茶々視点外伝 茶々視点・⑧⑧話・二回目の大津城巡察①
北風の刃が琵琶の肌を裂く二月、再び大津城の巡察――と聞けば、安土城内に押し込められがちな私たち三姉妹にとって、これはちょっとした“脱走許可証”だ。
安宅船に乗り込むやいなや、甲板は氷のよう、舷には白く泡だった風がぶつかり、帆はぎしぎしと唸る。
真琴様はというと、相も変わらず「さむい、さむい」と肩をすぼめ、ついでに顔色まで青磁色。
吐き気が波のように寄せてくるらしく、私は船室の長座卓をどけさせ、膝を差し出した。
「茶々たちって寒くないの?」
「重ね着をしておりますから。それに――小谷育ちですもの。お初も私も、もっと刺さるような寒さを知っております」
「なるほど、越前のほうから雪も吹くか」
「ええ、吹きます。蔵の戸板がきしむ音で夜が明ける冬もございました」
「俺が育った常陸の国はね、意外と雪が降らないんだよ」
私は義父上に献じられた日本図の、東の端を思い浮かべる。たしかに“北”寄りのはずだが――。
「私の記憶が正しければ、常陸の国はかなり北……」
「地形が雪を防ぐんだ。関東平野は西からの雪雲をせき止める山々があってね。その山々の西側で雪が落ちる。だから東へはあまり流れてこない。それに――茨城……いや常陸の沖合まで温かい海流が上がって来て、海からの風が陸を温めてくれる。夏はそこそこ涼しく、冬はほどほどに暖かい、そんな気候」
「まぁ、それは住みよさそう。……とはいえ今は佐竹様のお国。引っ越しは叶いませぬね」
「だよねぇ……。ただ、戦と政が落ち着いたら常陸の鹿島神宮に参拝したい。信長様に口利きしてもらえば行けるかな」
「義父上の力をもってすれば造作もないかと」
「下手に頼むと“国替えだ、行け”って言われそうで怖いんだよ」
思わずくすりと笑ってしまう。あり得る。義父上はそういうお方だ。
「真琴様は義父上のお気に入り。願えば“常陸一国”――などと、本当に言いかねません」
「それは勘弁だなぁ」
「まだ領地をお治めになるお気は、なし?」
「それもあるけど、国替えは戦の火種になる。無理やり動かせば、必ずどこかに歪みが出るからね」
「なるほど」
私の膝に頭を預ける真琴様の吐息が、ふっと軽くなる。
船の軋み、艫で縄を締め直す音、外ではお初が「うぇ……!」と半歩で引き返し、お江が「ねぇねぇ、船ってどうして横にも揺れるの~」と甲板で柳生宗矩を困らせている。
いつもの騒がしさに、思わず口元が緩んだ。
「……常陸参り、叶うと良いですね」
「うん。茶々も一緒に」
「もちろん」
そのときの私は、ただ膝枕の温もりがこの人の酔いを鎮めるのなら――と、指先でそっと髪を梳いたにすぎない。
けれど、船窓の外で凍て風が鳴り、帆綱がぴん、と張った瞬間、胸のどこかがかすかに疼いた。
大津へ向かうこの道中の他愛ない会話が、ほどなく現実の足音を連れて来るなどと、誰が思えただろう。




