茶々視点外伝 茶々視点・⑧⑨話・二回目の大津城巡察②
安宅船がきしみを上げるたび、湖面の白波が欄干に砕けて冷たい霧となる。
「今日の琵琶湖は荒れてるな~。丸薬飲んでなかったらきつかったかも」
――真琴様はそうぼやきつつも、前回の船酔い対策がよほど効いたのか、船中では静かに目を閉じておられた。
吐き気は来ず、ただ眠気だけが強いらしい。
私は外套をそっと肩に掛け、額の汗を拭う。
……前回の“青磁色事件”を思えば、今日は上出来だ。
桟橋に横付けされるや、冷たい北風の中で蒲生氏郷殿が出迎えた。吐く息が白い。
「殿、作事は進んでおります」
「それは良かった。安土の町で饅頭と酒を買い求めてきた。皆に差し入れだから、あとで配って」
「はっ、ありがたき幸せ。一同に代わりまして礼を申します」
「可能だったら饅頭は蒸し直して配るといいかな」
氏郷殿は口元を和ませて、
「繊細なお気遣い――流石、織田家“鬼”の料理頭」
と持ち上げる。
「っとになんで『鬼』が付くんだかわからないよ、っとに。料理で誰か叱りつけたりしていないのに」
「確かにそうですね」
私は思わずくすくす。……まあ、“鬼”の由来は胃袋を掴んで離さぬ、という意味合いだと、私は密かに解釈している。
お江はというと相も変わらず、桟橋から城の方へぴゅーっと駆け出し、お初が
「こら待て!」
と眉を吊り上げて追う。
その後ろを真田幸村殿が護衛を率いてすばやく展開――黒坂家の定番風景だ。
私の袖口にも冷たい風が差し込み、指先がきゅっと縮む。
氏郷殿が歩を合わせ、声を潜める。
「殿、前回申された“雷神の力を受け流す槍”――ご確認を。何分、手探りで拵えまして。上様より『受雷神槍を諸城に設置せよ』との仰せもあり、まずは此度の物が先駆けにございます」
「おお……“モデルケース”にするわけか……」
「も、もでる……?」
氏郷殿は首を傾げる。異国言葉は、やはり少しだけ通じにくい。
私たちは建て掛けの材木が林立する城内を抜け、天守へ。檜の香りが鼻をかすめ、乾いた木口が冬の日を弾く。
まだ壁板の入らぬ廊で、棟梁衆が佩刀の鞘に 木屑を払って頭を下げた。
急な梯子段を上がると、屋根越しにそれは見えた。
金と銀の光を帯び、天に伸びる一本の“槍”。
その根元からは銀製の鎖が屋根を伝い、地へまっすぐに落ちている。
鎖は土中に深く呑まれ、わずかに霜柱のきらめきだけが口元を飾っていた。
脇には、天へ駆け昇る龍の装飾――新雪に映えて銅の胴が、うっすらと温い色を差す。
「……信長様、本当に“銀”で作ったか。贅沢だな……」
氏郷殿が恭しく説明する。
「槍と鎖を銀製、上り龍の飾りを銅にて。今はきらめきますが、やがて色は落ち着きましょう」
「酸化で色が変わるのは当然だからいいんだけど……どれどれ」
真琴様は鎖の埋設を確かめるべく、地際を両手でぐっと引く。
びくともしない。
「四方に鎖を三尺、地中へ打ち込みましてございます」
「うん、銀と銅で作って、そこまで埋めてあるなら機能は問題なし。これを“基本形”として各地に進めて」
「はっ」
私は、銀槍の穂先――空にいちばん近い、その尖りを仰いだ。
雷神様、迷わぬように。ここに“梯子”をご用意いたしました。
どうぞ、ここへお降りなさい――そして、火は天へ、怒りは地へ。
城と人の身だけは、どうかお見逃しを。
背後では、饅頭の蒸気が立ちのぼるような温い笑い声。
お江が
「ねぇねぇ、アレ登っていい?」
と指差し、お初が「登るな」と即時に斬り捨てる。
私は肩で小さく笑い、もう一度だけ槍先へ目をやった。
荒ぶる湖と、凍える風と、そして銀の一条――。
この冬を越えれば、きっと“雷をも呑む城”になる。そう信じられるだけの輝きが、確かにそこにあった。




