9 『あいつに本気を出させてはいけないよ?』
「呪いを術者に返す? つまりは呪い返しってこと?」
訝しげに首を傾げるジン様に、私は思いついた案を遠慮がちに披露する。
「そうです。令息たちが受けている呪いをそのまま返すことができれば、術者が誰なのか特定できるのではないですか? ただし、呪い返しを受けた術者は、とても悲惨な状態に陥るとは思うのですが……」
「そこは自業自得だよ。事は急を要するし、背に腹は代えられない」
「そう、ですよね……」
「ただ、確かに理論的には呪い返しで術者の特定ができるとは思うんだけどさ。問題は、どうやって呪いを術者に返すのかってことだよ」
「それはほら、これです」
言いながら、私はいつものように首元にかけているネックレスを手に取った。
もちろん、ネックレスの先にはあの黒曜石が光っている。
「この黒曜石のおかげで、私はヴェロニカ様の呪いから免れただけでなく、受けた呪いをそのままヴェロニカ様に返すことができたのですよね? だったら、同じことができればいいのではと」
「さすがはキアラ、いつもにも増して冴えてるね。しかも可愛いしきれいだし、最強だよね」
ちょっとどころかだいぶ文脈を逸れたルカの強烈な賛辞は一旦スルーしながらも、ジン様は渋い顔をして答える。
「あのとき僕がその黒曜石に付与したのは、ただの結界魔法なんだよ。呪いを術者に返すことができたのは、君の有する闇属性の魔力が魔導具である黒曜石に反応したからだと思うんだ。要するに、呪いを返せたのは君がその魔導具の使用者だったからだよ」
「闇属性の魔力を持たない私以外の人間では、呪い返しの効果は引き出されなかったということですか?」
「多分ね」
「では、結界魔法を付与した魔導具に、闇属性の魔力を注入するとか付与するとか、とにかく闇属性の魔力の効果も与えてみればいいのではないでしょうか?」
あえてあっけらかんと、言ってみる。
魔法のことも魔力のこともさっぱりわからない私なんかが、特級魔導師二人を前にして何を偉そうに、とは思いつつ。
そんな私を、ルカはいつもの調子で「ああ、その手があったかー」とか「なかなかいいアイディアだよね」とか「さすが、俺のキアラは考えることが違う」とか、手放しで大絶賛しているけれど。
特級魔導師二人はハッとしたような、してやられた、とでもいうような、それでいて妙に困り果てたような、なんとも複雑な顔をした。
「……魔導具に、闇属性の魔力の効果を付与……」
「制約はあるでしょうができないことではありません」
「……だよな。なんで気づかなかったんだろう……」
「やはり私たちは、闇属性に対する無意識の忌避感情を捨て切れていないのではないでしょうか? おいそれと利用できる力だとは誰も認識していないがゆえに、いつのまにか思考や判断に歪みが生じていたのでは」
「……闇属性になんの偏見も先入観もない他国の人間だからこそ、闇の魔力の利用をあっさり思いついたというわけか」
「それに、闇属性の魔力を持つのは現状この方とリンシャオ殿下以外にはいらっしゃいません。魔力量の少ないこの方に魔導具生成の協力をお願いするのは難しいでしょうからリンシャオ殿下を頼らざるを得ないということになります」
「……リンシャオに協力をお願いするのは、ちょっと酷だよね……」
「そうかな?」
特級魔導師二人のやり取りを黙って聞いていたルカが、躊躇なく水を差す。
「殿下にやってもらえばいいんじゃない? 殿下にしかできないんだろう?」
「それはそうだけど、今はこういう状況であの子も閉じこもっているし、だいたいあの子は魔力の使い方をきちんと習っていないから……」
「単に闇属性が怖いだけだろ」
ぴしゃりと言い捨てるルカの瞳は、静かな怒りに満ちていた。
「なんだかんだ言って、結局は闇属性の魔法が怖いだけなんじゃないの? 長い歴史の中で、忌まわしい邪悪な力だとか災いをもたらす存在だとか言われてきたから、仕方がないとは思うけどさ。でも殿下の味方である俺たちが怖がっていたら、殿下は救われないよ?」
「ルカ……」
「うまくいけば、闇の魔力には呪いを弾き返す力があると証明できるんだ。魔力の正しい使い方なんて、魔塔の特級魔導師が直々に教えたらすぐにできるようになるだろう? だったら、殿下にこそやってもらうべきだよ」
「そうですよ。リンシャオ殿下なら、きっとうまくやれます」
すぐさま私が加勢すると、ルカはうれしそうに破顔する。
たった数日、殿下と直に接しただけの私たちではあるけれど。
でもこれだけは、自信をもって言えた。
根拠なんて何もないけど、こういうとき一番大事なのは、無条件で信じてみることだと思うのだ。
「……そうだよね。わかった」
「やってみましょう」
ジン様とジエミン様は頷き合いながら、呪い返しに必要な魔導具について議論を始めるのだった。
◇・◇・◇
翌日の朝。
