。

「ラト、これから少し忙しくなるよ。とりあえず、1,2の侯爵君に伝令しないといけない事があるからね。1の男爵君を呼んで来てくれるかい?」

「あと数刻したら来られるようにお願いしてございます」

「ありがとう。その間に文面を考えないと」

「じゃあ、私は洗濯してきちゃいます」

 マーサはパタパタと走って邸宅の奥の方に向かって行った。公爵とラトは何か話し合いながら足早に公爵の執務室の方に向かう。

「――――――よろしかったんですか?」

「なにが?」

 その途中、廊下でラトが心配そうに少し表情を曇らせて言った。

「お嬢様に行っていただいてもよろしかったんですか、という事です」

「ラトらしくないね。もう行ってしまったし、私がここを動けないのはどうしようもない」

「いえ、それもそうなのですが……北の山は公爵さまにとって特別な場所ですし」

「特別、と言えば特別だけどね」

 公爵が遠くを見るように目を細める。

「昔の話だよ。個人的にはもう二度と行きたいくない位なんだ」

 その表情のまま続けた。

「生まれ故郷なんてね」

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