3 因縁の直接対決再び
目が覚めると、見覚えのない場所にいた。
薄暗く、空気はひんやりと湿っている。
ゴツゴツとしたむき出しの石に囲まれたこの空間は、多分室内ではない。洞窟の中とか、そんなところだろう。
ただ、かなり奥まった位置にあるのか、出入り口はまったく見えない。
私は簡素な台のようなものに寝かされていて、手首は縛られていた。後ろには、何やら仰々しい悪趣味な祭壇らしきものが設置されている。
護衛がいないところを見ると、私だけが連れ去られたらしい。
ルカにもあれほど気をつけろと言われていたのにと思うと、だいぶ不覚である。面目ない。
これはさすがに怒られるかなとそこまで考えて、私は自分の胸元の辺りに手をやった。
いつも通りの冷たい感触があって、ひとまずホッとする。これさえあれば、なんとかなる。なんたって、チートすぎる魔導具だもの。安心感が半端ない。
それから左耳にもそっと触れてみた。ちゃんと、硬い感触がある。連れ去られた衝撃で身につけていたイヤーカフが外れてしまった、なんて不運は回避されたらしい。
と、いうことは。
相手が誰であろうと、勝機が見えちゃったんですけど……!
私は胸元の黒曜石とイヤーカフにそっと触れてから、できるだけ冷静に「ルカ、助けて」とつぶやいた。
そのまま息を殺して辺りの様子を窺っていると、不意にジャリ、という音がする。
「ふん、いいざまね」
燭台を手に現れたのは、数か月前に姿を消したはずのヴェロニカ様だった。最後に会ったときより、幾分肌ツヤがいい気がする。食生活が改善されたのだろうか?
しかしながら、申し訳ないんですけど、予想通りすぎる展開である。
「……やっぱり、あなたたちだったのですね」
さほど驚かない私に向かって、ヴェロニカ様は苛立たしげな視線を投げつけた。
「ずいぶんと余裕そうじゃない。自分の置かれた状況がわからないわけじゃないでしょう?」
「……私を連れ去って、何をしようというのですか?」
「決まってるじゃない。あんたを排除して、ルカ様を私のものにするのよ。そして、破壊の神グリマルドを降臨させるの」
「……はい?」
「あんたはそのための生贄になるのよ」
「……え」
ちょっと待って。それは聞いてない。
生贄って、あの生贄? 比喩的な意味じゃないよね? 正真正銘、神に捧げる供物ってことよね?
私なんかを破壊の神に捧げたところで、何かメリットある?
想定外の流れにこりゃまずいと思った私は、わざとらしく大袈裟に、動揺しているふりをした。
「そ、それはどういう……?」
「はははは! ビビってるの!? そりゃそうよね! まさか生贄にされるなんて、思わなかったわよね!?」
悔しいけど、そこはまあ、認めざるを得ない。
いや、普通、思いつかないって。
ヴェロニカ様は途端に上機嫌になって、教えてほしいと思っていた一連の悪巧みのあれこれをペラペラとしゃべり出す。
「あんたを生贄として捧げて、破壊の神グリマルドを降臨させるのよ! グリマルドは破壊と暴力でこの世界を支配し尽くし、恐怖と混沌に満ちた新たな世界に作り変えてくれるわ! そしてすべての間違いを正すのよ!」
「すべての間違いを正す……?」
「そうよ! ルカ様があんたを選ぶだなんて、間違っているもの! あんたがこの世界にいること自体、大きな間違いなのよ! あんたさえいなければ、ルカ様は私を選んでくれるわ!」
自信満々かつ声高らかに宣言するヴェロニカ様を、私はついまじまじと見つめてしまう。
「……あ、あの、ヴェロニカ様」
「ふふ、命乞いでもするつもり?」
ヴェロニカ様は優越感に浸りきった顔をして、いやらしく口角を上げる。
「いいえ。間違っているのは、あなたのその認識ですよ?」
私が真顔できっぱり言い切ると、ヴェロニカ様は間髪を入れず激昂した。
「は!? 何ですって!?」
「だって、もし万が一私を排除できたとしても、ルカがあなたを選ぶはずはありませんから。ルカならきっと、私を傷つけ排除したあなたをこそこの世界から排除しますよ」
「そんなはずないわ! ルカ様はあんたに騙されているだけよ! あんたがルカ様をたぶらかして、うまいこと丸め込んだんでしょう!」
「違います。むしろ、ルカのほうが幼い頃からなぜか私に執着しているんです。そういう説明は、これまでだって何度も聞いたはずですよ? グラキエス公爵家からの抗議文にも、しっかりと書かれてあったでしょう?」
ヴェロニカ様が学園を退学させられるきっかけになった、あのとんでもなく分厚い抗議文書。
お義母様はあの文書に、私とルカの出会いから婚約に至るまでの経緯、そして婚約してからのルカの執着と溺愛の日々を、これでもかというほど事細かに書き込んでいた。
それはもう、大衆向けの恋愛小説も真っ青というくらい、きゅんきゅん要素満載の文章が何ページにも渡って書き連ねられていて、お義母様自身も「なんだか筆が乗っちゃったのよねえ(笑)」と大満足の出来だったらしい。だからあんなにも膨大な分量になったのである。
私としては、自分たちのことが恋愛小説のように書き記されてたくさんの家々に送りつけられるだなんて、とこっぱずかしさしかなかったのだけど、ルカのほうは「これだけじゃあ、俺の愛の深さが全然伝わらないんだけど」とだいぶ不満げだった。なぜ?
