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第116踊 彼女が妙に愛らしくて

「へぇー準備体操してたんだー、へぇー」


千穂がそういいつつジト目を僕に向けてくる。

明らかに信じていなさそうだ。


「ところでなんで二人ともいるの?」


何も知らない佳奈が不思議そうに2人に問いかける。


「秋渡が学校で佳奈の練習に付き合うって言ってたから千穂を誘って手伝いに来たのよ」


「うんうん、その通り!」


「それなのに佳奈ったら…」


「油断も隙もないね!」


咲乃と千穂は阿吽の呼吸でそう答える。いつも一緒にいる2人だからこその掛け合いだ。

その言葉を聞いて佳奈は僕に向かって視線を飛ばした。


目は口ほどに物を言う。

言葉を発しなくても言いたいことが伝わりすぎる。


「とりあえず、準備体操の途中でしょ?私たちも手伝うよ」


千穂がそういい佳奈と僕を座らせる。


「じゃあ、咲乃ちゃんは佳奈ちゃんをよろしく!じゃあやろっか秋渡!」


千穂が僕の背中を押そうと手を伸ばすがその手は咲乃に掴まれていた。


「ちょっとまちなさいよ!千穂がこっちよ!」


納得がいかないのか咲乃は千穂に抗議している。座っている佳奈がなんだか悲しそうな顔で僕を見てくる。僕はそっと目を逸らした。


「いやいや咲乃ちゃん。よーく考えてみて。秋渡と私は身長がほぼ同じだから私と秋渡が一緒にやった方がよくない?遊びじゃなくて真面目な練習なんだよ?」


千穂が至って真面目な顔で咲乃に正論をぶつける。予想外の回答、しかも正論ゆえに咲乃は何も言えずしぶしぶ佳奈の元へ戻った。


千穂も意外とスポーツにおいては真面目なんだなぁ。


「それじゃあ気を取り直してっと」


むにっ。


「……っ!」


思わず背筋がピンと伸びる。

柔らかい感触が背中に伝わってくるたび、頭の中の回路がショートしそうだ。


「ほら、秋渡。力抜きなってば」


千穂が耳元にふっと息をかけるように言ってくる。

やけに近い。近すぎる。いや、背中にあたってるこれは……。


「お、おぉ……」


情けない返事しかできない僕を、千穂は完全にからかって楽しんでいるようだ。


「ふふっ。ほんと素直だね、秋渡」


わざと押しつけてきてるんじゃないか、と疑いたくなるほどに。


ちらりと横目で佳奈を見ると、彼女は座ったまま頬をぷくっと膨らませていた。


「……なにしてるの、あれ」


目は口ほどに物を言う。

めちゃくちゃ言いたいことが伝わってくる。

咲乃はまだ気づいていないようだ。

集中して佳奈の背中を押している。


「はい、深呼吸して。息吸って――吐いて」


千穂が背中から僕の肩甲骨にかけて優しく押してくる。

その拍子に胸元がまた背中にぐいっと……。


「~~~~っ!」


今度こそ心臓が破裂するかと思った。

佳奈の時とは違う圧倒的な柔らかさがそこにあった。


「んふふ、秋渡って意外と反応が素直だね~」


千穂が背中にぴったりとくっついてきて、にやりと笑う声が耳元に届く。


「ちょ、ちょっと千穂!なにやってんの!」


咲乃が気がついて声を上げた。


「そうだよ!準備体操でふざけるとかありえない!…って痛い痛い咲乃ー!」


佳奈も顔を真っ赤にして抗議してくる。

真っ赤になってるのは痛みのせいかもしれないが。


「あ、ごめん!…千穂、真面目にしなさいよ!」


咲乃が咄嗟に手を離すことで佳奈は解放された。ちょっと涙目になってるのは本当に痛かったのだろう。


「え~?私、本気でやってるんだけどなぁ?」


千穂はしらばっくれつつ、さらに体を密着させてくる。わざとやってるのがバレバレだ。


「じゃあ次は私の番ね。秋渡、私の背中を押して?」


千穂が床に腰を下ろし、すらりと足を開いた。


「え、僕が?」


「うんうん、軽くでいいから」


悪戯っぽい笑みを浮かべられ、逃げ場はなかった。


背後では刺すような冷たく鋭い視線が来ていた。


「第一、あんなに押し付けて私たちへの当てつけだよね」


「…私を同類にしないでもらえる?」


「いや咲乃も同じくらいじゃん!むしろ私より小さ――」


「うっさいわよ!」


なにやら2人でコソコソ言い合いをしているが聞かなかったことにしておこう。


