茶々視点外伝 茶々視点・⑧⑤話・三河守徳川家康
程なくして、三河守・徳川家康殿が入室。
雪を散らした烏帽子の端、襟足まで整然として、目元は笑みながらも油断なく光っている。
狸――という言葉が脳裏を掠め、私は心の内でその尻尾を数える。
「雪の中、よくぞお運びくださいました。黒坂常陸守は、ただいま支度中ゆえ、まずは私よりご挨拶を」
「これはこれは、浅井の姫君――いえ、今は上様の姫、そして黒坂家正室にございましたな。突然の来訪、無礼の段は平に」
家康殿はすっと座に着き、私の点前を静かに見守る。
釜がことことと喉を鳴らし、茶筅が碗の底で軽く歌う。
差し出すと、殿は香りを先に吸い、二口で収めた。
「うるおい、よろし。……さて」
ここで襖が開き、真琴様が進み出られる。袴の裾に雪明かりが淡く映えた。
「三河守殿。雪の折、はるばる」
「常陸殿。先日の年賀にてはご挨拶のみ。今日はひとつ、耳にした噂の確かを確かめたく」
「噂?唐突に?」
「琵琶湖を六城にて結び、水運を一にして大都市を育む――その壮図。大津の城普請も、坂本の材を活かし、早や形を見せる由」
家康殿の目が、笑いながらもこちらの手の内を探る光に変わる。
私は扇を半分閉じ、真琴様の膝に軽く当てる。――余計な言葉は要りません、の合図。
「義父上様の許しを得て、湖の利を活かす工夫を少々。詳細は、上様への“報・連・相”の最中で」
「ほうれんそう?」
「報告・連絡・相談でございます」
と私が横から柔らかく添える。
「黒坂家の内々の法度にございます」
「なるほど、草ばかりでなく、菜もお好みか」
家康殿は口元で笑い、すぐさま次の矢。
「もう一つ。城の棟上に、雷を受けて地へ逃がす槍を立てる工夫――“受雷神槍”と仰るとか。火災は城の宿痾、耳が大きくなりましてな」
やけにお耳が良い、と内心で舌を巻く。真琴様は一拍置いて頷いた。
「火は敵より恐ろしい。ならば先に道を用意して、天の怒りを地に返す。理屈は単純です」
「単純ゆえに強い。……常陸殿、見学を願えぬか? 兵は備えに学ぶもの。雪が収まる頃合いにでも」
唐突な願い。さすが三河。私は扇を少し上げて、真琴様の言葉を先取りする。
「ありがたいお申し出、恐れ入ります。が、まずは義父・織田信長の御裁可が先と心得ます。比叡山監を担う城、すべては義父上様のご機嫌次第にて」
「うむ、それは道理でございますな」
家康殿は素直に引き、今度は柔らかな笑みに戻る。
「ならば本日は、これにて――の前に。遊戯を一つ、耳に挟んだ。“白黒将棋”とやら。石を返して陣を取るとか」
「えへへ、私のが先に教わったんだよ~!」
と、廊下の陰からお江の頭がぴょこん。
家康殿が目尻を和ませる。
「三河にも持ち帰りたいものでございます」
「雪が上がりましたら、板と石を一揃い、三河守殿へ」
と私は微笑む。
「ただし――」
「ただし?」
「御家中で賭け事に用いられませぬよう」
「くっ、耳が痛い」
座が和らいだところで、家康殿は静かに立ち上った。
「突然ながら、実りあり。浅井――いな、黒坂の御方、そして常陸殿。雪解けのころ、また」
宗矩が送る。襖が閉まる音のあと、ふうっと私と真琴様は同時に息をついた。
「……狸、ですね」
「ね。尾は三本くらい……いや、五本はあるかも」
「増えましたね?」
「雪でよく見えなかっただけだよ」
そこへ、今か今かと待ち構えていたお江が卓を抱えて飛び込んでくる。
「マコ~! 白黒将棋! 先手黒ね!」
「よし、今日は負けないよ。茶々、審判お願い」
「えぇ、勝負の行方と、うっかり未来を口走らぬように、両方見張っております」
外は相変わらずの細雪。内は囲炉裏の温もりと、ぱたん、ぱたん、と石の返る軽快な音。
雪間に芽を出す若草のように、小さな愉しみが、厳しい季節の中で静かに根を張っていくのを、私は確かに感じた。




