第46踊 先輩たちの背中を見て何を想う
時間というのは恐ろしいほど早く過ぎていく。
ついこの間入学したばかりのように感じていたのに、気づけば高校総体、3年生にとって最後の大会が明日に迫っていた。
今日、学校ではその壮行会が開かれ、運動部の先輩たちがユニフォームや部の正装に身を包んで体育館のステージに上がる。
「ほら、矢野先輩が出てきたわよ」
横でさりげなくつぶやいた咲乃が、体育館のステージを指さす。
そこには、弓道部の袴姿が凛々しい矢野先輩が、堂々とした足取りで歩く姿があった。
「相変わらず、部活中はかっこいいな……」
つい感嘆が漏れる僕に、咲乃がじろりと視線を向けて、足を蹴ってくる。
「何見とれてるのよ。バカじゃないの?」
そう言いながらも、彼女もどこか見とれていた。
「まぁ、私だって先輩かっこいいと思うし……仕方ないわね」
なら、蹴らないでくださいよ。
その後、野球部が応援団の服でエールを送るなど、体育館は熱気に包まれていた。
だけど、僕が一番印象的だったのは壮行会の放課後に起こった出来事だ。
放課後、弓道場に珍しい人達が来た。
いづみや上野さんたち、文化系の部の人達だ。
いづみと上野さんたちは、カゴいっぱいのカップケーキを抱えていた。
どうやら文化部が運動部のために作る“必勝ケーキ”らしい。
上野さんが柔らかな笑顔で声をかけてくる。
「片桐くん、こんにちは! これ、どーぞ!」
「ありがとう。僕も貰っていいの?」
「もちろんだよ。運動部のみなさんへの応援だからね!」
渡されたカップケーキは、デコレーションが見事だった。
チョコレートで矢の形を描き、赤いハート型のトッピングが施されている。
「へえ、すごい凝ってるなあ」
ひとまずひと口食べてみると、しっとりしたスポンジとほんのり甘いクリームが絶妙だ。
「美味しい! これなら先輩たちも元気が出そうだね」
僕が感想を口にすると、上野さんは嬉しそうに頷いた。
「よかった~! あとでヒロキングにも渡すんだ!」
「ヒロキング絶対泣いて喜ぶよ、手作りとか好きだし」
「ふふっ、それならよかった」
上野さんはちょっと照れくさそうに笑った。
最近、ヒロキングと付き合い始めたせいか、彼女もどこか柔らかくなった気がする。
恋の力ってすごいな……。
そのとき、いづみがカゴからもうひとつケーキを取り出して僕に手渡してきた。
「秋渡くん、私のも食べて! みんなで作ったけど、これ、ちょっとだけ私がアレンジしてみたんだ~!」
「へえ、そうなの? じゃあ遠慮なく……」
手を伸ばそうとしたその瞬間。
「それ、私がもらうわ」
咲乃の素早い横槍が入り、ケーキは僕の手の届く寸前で奪われた。
「えっ、ちょっと咲乃?」
「秋渡はさっき食べたでしょ。これは私がいただくわ」
そう言いながら、咲乃はケーキをじっと眺めている。
「えー、なんで? 私、秋渡くんに食べてほしかったのに!」
「必勝ケーキなんだから、まず先輩に渡しなさいよ。秋渡に渡してどうするのよ」
咲乃の言い分は正論すぎて反論できない。
「でも、秋渡くんが食べると幸運が訪れるかも……なんてね!」
いづみがニコッと笑う。
その無邪気な笑顔に僕も咲乃も一瞬言葉を失った。
「……幸運って、どういうことよ」
「え、深い意味はないけど~?」
いづみが笑いながら肩をすくめたところに、上野さんがバタバタと戻ってきた。
「片桐くん、宮本さん、ごめん! 渡すケーキ間違えちゃったかも!」
「間違い?」
「宮本さんが自分用にちょっと特別にデコったケーキがあったんだよね。それ、片桐くんに渡しちゃったみたいで」
その言葉に、咲乃はぎょっとしたような顔をした。
「秋渡が食べたのって……いづみの特製?」
いづみは「そうみたい~」と笑顔を浮かべながら、「どうだった?」と期待の目を向けてくる。
「え、うん、すごく美味しかったよ……」
「ほんと? よかった~! 秋渡くんに食べてもらえて嬉しいな!」
いづみの満面の笑み。
僕はドキリとして、それ以上言葉が出てこなかった。
「いづみ、それ絶対わざとでしょ」
咲乃がジト目で鋭く指摘するが、いづみは「そんなことないよ~」とすっとぼけた。
その様子を見て、咲乃は悔しそうに唇を噛んでいる。
「……咲乃ちゃんも、秋渡くんに食べてもらいたかったの?」
「そ、そんなんじゃないわよ!」
咲乃が顔を赤らめながら否定する中、いづみはさらに追撃するように囁いた。
「でも、秋渡くん、私のケーキ食べて幸せそうだったよ~?」
「……くっ、絶対わざとだわ……」
咲乃の悔しそうな顔に、思わず僕は笑ってしまった。
翌日、高校総体の地方予選が始まった。
僕たち1年生も先輩たちを応援するため、弓道会場へと足を運んだ。
弓道の応援は声を出すのではなく、矢が的に当たったときに拍手をする。
それが静かな会場を支配する唯一の音だ。
矢野先輩は団体戦の先鋒として試合に臨み、見事な射を次々と決めていく。
その姿は昨日以上に凛々しく、僕たち後輩を勇気づけてくれた。
危なげなく勝ち続けて、決勝戦へ。
しかし、決勝戦の途中、次鋒の3年生が1本外してしまい、そこから流れが変わってしまった。
矢野先輩もそのプレッシャーに押され、痛恨のミス。
そして結果は14対15の僅差で敗北。
矢野先輩や3年生の先輩たちは涙を流していた。
「3年間お疲れさまでした。この悔しさをバネにして、次の挑戦に生かしてください」
天使先生の言葉が会場に響く中、僕たち後輩も自然と拳を握っていた。
試合後、矢野先輩が涙をこぼしながら僕たちに振り返る。
「みんな、来年は頑張ろうね」
その言葉が僕たちの胸を打つ。
「秋渡、私たちも絶対、この舞台に立とうね」
隣で咲乃が真剣な目を僕に向けてくる。
「ああ、絶対に立とう」
来年、矢野先輩の背中を支え、共に戦うために。




