第59踊 ライバルは多いほど燃えるもの
ミンミンとセミの鳴く声がする。
アスファルトからの照り返しが肌を焼くように暑い。
風が吹いても、日向では温風となり、余計に暑く感じてしまう。
室内も熱気がこもり、もはやサウナ状態だ。
野外スポーツも屋内スポーツも暑さに大変な季節がやってきたということだ。
そして、その両方の性質を持つ弓道場も熱気に包まれていた。
「片桐くん、物見が甘いよ! しっかり首を的に向けて!」
今日も天使先生の指導を受けていた。
ブーンブーンと虫の羽音も聞こえてきて、夏をより一層感じる。
暑い環境と熱い指導による汗で練習着が張り付き、なんとも嫌な感じだ。
天使先生は涼しい顔をしていて流石だなと思う。
心頭滅却すれば火もまた涼しというやつだろうか。
先生の髪も風に吹かれてずっとなびいて……なびきすぎじゃないか?
「天使先生、その手に持ってるやつはなんですか?」
「んー? ハンディファンだよー!」
「……先生だけずるくないですか?」
僕が思わずそう言うと、天使先生はにっこり微笑んだ。
「だって、先生だもん♪」
天使のような微笑み。
その背後で、まるで後光が差しているように見えるのは気のせいだろうか。
「まぁまぁ、片桐くんも頑張ってね~♪」
そう言いながら、先生は優雅にハンディファンの風を浴びる。
僕は思わずため息をついた。
弓道の練習は、ただでさえ精神を削る。
それがこの暑さの中では、なおさらだ。
だけど、汗をかきながらも集中する時間は嫌いじゃない。
「ふぅ……」
弓を引き、的を見据える。
腕にじわりと汗がにじむのを感じながら、矢を放った。
ヒュンッ——パシッ!
「……うん、悪くないんじゃない?」
後ろから聞こえた声に振り向くと、矢野先輩が腕を組んで僕を見ていた。
「首の向き、さっきより意識してるじゃん。もう少し身体の軸を安定させれば、もっといい感じになるよ」
「ありがとうございます」
矢野先輩は腕を組んだまま、ちらりと天使先生の方を見た。
「……にしても、先生ばっかり快適そうなの、ずるいよね」
「それ、僕も思いました」
「だよねー」
僕たちは顔を見合わせて苦笑する。
練習を終えた僕は、道場の外で風に当たっていた。
弓道場の中は暑さと熱気でむんむんとしていて、まとわりつく汗が不快で仕方がない。
「ねぇ、片桐くん」
「はい?」
振り向くと、矢野先輩が立っていた。
「今夜、夜市行かない?」
「夜市?」
「うん。駅前の商店街でやってる小さいやつ」
そういえば、そんな話を聞いた気がする。
地元の商店街が毎年開いている、小規模な夏祭りのようなものだ。
「でも……僕、そういうのあまり行ったことなくて」
「だから、行こうって誘ってるんじゃん?」
矢野先輩はくすっと笑う。
「まぁ、夏だしさ。たまには息抜きしなよ。ほら、課題とか部活ばっかりで息詰まってるでしょ?」
「……まぁ、それは否定できませんけど」
「でしょ? じゃあ決まり!」
先輩が満足そうに笑った、その時——
「夜市? なんですかそれ」
不機嫌そうな声が割り込んできた。
振り返ると、そこには腕を組んで睨むような表情の咲乃がいた。
「お、咲乃ちゃん」
「なに、秋渡は二人で行くつもり? 私は?」
「いや、誘われてないから……?」
「今、誘え」
「……えぇ……」
僕が戸惑っていると、矢野先輩がくすくす笑った。
「いいんじゃない? 咲乃ちゃんも来る?」
「行きます」
即答。
「……」
こうして、僕は矢野先輩と咲乃と三人で夜市に行くことになった。
夜市の会場は、駅前の小さな商店街。
煌々とした提灯が軒先にぶら下がり、店ごとに小さな屋台が並んでいる。
焼きそばの香ばしい匂いや、かき氷の甘いシロップの香りが漂っていて、こぢんまりとした温かみのある雰囲気だった。
「うわぁ、懐かしい感じするなぁ」
「まぁ、大きい夏祭りとは違うけど、これはこれでいいでしょ?」
「うん!」
咲乃は目を輝かせながら、屋台を見て回る。
「ねぇ、秋渡。りんご飴買って」
「え、なんで?」
「え? だってお祭りといえばりんご飴でしょ?」
「だからって、なんで僕が買わなきゃいけないんだよ」
「えー、ケチ」
「……」
ふくれっ面で僕を見上げる咲乃。
「もう、自分で買えよ」
そう言いつつも、なぜか財布を取り出してしまう自分がいる。
「あ、じゃあこれください」
屋台のおじさんからりんご飴を受け取ると、咲乃は嬉しそうに受け取った。
「やった! ありがと、秋渡」
