第53踊 テスト終わりの一矢、夏が始まる
試験終了のチャイムが鳴った瞬間、教室全体がふわりと緩んだ。
「やっと終わった……!」
あちこちから解放感あふれる声が聞こえてくる。
僕も心の中で大きく息をついた。
期末テスト最終日。
長かった試験週間を乗り越えたことで、ようやく自由を手に入れた気分になる。
もっとも、それもテストの結果次第だ。
夏休みは、高校生活において特別なシーズン。
恋に、青春に、全力で謳歌するための時間。
けれど、成績が悪ければ補習や課題が待っている。
進学校の宿命というやつだ。
僕は苦手な英語のテストを何とか乗り越えた。
中間テストの反省を活かし、しっかり勉強したおかげで、手応えはある。
そんなことを考えていると
「お疲れ様! どうだった?」
高塚咲乃が、僕の前に駆け寄ってきた。
「まぁまぁできた方だと思う」
「ならよかった。私も手応えはあるわ」
咲乃は自信満々に胸を張る。
頭のいい彼女のことだ、きっと僕なんかより余裕のある点数を取っているんだろう。
「これで無事に夏休み突入ね!」
「いや、部活があるぞ」
「あー……まあ、それはそうなんだけど」
咲乃は少しだけ眉をひそめたが、すぐに意気揚々と笑う。
「でも、今日は私、天使先生にギャフンと言わせるから!」
天使先生。僕たち弓道部の顧問。
名前の通り天使のような微笑みを浮かべているけど、指導は鬼のように厳しい。
フワフワした雰囲気とは裏腹に、的確な指摘をするため、部員たちからの恐れられつつ尊敬されている。
「意気込みはいいけど、大丈夫か?」
「見てなさい。今日は一味違うんだから!」
そんな咲乃の宣言を聞きながら、僕たちは弓道場へ向かった。
弓道場に足を踏み入れると、いつもの静寂が迎えてくれる。
ここではさっきまでの解放感も、どこか影を潜める。
「片桐くん、早く準備して」
そう声をかけてきたのは矢野先輩。
僕が所属する弓道部の部長で、指導役を担っている。
「今日は久々に射をしっかり見るね。ありのままの君を見せてよ」
「はい」
矢野先輩の鋭い視線を感じながら、僕は弓を構えた。
隣では咲乃が天使先生の指導を受けている。
「高塚さん、右肘が甘いですね。もっと力を込めなさい」
「っ……はい!」
ピシャリと指摘され、咲乃は気合を入れ直す。
矢を放つ。
スパッ。
的のやや右側に当たったが、まだまだ修正が必要そうだ。
「ふむ……まだですね。引き分けの際に肩がぶれています」
「くっ……!」
悔しそうな顔をする咲乃に、天使先生は柔らかく微笑む。
「その向上心は良いことです。でも、まだまだですね」
「……次こそは!」
そのやり取りを聞きながら、僕は弦を引いた。
スパッ。
「ほう、なかなかやるようになってきたね」
矢野先輩が口元を緩める。
「片桐くん、もう少し鍛えれば私に追いつけるかもよ?」
「そうですかね」
「課題はたくさんあるけどね。夏休み、いっぱい頑張ろうね!」
「はい、努力します」
「そのいきです!」
そんなやり取りをしていると
「秋渡、さっきの結構良かったわね」
咲乃の声がした。
「まぁな」
「でも、次は私がもっといい射を見せるんだから!」
「おう、期待してるよ」
すると、咲乃の表情が少し曇った。
「……ねえ、さっきから矢野先輩とずいぶん楽しそうだけど?」
「え?」
「なんか、いい雰囲気じゃなかった?」
咲乃がジト目で睨んでくる。
「いや、普通に指導されてただけだけど……」
「ふーん?」
どこか納得いかなそうな顔をしながら、咲乃はそっぽを向いた。
まさか嫉妬しているのか?
「高塚さん、集中しなさい」
「あっ……!」
天使先生の言葉で、咲乃がハッと我に返る。
「高塚さん、あなたは素晴らしい才能を持っています。でも、今は別のことを考えていましたね?」
「……すみません」
「いいんですよ。ですが、心の乱れは射にも出ます」
フワフワとした雰囲気で微笑みながらも、天使先生の言葉には芯がある。
「さ、もう一度やってみましょう」
「……はい!」
咲乃は気を取り直し、弓を引いた。
部活が終わり、帰り道。
「さて、これであとは結果次第で夏休みに突入ね!」
帰り道、咲乃が大きく伸びをしながら言った。
「そうだな。でも、成績次第では補習や課題が待ってるぞ」
「うっ……それはそうだけど……」
不安そうに眉をひそめる咲乃。
「大丈夫だよ。咲乃ならちゃんとやれてるって」
「そ、そう?」
「まぁ、最悪僕が教えてやるよ」
「……それ、私が落ちる前提じゃない?ていうか、私より秋渡のほうが心配よ!私は頭いいけど、秋渡はバカなんだから!」
「違う違う、万が一の話だよ!ぐぅの音も出ない正論やめてくれ」
「……怪しい」
ぷいっとそっぽを向く咲乃。
「まあ、でも……それはそれでアリかな」
咲乃は視線をそらしながら、ぼそりと呟いた。
「夏休み、どこか行きたいわね」
「例えば?」
「……花火大会とか、お祭りとか」
小さくそう呟いた咲乃の横顔が、いつもよりほんの少しだけ幼く見えた。
僕は小さく微笑んで、咲乃を見た。
「じゃあ、行くか」
「……うん」
「いづみと佳奈は補習がないといいけど」
「……そこは2人きりじゃないのね…」
「え?なんか言ったか?」
「ううん。なんでもない」
そんな風に僕たちの期末テストは終わり、楽しい夏休みが始まろうとしていた。




