5
僕はぼんやりとしてしまって、朝練後の着替えが遅くなってしまった。
一時間目が始まるギリギリに教室に入ると、曲花が大きな袋を持っているのが目に入った。
「ぬいぐるみあげる!」
「あー、ありがとー! かわいい!」
「よかった!」
「あ、でも毎回もらってると申し訳ないから、これからは自分でも作ろかっなって。最近作り方マスターしたの!」
「えー、すごい! 誰に教えてもらったの?」
「先週は、丸野君に教えてもらって〜、この前は棚田くん!」
「あ、そうなんだ」
曲花がじろりと僕の方を見た。
精神的に踏まれている気がする。
僕はだけど目を離さず、曲花の表情を、じっと見ていた。
授業中、今日も今日とて曲花と僕の間に特に事務的な会話以外は生まれない。
だけど、僕はこの十分休みに、少しだけアクションを起こしてみようと思う。
「なあ、曲花……」
「なに?」
「ここちょっと、縫ってみてくれない?」
「は? なんで? めんどくさいし、やめとく」
「そうか」
僕は出していたフェルトを引っ込めた。
正直、昨日の怒り狂い度合いから言って、もっと強くはね返されると思っていた。
はね返されるべきだったと思う。
だけど、少し動揺していたのだ。曲花は。
おそらくだけど、曲花は、裁縫はそんなに得意ではない。
きっと曲花が時々配っているぬいぐるみは、全部、お姉さんが作ったものだ。
それを、曲花は、クラスの人にあげる。
それはなんのためか?
素直に考えていいはずだ。
つまりは、お姉さんが喜ぶのだ。作ったぬいぐるみをもらってくれる人がいると。
曲花は、きっとお姉さんの喜ぶ顔が見たくて、だからぬいぐるみをこれからも配りたくて。
きっと、ぬいぐるみ作りを教える存在である、ぬいぐるみ部や、僕のことが邪魔で仕方がないのだ。
そういうことだと予想する。
だから僕はもう一度、曲花に話しかけた。
「曲花が持ってきたぬいぐるみ、もらってもいい?」
「……いいけど。あんた、同情してんの?」
「……」
「言い方からして、私が作ったんじゃないって、思ってんでしょ」
たしかに、僕は「曲花が作ったぬいぐるみ」ではなく、「曲花が持ってきたぬいぐるみ」と言った。
「まあ……」
「なんでそう思ったのかは知らないけど。気にしないことにする。そもそもほんとに欲しいと思ってないなら、別に貰わなくていいから」
「そうか。じゃあほんとに欲しい」
「嘘ね」
「めんどくさいなあ」
「……」
「僕だってぬいぐるみ作っててさ、だからすごい参考にしたいんだよ。今犬のぬいぐるみ作るのにハマってるんだ。この前投げ返されたトイプードルのぬいぐるみ見たよな?」
「じゃあ、犬のぬいぐるみが欲しいのね」
「そうだな、欲しい」
「犬のぬいぐるみは、この中にはないからお姉ちゃんにたの……じゃなかった、作ってやるから気長に待ってなさい!」
「はい」
僕は少しだけ笑って返事をした。
それから、三日がたった。
この三日はすこしだけ、曲花の感じ悪さが減った気がしていた。
だから、僕は、なんとなくほっとしていたのだが。
六時間目が終わって、HRが始まるまでみんなだらだらする時間。
その時間に、僕は、曲花に階段のところまで連れていかれた。
「はい」
「お、ぬいぐるみか。ありがとう」
曲花は、茶色の袋を渡してくれた。
僕が開けようとすると、
「あ、開けないで。家帰ったら開けなさい」
「あ、そうなの。わかった」
僕は言われた通りにしようと思ったが、少し不思議だった。