僕は手を千穂の背中に添える。


「じゃあ……押すよ」


ゆっくりと前へ体を倒すように力を加えると


「んっ……はぁ……っ」


妙に艶っぽい声が漏れた。

一瞬にして僕の手が止まり、脳内が真っ白になる。


「ちょっ……!その声なに!?」


咲乃が真っ赤になって叫ぶ。


「わ、私の秋渡の前で変な声出さないで!」


佳奈も涙目で詰め寄ってきた。

いや佳奈の物でも、誰のものでもないんだけどね。


「え~?力入れると自然に出ちゃうんだもん。……ねぇ秋渡、今ドキドキしたでしょ?」


振り返った千穂が、悪戯な笑みで僕の顔を覗き込む。


「し、してない!全然してないから!」


心臓がうるさすぎて、否定すればするほど怪しく聞こえる。


結局、咲乃と佳奈によって僕たちは無理やり引き剥がされた。


「……秋渡も千穂もだめ!油断も隙もない!」


「もう、ほんと信じられない!」


咲乃と佳奈のダブル説教。僕はひたすら平謝りするしかなかった。


そんな光景を見ながら千穂だけが、したり顔で小さくガッツポーズしていた。


「……もういい!次は走るよ!」


佳奈がぷいっと顔を背け、ハードルの用意されたトラックへ向かう。


「秋渡の前で恥ずかしいところ見せられないんだから、全力出す!」


「私も走るよ」


千穂がすっと立ち上がり、ハードルの並ぶコースに視線を向ける。


「秋渡、ちゃんと見ててね?」


またにやりと笑う彼女に、僕はどきりとした。


スタートラインに並ぶ佳奈と千穂。


「よーい……スタート!」


二人は力強く飛び出し、リズムよくハードルを越えていく。

佳奈がリードを保つが、千穂も負けじと頑張っていた。

最後まで気を抜けないままゴール。


「はぁっ、はぁっ……すごい、千穂……」


「佳奈ちゃんこそ……やっぱり陸上部のエースは速いね……」


二人は肩で息をしながらも、笑顔で互いを称え合った。


その光景を見て、僕は胸の奥から熱いものがこみ上げてきた。

やっぱりこの子たち、すごいな。


「次は普通に400m走るよー!」


「なら私もやるわ!佳奈には負けないわ!」


「いや、胸の大きさは…」


「うっさいわね!」


咲乃も勢いよく並んだ。


千穂は疲れたのか「私は休憩~」といって僕の隣にきた。


佳奈と咲乃がクラウチングの姿勢をとり、緊張感が張り詰める。


「よーい……ドン!」


乾いた号砲と同時に二人が飛び出す。

だが、スタートからして差は歴然だった。


佳奈の走りはまさに矢。

地面を蹴る音、腕の振り、風を切るスピードすべてが段違い。


ハードルという障害がないだけでこうも走りが違うのかと思わされた。

咲乃も必死に食らいつくが、差は広がる一方だった。


「うわっ!」


ゴールラインをぶっちぎりで駆け抜けた佳奈は、そのまま勢い余ってバランスを崩す。


「佳奈っ!」


慌てて駆け寄り、倒れそうになった体を抱きとめた。


「はぁ……っ、はぁ……っ」


佳奈の胸元が近く、汗に濡れた肌が熱を帯びている。

全力疾走後の火照った顔は、どこか扇情的ですらあった。


「……ありがと」


荒い呼吸の合間に、それでもにこりと笑ってくれる。

その笑顔が、妙に愛らしくて、僕は心臓を掴まれたように動けなくなった。


その瞬間から、佳奈の存在が胸の奥で特別な輝きを放ち始めていた。


その後は何本も走っては計測を繰り返した。

2人とも疲れてしまい、最終的には佳奈一人で何本も走っていた。


「やっぱり佳奈には勝てないわね」


「私もそう思う。本当に走ることが好きなんだろうね」


咲乃と千穂は感慨深そうに佳奈が走る姿を眺めていた。


「みんな、今日は付き合ってもらってありがとう!みんなのおかげで一段と速く走れる気がするよ!」


佳奈がタオルで汗を拭きながらは元気に言う。

あれだけ走ったのにまだ元気とは体力おばけすぎないか。


それぞれ帰路につき、僕は電車の窓から外の景色を見た。

まだ時刻は夕方頃だがすっかり真っ暗だ。


もうすぐ冬がはじまる。


冬の到来を感じながら僕はただ昔を思い出していた。

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