とにかく、あれを読めば、自分の認識が単なる思い込みに過ぎないと嫌でもわかる仕様になっているのである。
まさか、読んでいないとか?
「あんなの、出鱈目に決まってるわ!」
「あ、読んではいたんですね」
「強制的に読まされたのよ!」
「では、公爵家がわざわざ嘘八百を並べた文書を送りつけてきたとでも?」
「う、うるさいわね! あれは公爵夫人が好き勝手に作成したものでしょう!? ルカ様自身がどう思っているかなんて――!」
往生際悪く食い下がるヴェロニカ様に対し、私はこれ見よがしに大きなため息をついた。
「そこまで言うなら、お教えしましょうか?」
「な、何をよ!?」
「私とルカが婚約してしばらく経った頃、七歳か八歳のときです。お義母様が私たちを王立森林公園へ連れて行ってくれたことがあるんですよ。こっそりお義母様たちから離れて森のほうへ行ってみた私たちは、鳥の巣にいたずらしようとしている十三、四歳くらいの少年たちに出くわしましてね。つい大声で注意しちゃったら、少年たちは怒って私を突き飛ばしたんです。次の瞬間、ルカは少年たちを全員ボッコボコにしていました。瞬殺でしたね」
「……え」
「それだけではなく、気づいたらどこからかロープを持ってきて、少年たちをぐるぐる巻きにしてしまったんです。そして『キアラを傷つけるやつは絶対に容赦しない』とか言って、その辺の木にまるでミノムシのようにぶら下げたまま置き去りにしました」
「お、置き去り!?」
「もちろん、公爵家の使用人たちがあとから気づいて少年たちを解放しましたが」
ちなみに、この話は抗議文書に書かれていない。
お義母様も、あれに載せるにはちょっと過激すぎるかしら、と躊躇したらしい。だって、当時七、八歳だし。
ついでに、ボッコボコにされた少年たちはどこぞの貴族令息だったらしいのだけど、それ以来どこでどうしているのかはわからない。無事に生きていることを切に願うばかりである。
「それから、こんなこともありました。学園に入学する少し前、公爵家が行儀見習いとして引き受けた遠縁の子爵令嬢が、ルカに一目惚れしてしまったんです。それだけならまだよかったんですけど、やっぱり私の存在が面白くなかったみたいで。私が公爵家へ行くたびに、嫌がらせをされるようになったんです」
初めて彼女を紹介されたとき、可愛らしい令嬢のわりにはなんだかやけに目つきの悪い人だな、と思った。
それが睨みつけられているのだと気づいた頃には、あからさまな嫌がらせを受けるようになっていたのだ。
といっても、嫌がらせをしてくるのは彼女自身ではない。
彼女は私に突き飛ばされたとか罵られたとか、根も葉もない嘘を使用人たちに訴えていたらしい。可憐で庇護欲をかき立てるタイプの令嬢だったこともあり、一部の使用人たちはその話を鵜呑みにしてしまった。そして「ルカ様にあの伯爵令嬢は相応しくない」と思い込み、私に地味な嫌がらせをしてくるようになったのだ。
「ただ、それもすぐにルカにバレちゃったんですよね。ルカは私にしか興味がないので、私に何かあればまず最初に気づきますから。子爵令嬢の思惑を悟ったルカは半日で加担した使用人たちを特定し、全員即日解雇したんです」
「そ、即日解雇!?」
「はい。もちろん、紹介状なしで」
それが使用人たちにとってどれほど致命的な措置になるのかは、言うまでもない。
「そのうえ、元凶である子爵令嬢を徹底的に問い詰めて洗いざらい白状させ、その日のうちに子爵家へ追い返してしまいました。子爵家に対する絶縁状を持たせ、今後一切の交流を断つ、と言い渡して」
ちなみに、この話を聞きつけた公爵夫妻は「キアラがいかに大事な存在か、理解のできない使用人も縁者も不要」と言ってルカの暴走をあっさり是認した。
その結果、件の子爵家はあっという間に没落したらしい。
筆頭公爵家から絶縁を突きつけられた貴族が、生き残る術などないのだ。
一応他家の没落が絡んでくるから、この話も抗議文書には載せられないわよねえ、とお義母様は苦笑していた。いや、苦笑で済むレベルの話じゃない。
「で、でも、ルカ様は見た目も中身も完璧で、知的で聡明で非の打ちどころがなくて……」
あまりに過激なルカの言動を改めて説明されたヴェロニカ様は、ちょっと理解が追いつかないらしい。だいぶ狼狽えている。
でもこの程度の話なら、まだまだ枚挙にいとまがないんですけどね。
「ここまで話してもまだわかりませんか? あなたは完璧だのなんだのと言ってルカのことを殊更崇拝しているようですが、結局中身なんて何も見ていないじゃないですか」
「そ、それは……」
「ルカが過激なまでに執着し、求めているのは私だけ。ルカの行動基準は、常に私なんです。あなたはそこまでの重い愛情を、まるごと全部受け止めきれますか?」
「え……」
「その覚悟もないくせに、ルカの隣に立とうだなんて烏滸がましいんですよ」
ぴしゃりと言い放つ。
ヴェロニカ様は何も言い返すことができず、ただ黙って私を睨み返している。
――と、そのときだった。
「威勢のいい方ですねえ」
音もなく現れた男に、私は思わず目を見開く。
「……あなたは、セルペンス伯爵令息……?」