曲花は、ぬいぐるみをもらって人が喜んでいるのを、お姉さんに伝えることがしたいのだと思っていた。
というか今でもそうだと思っている。
だったら、なぜ、僕に家に帰るまで開けるなというのか。
それが謎だと思う。
しかし、曲花の目が真剣だったし、また関係が悪化したら嫌なので、僕は包みを開けずに、教室に戻ったらすぐ自分のカバンに入れた。
サッカー部の練習が終わって、そして家に帰るともう夜の七時半である。
すぐにお風呂に入りたいところだけど、僕は気になっていたので、先に、包みを開けることにした。
包みに貼られたテープをはがし、包みを開ける。
中にぬいぐるみが見えた。
それを取り出してみる。
犬のぬいぐるみだった。
が。
「なんだろう、これは……」
予想と少し違っていた。
いままで、曲花が配っていたぬいぐるみは、可愛いものばかりだった。
だから、すごくかわいいぬいぐるみであることを、僕は期待していしまっていた。
でも、実際は予想よりは可愛くなかった。
僕は細部を観察してみた。
細部は良く作られている。
これを作った人の、技術が高いことはよくわかる。
僕は、この感覚を味わったことがある。
動物のぬいぐるみを作ろうとしたとき、その動物のぬいぐるみを作るのが初めてで、つい、リアルに作ろうと思いすぎた時だ。
そうすると、可愛くはなくなってくる。
それに近いのではないかと思った。
とにかく、どういうことかと言えば、曲花のお姉さんは、犬のぬいぐるみを作るのが初めてだった……?
いや、まて、犬って言ったって、色々種類があるよな。
これは、なんて犬かはわからないけど、大型犬の一種な気がする。
僕は考えた。
考えてもわからないし、お風呂に入りたくなってきた。
しかし、お風呂の中で考えが思いついたりするというのは割と本当なのかもしれない。
お風呂に入っている途中、僕は、一つの考えが浮かんだ。
それはきっと、昔の、曲花のお姉さんとの会話を思い出したからだ。
あれは、確か、練習試合に来た人が少ない日だった。
だから、ベンチには、僕と、曲花のお姉さんだけがいたのだ。丸野も、他のベンチメンバーも今日は出場。
「ねえ、棚田くん」
「はい」
僕は、うつむいた顔を上げた。
その時、きっと、乾ききっていない、涙でも光っていたのだろう。
「悔しいの?」
お姉さんは、そう、僕に訊いてきた。
「うん」
「どうして悔しいの?」
「それは……僕だけ、出れないし、へたくそだし、なんか、サッカー、嫌いになりそうで」
「そっか……」
お姉さんは考えこむように手元の柔らかそうな布に目を落とし、そして少したってから言った。
「私もね、へたくそなんだよ手芸部の中で」
「……そうなんですか?」
僕は意外に思った。
だって、僕と丸野に裁縫を教えてくれるし。
「そうだよ。もっと言えば、私よりうまい人なんて、世界には、無限に思えるほどいるよ」
「そんなこと言ったら、僕だって……」
それはあまり考えたくないことだった。
幼稚園の時の「夢を描く絵」に、僕はサッカー選手を描いた。
だけど、そんなのになれるわけがない。
だったら、どうして、僕は今、サッカーをしているのだろう?
「あの、なんで……いつも裁縫をしているのですか?」
「うーん、なんでだろうね。楽しいから、かな? あ、でもきっとそれだけじゃない。私の努力をきっと、見ててくれる人がいるから」
「努力を見てる……」
確かに、僕は、いつもがんばってお姉さんが裁縫をしているところを見ている。
ほかには、どんな人が見ているのだろう?