「まったく……」
「ん」
「え?」
咲乃が僕の方にりんご飴を差し出してくる。
「一口食べる?」
「いや、別にいいよ」
「え、いらないの? おいしいのに」
「お前が食べたいやつだろ」
「んー……でも、一緒に食べた方が楽しいじゃん」
なんだその理屈は。
「ほら、遠慮しないで。あーん」
「……いや、別に……」
「ほらほら、ほら」
しつこくりんご飴を差し出してくる咲乃。仕方なく、一口かじると——
「あっ」
「……なに?」
「そこ、私が食べようと思ってたところ」
「……知らんがな」
「むー」
「ふふっ」
その様子を、矢野先輩が腕を組みながら眺めていた。
「……なんかさ、二人って本当仲いいよね。咲乃ちゃんも柔らかい雰囲気だし。」
「え?」
「いやぁ、まるでカップルみたい」
「ち、違うし!」
咲乃が真っ赤になって僕の足を蹴って否定する。
なりを潜めていたのに……痛いからそろそろ辞めてくれ。
「そ、そんなわけないですよ!」
「へぇ?なら私がもらっちゃうかもよ?」
矢野先輩は、どこか面白そうに微笑んでいる。
「ま、いいけどさ。でも、片桐くんって意外と優しいよね。さっきも、りんご飴買ってあげてたし」
「そ、それは……!」
「そういうところ、私は好きだけどな~」
そう言って、矢野先輩が僕の腕に絡むように近づいてきた。
「……」
咲乃がぴくっと反応する。
「ねぇ、片桐くん? 次は何食べる?」
「えっと……」
「ねぇ」
突然、咲乃が僕の袖を引っ張る。
「……なに?」
「次は、かき氷食べたい」
「……あ、うん」
「じゃあ、二人で行こ」
「……え?」
「いいでしょ?」
咲乃は僕の腕をぐいっと引いて、かき氷の屋台へ向かおうとする。
「あれ~? 咲乃ちゃん、邪魔しちゃうの?」
「べ、別に!」
「ふーん、嫉妬?」
「ち、違う!」
そう言いながら、咲乃は僕を引っ張っていく。
その後、僕たちは商店街の端にあるお化け屋敷に足を踏み入れた。
「ね、ねぇ、本当に入るの?」
「ビビってんの?」
「そ、そんなわけないでしょ!」
咲乃は強がりながら僕の袖を握りしめた。
「……手、離せ」
「む、無理……」
「ふふっ、かわいい」
「……!?」
矢野先輩が笑いながらからかう。
結局、お化け屋敷を出る頃には、咲乃は僕の腕にしがみついたまま震えていた。
「……こ、こんなの全然怖くなかったし!」
「そうか?」
「うるさい!」
矢野先輩が僕の腕を軽く引いた。
「ねぇ片桐くん。次は二人で金魚すくい、どう?」
「……え?」
「私、コツ教えてあげるよ」
「い、いや……」
「ダメ」
横から割って入る咲乃。
「なに、二人で楽しもうとしてんの」
「え、別にいいじゃん」
「よくない」
「ふふっ、嫉妬?」
「はぁ!? ち、違うし!」
あからさまに動揺する咲乃を見て、矢野先輩は楽しそうに微笑んだ。
「片桐くんってさ、モテるよね~」
「えっ……いや、そんなことは」
「咲乃がそんなに警戒するぐらいだし」
「ち、違うってば!」
わかりやすく顔を赤くする咲乃。
「まあまあ、二人とも落ち着いて。とりあえず、たこ焼きでも食べようよ」
僕がそう言うと、矢野先輩は「はーい」と素直に応じ、咲乃は「むー」と不満げな顔をしながらも、ついてきた。
夏の夜市は、いつの間にか終わりに近づいていた。
帰り道、夜市の喧騒が少しずつ遠ざかっていく。
駅までの道を歩く僕たちは、さっきまでの賑やかさとは打って変わって静かだった。
「楽しかったねー」
矢野先輩が満足げに伸びをする。
「うん、まあ……」
「え? なに、その微妙な反応」
「いや、色々あったし……」
りんご飴の件も、お化け屋敷の件も、金魚すくいの件も、どっと疲れることばかりだった。
「ふーん? でも、咲乃ちゃんは満足したんじゃない?」
矢野先輩がちらりと咲乃を見る。
「べ、別に……普通」
「はいはい、普通ね」
矢野先輩は笑いながら、からかうように肩をすくめる。
咲乃は少しだけ口を尖らせた。
「でも、まぁ……」
「ん?」
「……ありがと」
咲乃がぽつりと呟いた。
「今日は楽しかった……かも」
そう言いながら、ほんの少しだけ袖を引く。
「……そっか」
「……うん」
少しだけ、風が涼しく感じた。
「ライバルは多いほど燃えるよね」
矢野先輩はポツリと呟いた。
僕たちの夏は、まだ始まったばかりだ。
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