茶々視点外伝 茶々視点・③⑦話・黒坂様の謎
「黒坂様、お待ちを」
饗応の広間から引き揚げようとしていた背へ、私は呼びかけた。
「あぁ、茶々。どうしたの?」
「饗応のお役目、滞りなく果たされましたね。お疲れ様でございます」
「ありがとう。……こういう大役は、もうこりごりだよ」
右手で左肩を押さえ、首をぐるりと回す。疲労が色濃い。
「お疲れなら、揉み師を屋敷へ遣わしましょうか?」
「いや、桃子に“踏んで”もらうから大丈夫」
「踏んで……?」
自分でもわかるほど、目がまるくなっていた。
「そういう“ほぐし術”があるんだよ。肩こり取り。――それより、用って?」
「先ほどの饗応の座を陰から拝見しておりました。……黒坂様、諸国を巡られたのですか? 私とそう違わぬお年で」
問いかけると、彼は一瞬だけ視線を泳がせた。
「んー……今は深掘りはしてほしくないんだけど、旅に出たのは本当だよ。越後や陸奥のあたりは、祖父とけっこう行ったなぁ……」
「御祖父様は、ご健在で?」
口にした途端、黒坂様はぴたりと固まった。
わずかな沈黙ののち――
「ごめん。家族のことは、今は聞かないでもらえると助かる」
(――もう、この世にはおられないのかもしれない。)
そう受け止め、私は頭を下げた。
「無礼を。申し訳ありませんでした」
「あ、いや……別に“死んでない”からね。こっちに来る前は元気だったし……って、言えないことが多いからごめん」
「黒坂様は、秘密が多すぎます。それでよく、伯父上様は側に置いておられますね」
「信長様とお市様は、俺のこと――」
「殿。台所方より、『最後にお出しする甘味の直し』をお確かめに、との伝で」
森力丸の声が廊から届き、言葉が途切れる。
「茶々、ごめん。また今度」
軽く会釈して、黒坂様は台所へ消えた。
――知りたいことが、また増えてしまった。
鹿島の太刀のことを、あの三公の前でぼかした。
陰陽の理に通じていることも、隠した。
多くの者に知られてはならない“何か”があるのだろうか。
それとも、伯父上の口止めか。
胸の中で、黒坂・真琴という人の“謎”が、静かに、しかし確かに膨らんでいくのを感じた。




