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4. 謎を解く『鍵』


「わかんないわ、南。これが文字ってどういうこと? 一筆書きで書くとつながるとか?」

「ちがうわよ。時計よ、時計」

「時計? あの、時刻を表す時計?」

「当たり前でしょ。他にどんな時計があるのよ」

「腹時計とか……」

「えーっと、私の謎解きはこうよ!」


 南が、最後の美里の言葉は聞かなかったことにして、謎解きを始めた。


「デジタル世代の私たちに、こんなアナログな問題を出すとは恐れ入ったわね……。まずは、『4時0分30秒 』よ。これを学校の校舎にあるような、三本針のアナログ時計で想像してみて。文字にならない?」

「あ、もしかしてカタカナの『ト』ですか?」


 そう言ったのは、先日の練習中にボールに持つところがないと苦情を申し立てた、ひなだった。ソフトボールへの情熱はあまりないが、頭の回転は速いらしい。


「ピンポーン、正解。同じように、『1時40分30秒』は……」

「わかった、『イ』ね!」


 下級生に負けじと、現代国語のノートにでかでかと時計の絵を書き込んだ美里が叫んだ。その笑顔には、ソフトボールの守備でファインプレーをしたかの如き、キラキラした輝きがあった。


「うん、正解。同じような考えで全部解読してつなげると……」

「『トイレノトノフへ』? 『フへ』って何よ、良くわかんないわ」

「それってミサト先輩、『うえ』ってことじゃないんでしょうか。出題者としては、ちょっと苦しい気もしますけど……鼻でも詰まってたんでしょうかね」

「あはは! 鼻のことはわからないけど、さすが頭の回転の速い、ひなね。多分そのとおりだと私も思う。なにせ、時計の針で表せる文字は限られてるし……」

「そうか――ってことはつまり『トイレの戸の上』ってことね! やった、これで一件落着!」


 そう言って海のタコが酢を飲んでしまったかのような妙な動きで躍り回る美里の背中に、南のクールな言葉が突き刺さる。


「んもう、本当にミサトは単純なんだから……。まだひとつ、重要な問題が残ってるじゃない」

「そうですよね、先輩。この真鍮の『鍵』のことですよね」

「その通り。確かに見た目は普通の鍵だけど、本当は扉を開けるための鍵ではなくて、謎を解くための鍵なのかも知れないって思ったの」

「え、え、どういうこと? ミナミ、哲学者にでもなったの? 言ってること難しくてわかんない」


 今度は美加と香までもが溜息を吐き、美里を諭すように言った。


「つまりね、この真鍮の鍵も暗号の一つ、ってこと」「はい、そうですよ」

「鍵が暗号? あ、そういうことか……」


 やっとのことで席に落ち着いた美里は腕を組み、今度は右に左に首を捻り始めた。まったくもって忙しないJC(女子中学生)である。


「とすればさあ、この鍵はどこかのトイレかを示すってことにならない? だって、トイレの戸といっても学校にはいくつかトイレがある訳だし」

「そうよ、副部長。珍しく冴えてるわね。私もそう思うわ」

「お、またもやお褒めに預かり恐縮です、部長」

「そう思っていただけてこちらも恐縮です、副部長」


 と、そのとき叫んだのは、やはり一年生のひなだった。


「これって八分音符の形に似てますよね! つまりは、音楽室ってことじゃないかしら」

「おほう、ひなちゃん天才!」


 そうおだてる美里の横で、南が首を横に振る。


「私も一瞬そう思った。けど、音楽室にトイレはない」

「あ、そうかあ」


 一々、喜怒哀楽を示す美里に溜息を洩らした南の瞳に、突然、ひと筋の光が射す。


「ねえ、もしかしてさ、音符じゃなくてこれも文字だとしたら――どう?」

「あ! 『エフ』? 確かにアルファベットのFに見えるわ」

「そうよ。そしてFが示す意味、それはFloorフロアー、つまりは『階』よね。ひとつのFで『1F』だから、場所は一階のトイレ。もちろんこれは私たち女子ソフトボール部への謎なんだから、女子トイレに限定されるわ!」