僕には、当然、わからなかった。
次の日は、二月ももうすぐ半ばということで、久々に、少し暖かい日だった。
僕は、そんな暖かい日差しを少しだけ浴びている曲花を、眺めていた。
ずっと窓の外を見ていた曲花が、ふと、僕を急に見た。
僕は瞬時に、綺麗な英語がさらさら書かれている黒板を見た。
そんな僕は、隣で、睨まれているのを感じて、思わず、また、視線を曲花に戻してしまった。
「ねえ、あんた、昼休み、ひま?」
「ああ、今日は自主練だから、まあいかなくてもいいから暇ではあるけど」
「ふーん。じゃあ、来なさいよ」
「どこに?」
「三階の空き教室のベランダ!」
「……わかった」
僕はうなずいた。
そして、鞄の中から少し顔をのぞかせている、犬のぬいぐるみを見た。
「ここからだと、グラウンドが全部見えるでしょ」
「そうだな」
「だから私、一人でいたい時はここに来るの」
「そうか。あのー一応僕いるんだけどな」
「知ってるけど? 普段の話してんのね、今じゃなくて。わかる?」
相変わらずきついなあ、曲花は。
僕はベランダの手するに腕をのせ、遠くを見た。
川が流れ、その向こうには小学校の校舎がある。
「ねえ、あんたさ、私が配ってるぬいぐるみ、お姉ちゃんが作ったものって知ってるでしょ」
「……知ってるよ」
「やっぱり、なんで?」
「それが知りたかったのか」
「そう。でなきゃそもそもあんまり話したくない人、ここによばないし」
「はいはい」
僕は、そう口を動かして、更に遠くを見た。小学校の校舎のむこう。
そこは、小学校のグラウンドだ。
「お父さん、小学校のサッカーチームの監督でしょ?」
「そうだけど……え、あんた……」
なぜか驚いた風な曲花に、僕は簡単に説明した。
曲花のお姉さんと、僕の出来事について。
「はーなにそれ。はあーつまんな」
曲花は、伸びをして言った。
「ねえ、あのぬいぐるみ、へたくそだったでしょ」
「いや。そんなことはない」
「気使わなくていいから。お姉ちゃん、最近手が少し震えるようになってるから」
「……」
「お姉ちゃん。昔から大好きだった。裁縫が。自分が作ったものが、誰かにとって大切なものになることが何よりの喜びだった」
「……」
「だから、入院しても、私は、お姉ちゃんのそんな願いを、かなえ続けたかった」
「そうだな。だから、配ってたんだよな」
「そう。けど、最近、空前のぬいぐるみづくりブームでしょ」
「そうだな」
そうなれば、ぬいぐるみを欲しいという人より、ぬいぐるみづくりを教えてもらいたい人の方が、多くなる。みんながぬいぐるみを自分で作れるようになればなるほど、手が震え始めた人が作った、ぬいぐるみを、誰ももらわなくなる。
「この前、持って行ったぬいぐるみ、ほとんど余っちゃった。お姉ちゃんには全部配ったって言って私の部屋に隠してある。このままじゃ、私の部屋は、ぬいぐるみだらけになる」
「……」
「私って、基本ひねくれてるから、同情心でもらってほしくないのね。入院しててかわいそうだから、貰ってあげようとか、そういうのやめてほしいの。だからさ、もしあんたがそういう風に思って受け取ってくれたなら……」
「犬のぬいぐるみ。ここにあるぞ」
「……やっぱり、いらないか」
曲花は悲しそうに笑った。
そんな曲花に僕は、ぬいぐるみを差し出した。
「あのさ、曲花、お姉さんに、なんて言って頼んだ?」
「え、犬のぬいぐるみ作ってって言って頼んだけど」
「それだけ?」
「そう、頼んだけど」
「じゃあやっぱりそうだ。このぬいぐるみは曲花かおりのために作られた、ぬいぐるみだ」
「は?」
曲花は僕を見ず、じっと、僕の手の上の、犬のぬいぐるみを見ていた。
あまり可愛くないぬいぐるみ。
そう、このぬいぐるみがなぜそこまで可愛くないか。
それは、そもそも、可愛く作ろうとはしていないからだ。
「曲花、犬は好き?」
「ま、好きだけど、飼ってはない」
「そうか、僕も飼ってないし詳しくもないから、調べたらさ、この犬に似てない? って思ってさ、このぬいぐるみ」
僕は曲花に、スマホの画面に映る、写真を見せた。めっちゃすらっとした犬の写真。