私とルカがジン様の執務室を訪れると、すでにジエミン様はソファに座ってまったりとお茶を飲んでいた。
昨日とは違い、ぼさぼさの髪はやけにきっちりと七三分け(いや、八二分け?)にされている。ローブにもピシッとアイロンがかけられているし、なんだかシャキッと背筋も伸びている。
ただし、瓶底眼鏡は瓶底眼鏡のままだった。
「……リンシャオ殿下に謁見するならきちんとしなさいと妻に言われてしまって」
その言葉に、「この人、妻帯者だった……!!」と無言で驚く私たち。ジン様はくつくつと忍び笑いをこらえていた。
テーブルの上には小さな巾着袋が二つ並んでいて、これが結界魔法を付与した魔導具なのだろうと推測する。
「じゃあ、みんなでリンシャオの部屋に行こうか」
すでに関係各所には話を通してあるらしく、ジン様は巾着袋を携えて悠々と歩き出す。
リンシャオ殿下の私室が見えてくると、なんと母親であり王妃殿下でもあるスイラン様が部屋の前で待っていたから驚いた。
「今日は、よろしくお願いします」
今にも泣き出しそうに俯く、王妃殿下。リンシャオ殿下は王妃殿下にすら、会おうとはしないらしかった。
ジン様は「任せて」と言ってから、ドアの前に立つ。
「リンシャオ、僕だよ。ユンジンだよ。ちょっと、話を聞いてくれないかな」
それからジン様は、病に倒れた二人の令息は闇魔法ではなく謎の呪術による呪いに侵されていると推察されること、呪いの術者を特定するために呪い返しを目論んでいること、そのためには闇属性の魔力を持つリンシャオ殿下に協力してもらう必要があるということを、丁寧に説明し始める。
「リンシャオは、何も怖がらなくていいんだよ。あの二人が倒れたのは、リンシャオのせいでも闇魔法のせいでもないんだ。それを証明するために、力を貸してくれないかな」
その問いかけに、返事はない。
でも数分後、ドアの向こうから弱々しい声が薄っすらと聞こえてくる。
「……そんなの、わかんないよ……」
「え?」
「……呪術のせいじゃなくて、やっぱりぼくのせいかもしれないでしょ……」
「そんなことはない。闇属性は一切関係ないんだ。リンシャオは、何も悪くないんだよ」
「……でも闇属性は、みんなを不幸にする魔法だって……。もしもぼくが魔法を使ったせいで、だれかが不幸になったりしたら……」
「大丈夫ですよ、殿下」
またしても、ルカだった。
ルカはジン様の後ろから、大声を張り上げる。
「闇属性も闇魔法も、怖くないって言ったでしょう? 殿下が魔法を使ったとしても、誰も傷つかないし不幸になんてなりませんから」
「……で、でも……」
「じゃあ、殿下。試しに俺と勝負しましょうよ」
「……え……? しょ、勝負……?」
「殿下の闇魔法と俺の剣術、どっちが強いか勝負しましょう。闇魔法なんかより、もっと直接的に何人もの人を殺傷できる、俺の剣術のほうが断然強いと思いますよ。そうなると、殿下より俺のほうが余程人を不幸にしかねない存在ってことになりますね」
堂々と言い切るルカに、シャンレイの人たちは度肝を抜かれたらしい。
闇魔法に物理(剣術)が勝てるわけないと思いつつも、まったく臆することのないルカの様子に半ば呆然としている。
ちなみに、ルカの剣術の才に関しては、言うまでもない。
贔屓目かもしれないけれど、ルカは強い。
事あるごとに「八つ裂きにする」だの「容赦なく斬る」だの「瞬殺する」だのと物騒なことを言いながら、一向にその実力を発揮する機会のないルカに対して「口先だけでは?」と思う輩も多いとは思う。
でも。
以前、私はディーノ様の父親にして王国騎士団長であり、ルカやディーノ様の剣術師匠でもあるファベル侯爵にこう言われたことがある。
『この国の平和と安寧を真に願うなら、あいつに本気を出させるようなことをしてはいけないよ?』
それがどういうことを意味するのか、わからないわけではない。
ルカがその実力を発揮する瞬間があるとすれば、多分この世界全体が大きな痛手を負うことになるだろう。それくらい、やばいのだ。多分。
そんな過激な狂戦士は、「やっとキアラと結婚できて思う存分いちゃいちゃできるってのに、俺が闇魔法なんかに負けるわけないだろ?」とかなんとか言っている。そんなこと、誰も聞いてないってば。
ふざけたセリフをいけしゃあしゃあと口走る危機感のないルカに、みんながみんな呆気に取られていると――。
不意にガチャリと、ドアが開いた。
(突然ですが)ジエミンの魔法講座
「ユンジン殿下は『ただの結界魔法』なんて仰いましたけど、結界魔法というのは無属性魔法における究極の防御魔法でしてもちろん誰でも使えるわけではありませんし、というか無属性魔法自体がそもそも古代魔法をその起源とすると言われておりまして長い歴史の中でも使える者はほとんどいないとされています。要するにユンジン殿下はこの魔塔でも類を見ないほど規格外のお方なのですよ。ご自身にその自覚はないようですが」