「そうか、そうよね。これで謎は解けた。早速、レッツゴーよ!」


 こういうときだけは素早い動きを示す副キャプテンの美里を先頭に、五人の中学生女子たちが部室を飛び出していった。



 ☆



 やがて、一階の女子トイレ前に息を荒くして立ちどまった五人。

 首をもたげて、すぐに入口の戸の上を見始めた。


「きっと、ここだわ!」


 戸を開けてトイレの中へと進んだ美里が、戸のすぐ上の天井を指差した。

 南たちもぞろぞろと入り見上げると、確かにその場所の天井板には切込みのようなものがあり、すぐに外れそうな感じがする。

 即座に美里は、一年のひなに部室へ行ってバットを持ってくるよう頼んだ。数分後、息せき切って再び現れたひなの手には金色に光る金属バットがあった。


「じゃあ、つついてみるわよ」


 美里がそれらしき天井板をバットで突く。

 すると板は簡単に外れ、そこに現れた三十センチ四方ほどの穴から“持つところの無いボール”が大量に降り注ぎ、美里の頭を直撃したのである。


「あだだだ!」


 美里の髪の毛がボールからはがれ落ちた土にまみれて茶色になる。

 床に転がり回るソフトボールを眺めながら、なんでも笑いになる年頃の女子たちはボールに負けじとばかり、笑い転げた。もちろんそれは廊下の床の上で、だが――。


「これにて、一件落着!」


 そろそろ笑いを収めようと涙目のキャプテンが宣言したとき、遠くでその様子を見ていた人間が学校の廊下中に響くほどの舌打ちをした。それは、南に女子マネージャーになれと誘っていたサッカー部の平野勇気だった。


「ち、見つかっちゃったか……。これではマネージャーは当分……」


 そのとき、彼の背後に近づく人影がひとつ。

 ソフトボール部顧問の河野の影だった。相変わらずのだらしないジャージ姿で無精髭を目立たせていたものの、その眼にはいつもと違い、鋭く光るものがある。


「だめだぞぉ、平野君。ボールを隠すなんていうイタズラしちゃあ――って言いたいところだけど、君はただ彼女たちのことが気になってここに来ただけなんだよね。

 ――ですよね、そこの柱の陰にいらっしゃる斎藤先生?」


 河野が見遣った先の柱の向こうの景色が、ゆらり、揺らいだ気がした。


「その通りです。ぼ、ぼくは見てただけで、何にもしてません!」

「そうか。じゃあ、行って良し」

「し、失礼します!」


 平野が去った後、柱の裏から姿を現したのは果たして生徒会顧問の斎藤だった。

 彼女はまるでモデルのような美しいフォルムで歩きながら、河野の目前、3mのところで彼と対峙した。


「いけませんね、斎藤先生。教師が、あまり生徒を困らせるものではありませんよ」

「いえ、そんな……。何のことでしょう、私には先生の仰ってる意味が解りませんわ」

「ほう、あくまでもそう言い張りますか……まあ、いいでしょう。私は、この学校では“適当”な人物として通っています。今回の件は、私が彼女たち可愛さに仕掛けたイタズラってことで処理しときますよ」

「ふん……。どうぞ、お好きに」


 長い黒髪をなびかせながら、廊下をゆっくりと去って行く斎藤。

 それを厳しい目付きで見送っていた河野だったが、不意に柔和な笑顔に変わったかと思うと、未だトイレの床に散らばるソフトボールを集めることに奮闘する教え子たちを手伝いに走った。


「キャー、河野先生の変態! 何処に入って来てるんですか!」

「あ、ちがうちがう。ただ君達を手伝おうとしてだな――」

「いいからあっち行っててください! 校長先生、呼びますよ」

「すまんすまん。とにかく出るから許してぇ」


 その日、久しぶりの練習ではしゃぐ女子ソフトボール部の面々の姿がグラウンドにあったことは、言うまでもない。

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