「これ、なんて犬?」
「グレイハウンド、だってさ。かっこいいよな」
こんなかっこいい体型をしている犬のぬいぐるみを震える手で可愛く作るのは、流石に難易度が高すぎる。
それでも、曲花のお姉さんは、この、グレイはインドのぬいぐるみを作りたかった。
「このグレイハウンドって犬さ。一番足が速い犬なんだって」
「え、そうなの?」
僕はうなずいた。
目の前の、少なくとも僕が知っている限りでは、足が速くなるために誰よりも努力している女の子に。
「ふうん。お姉ちゃん。やるじゃん」
「……曲花ってあんま素直じゃないな」
「悪い? もうそういう性格なんですけど」
そう言いながらも、僕から、すごく丁寧に、グレイハウンドのぬいぐるみを、曲花は受け取った。
それからしばらく沈黙が続いた。
昼休みももう後半に差し掛かっている。お昼を食べ終わった生徒が続々と昼練を始めている。
「僕さ、昔、曲花のお姉さんから聞いたんだ」
「何を?」
「なんで、裁縫をするのかって話」
「……」
「『楽しいから、かな? あ、でもきっとそれだけじゃない。私の努力をきっと、見ててくれる人がいるから』こう言ってた」
「そっか」
「見てる人ってさ、いると思うんだよ。曲花のお姉さんをたくさん見てるのは、曲花だよな」
「……そうね。私、絶対お姉ちゃんを応援し続ける。私も、頑張んなきゃ、きっと直接は見れなくたって、お姉ちゃん、応援してるから」
「……大会、いつ?」
「二月十三日」
「そうか、僕のサッカーの試合と同じ日か。お互い頑張ろうな」
「うん」
思った以上に曲花が素直にうなずいたから、びっくりした。
そして、そのまま、僕は、曲花の横顔をしばらく見つめていた。
わたしとお姉ちゃんは、昔から、正反対の人だったように思う。
私は体を動かすことは好きだったけど、おねえちゃんはそんなに好きじゃなくて、裁縫とか、編み物が好きだった。
私は、不器用で、裁縫とかはすごく苦手。
そんな不器用な私だから、チョコを作るのにはとても苦労した。
でも、何とか出来上がって、こうして日曜日の今日も、私は登校している。
朝七時にわたしは学校に着いた。
きっと、彼は七時十分くらいに学校につくはず。
昔、一度だけ、お姉ちゃんとおお父さんについて行って、少年サッカーの応援に行ったことがあった。
私は、サッカーを何人でやるのかもよく知らなかったから、なんか仲間はずれになっている人がいるなあ……と、ベンチに一人座っている人を見ていた。
でも、途中で、交代したりしていて、みんな一回はサッカーするのかな? って思っていた。けれど、ずっと座りっぱなしの人が一人、いた。
なるほど、彼はきっとへたっぴなんだな。
そう、納得したけど、納得しなかったのを、今でも覚えている。
きっと、そんな彼は、高校生になった今でも、サッカーが下手だ。
まったく、いつまで下手なんだろうねって思う。
いつも私の次に、グラウンドに現れるって言うのにね。
私は、校門をくぐってグラウンドに入ってきた、彼……棚田久人を見た。
私は、棚田のところまで、まっすぐに歩いていく
「おはよ」
「あ、おはよう」
グラウンドで話すのは、初めてだった。
「昨日の試合はどうだった?」
「あ、勝てたよ。あと、僕初めて出れたんだ試合に、まあ特に活躍しなかったけどな」
「よかったね」
「あ、おお、ありがと」
しまった。素直に喜んでしまった。ひねくれた私らしくもない。
「……曲花は、大会どうだったんだ?」
「まあまあ、三位くらい」
「すごいな。ま、いつも早くから練習してるしな」
「ま、そうね。ていうか、あんただって早くから練習してんでしょ。ま、それで試合出れなかったらかわいそうだなって、思う、というか、思って、な、なぐさめるためにチョコ持ってきてあげたけど試合出たからいらないかもしれないけど渡す人もいないからあんたにあげるからはい」
私は、棚田にチョコをぐいっと渡した。
棚田の顔を見る前に、私は逃げる。
昨日、全力で走ったから筋肉痛だけど、それでも私は走った。
でも、どこまで走っても、グラウンドには私と彼の二人きりだった。




