第117踊 僕は気にしてない
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晩秋になり、冬の訪れを感じはじめた。
吐息がスーッと白く染まり、空気が少しずつ鋭さを帯びていく。
通学路を歩けば、落ち葉が乾いた音を立てて靴の下で砕けた。
手を擦り合わせて息を吹きかけている人もいて、誰もが肩をすくめながら歩いている。
また、この季節がやってきたんだな、と胸の奥がひやりとする。
僕は、そんな人々をどこか冷めた目で眺めていた。
まるで、季節の移ろいだけが確かで、人の感情なんて儚い幻だとでも思うように。
週末には県大会が行われるため、学校では壮行会が開かれていた。
体育館の中は冬の冷気が残っていて、床板を踏む音が乾いて響く。
全校生徒が集まり、吐く息が白く見えるほどの寒さの中、壇上に立つ各部の代表が一人ひとり紹介されていく。
まあ、簡単に言うとみんなで応援する会だ。
地方大会を勝ち抜いた部活が登壇し、全校から拍手と声援を受ける。
みんな凛々しい顔をしていて、自信に満ちている。
最初から弱気なやつはここにはいないだろう。
そこに立つまでにどれだけの練習を積み重ねたか、想像するだけで胸が熱くなる。
野球部の応援団がハチマキを締めて登場した。
昔の映像で見たような古風なスタイルだけど、三三七拍子が鳴り響くと不思議と胸が熱くなる。
全員で手拍子を合わせ、体育館の空気が一つになる。
「次は私たちも、あそこにいくわよ」
隣で咲乃が小さくつぶやいた。
その横顔は真剣で、少し頬が紅潮していた。
「あぁ。僕たちも、次は必ず」
僕は気合を入れるようにそう返した。
そう言いながら、自分の言葉に少しだけ力を込めた。
目標を口にすることが、今はまだ遠い夢に形を与えるように思えたから。
部活が終わり、夜風にあたる。
帰り道の空気は澄んでいて、吐く息がまっすぐに空へと伸びていった。
街灯が少なくなった通りを抜け、自転車を駅前の駐輪場に止めて、電車に乗る。
窓の外はすっかり夜で、車窓に映る自分の顔が少し大人びて見えた。
時間も遅めのせいか、車内は静かで、数人の乗客がスマホの光に照らされている。
僕は空いている席に腰を下ろし、バッグからスマホを取り出した。
電子書籍のアプリを開く。最近ハマっている大ヒットのラブコメの新刊だ。
ページをめくる指先に、ほんの少し熱を感じた。
「こんなの現実じゃありえないよな」
そんなことを小さく口ずさみながらも、どこかで羨ましいと感じている自分がいる。
現実には存在しないような恋のやりとりに惹かれてしまうのは、もしかしたら心のどこかが、まだ“誰かと笑い合う”ことを望んでいるからかもしれない。
しばらくすると、隣にドスンと誰かが腰を下ろした。
「なーに辛気臭い顔してんの?おつかれー」
「あー、してないわ。おつかれ」
顔を上げると、そこにいたのはヒロキングだった。
クラスでもいつも明るくて、どこか場を照らすようなやつ。
軽い調子で声をかけてくるのに、ときおりどこか人の心を見抜くような眼をしている。
僕が視線をスマホに戻すと、ヒロキングもスマホを取り出し、
画面を見ながらニヤニヤと彼女――上野さん――へのLINEを打っていた。
電車がゆっくりと動き出す。車輪の音がリズムを刻み、夜の闇を抜けていく。
「そろそろ決まったか?」
唐突にヒロキングが言った。
まだ視線はスマホの画面を見たまま。
きっと軽い世間話だろうと、僕も気を抜いて答えた。
「なにを?なにか決めるものあったか?」
ページをめくりながら、適当に返す。
だけど返ってきた言葉は、予想外に重かった。
「誰と付き合うのか、決めたのかってこと」
心臓が一瞬だけ跳ねた。
だが僕はすぐに冷静に返す。
「僕がまるで何人もの女の子から言い寄られてるみたいな言い方だな。ヒロキングじゃあるまいし、ないよ」
笑ってごまかす。
けれどヒロキングは笑わなかった。
「いっぱいいるだろ?俺ほどじゃないにしても。それに、恋人はいいぞ。元気をくれる」
冗談めかした声の奥に、どこか本気の響きがあった。
その目が、僕の心の奥を探るように見つめているのがわかった。
「仮に僕がモテてたとしよう。……でも僕は、誰とも付き合わないよ」
「え、なんでだ?………まだ、あの時のこと気にしてんのか?」
「あの時のこと」
その言葉に胸の奥がひりついた。
あの時のことを、忘れたつもりでいた。
でも、たぶん僕はずっと、あの場所に取り残されたままだ。
僕には中学時代に彼女がいた。
今とは違って僕は、ヒロキングのように明るく振舞っていた。
なんてことない日。
彼女は、いつもと変わらなかった。
教室で笑って、友だちと話して、僕に「おはよう」と言ってくれた。
どこにも違和感なんてなかった。
少なくとも、あの時の僕には――そう見えていた。
けれど、後になってわかったんだ。
彼女が笑っていたその裏で、僕の知らないところで、彼女は“僕と付き合っている”という理由だけで、陰で酷い言葉を浴びせられていたということを。
机に落書きをされたり、靴を隠されたり、
知らない誰かの噂話が、毎日のように彼女の背中を追っていた。
それでも彼女は、僕には何ひとつ言わなかった。
「大丈夫」って、いつも笑ってた。
たぶん、僕を気遣ってくれてたんだと思う。
それが、余計に胸をえぐる。
思えば、彼女の笑顔は少しだけ無理をしていた。
放課後、部活の帰りに見せたあの微笑みも、
どこか影を落としていたのに――僕は気づけなかった。
いや、気づかないふりをしていたのかもしれない。
自分のことで精一杯で、彼女の痛みに目を向けなかった。
そして、ある日、彼女はいなくなった。
机の上に、たった一枚のメモだけを残して。
「ごめん」
たったそれだけ。
それが、最後の言葉だった。
知らないうちに彼女は転校していた。
その日から、僕の中で何かが止まった。
季節が巡っても、あの冬の日だけが、ずっと胸の奥に凍りついたままなんだ。
だから、僕は決めたんだ。
もう、誰とも付き合わない。
誰かを好きになって、また誰かを傷つけるくらいなら
僕は、このままでいい。
電車の揺れが、遠い記憶を振り落とすように続いていた。
車内のアナウンスが流れ、僕は顔を上げる。
最寄り駅。
ヒロキングは何か言いたげだったけど、結局何も言わず
「また明日な」
とだけ言って立ち上がった。
「おう、また」
何気ない別れの言葉。けれど、どこか胸の奥に冷たい風が吹き抜ける。
「気にしてない。僕は気にしてない」
夜風に当たりながら、僕は何度もそうつぶやいた。
自分に言い聞かせるように。
まるで心の奥に凍りついた痛みを、必死に見ないようにするみたいに。




