第112踊 ヒロキングとテニス、2人の乱入者。
楽しかった文化祭も終わり平穏な日々が訪れる―――わけはなかった。
テニスコートに4人の男女が相対していた。
片面には圧倒的なイケメンオーラを放つ男の子と、少しさえないテニス部らしくない男の子がいた。
もう一方は背が小さくて小柄な女の子と保護者の雰囲気を纏っている女の子がいた。
「じゃあ試合しようよー!」
「おう!俺たちの実力見せてやろうぜ!」
「ふふっ、面白そうだね。ちょっとワクワクしてきた!」
「僕はテニス部じゃないぞ…」
僕以外はなぜかワクワクしている。
ここまでくればお分かりだろう。
テニスコートにて相対しているのは僕とヒロキング、そして麻里子と玲奈だった。
何故こうなったのか、それは少し時間を遡る。
週末の金曜日。
夜に突然ヒロキングから連絡が来た。
「明日、昼から練習に付き合ってくれないか?」
練習…たしかヒロキングは新人戦の個人戦を優勝し県大会が控えていたはずだ。
だがテニス部ではない僕と練習して意味あるのだろうか。
「硬式はやったことないから僕じゃ練習にならないぞ」
「大丈夫、そんな変わんないから!」
変わらないわけないと思うけど。そもそも中学卒業してからテニスしてないし体がついてこないだろう。
「変わんなくてもブランクがあるぞ」
そんな僕の返信に対してヒロキングは『b』とした猫のスタンプを送ってきた。上野さんにでもプレゼントされたのかな。
「大丈夫、すぐなれる!」
そんなすぐになれるのだろうか。
結局僕はヒロキングの勢いに押されて練習に着い合うことにした。
部活が終わり一度家に帰宅し着替えた。
もう着ることは無いと思っていたテニスウェア、そしてテニスシューズ。
かつて勝手に挫折してやめたテニスともう一度携わることになるとは思ってもみなかった。
学校のテニスコートに着くとヒロキングが待っていた。
「よっ片桐!わざわざすまんな。このラケット使ってくれ」
渡されたのは硬式テニス用のラケットだ。
ソフトテニス用と違ってけっこう重い。
「とりあえずラリーを少しするか。ボールをはじき返すイメージで打ってみてくれ」
ヒロキングから放たれたボールをラケットを使って打ち返す。
ソフトテニスと違いボールが固く、ラケットも重いため腕にずっしりと負担がかかった。
なんとかボールはネットを超えて、ヒロキングの元へ。
ヒロキングは当たり前のように綺麗なフォームで打ち返してきた。
僕はヒロキングのフォームを見よう見まねで真似ながらラリーを続けた。
「やっぱりやるね片桐!」
休憩してるとヒロキングが突然褒めてきた。
「いやいや、何もやれてないよ。これじゃ練習にならんだろ」
「初めて数分で俺のフォームを真似て自分のスタイルに昇華できるやつなんていねぇよ。そもそもラリーを続けてる時点でレベル高いからな」
ヒロキングに言われて気がついた。自分がずっとヒロキングとラリーを続けていたことに。
「なぁ、やっぱりテニス部入らないか?お前とならいいところまで行けると思うんだが」
「悪いがそれはお断りだ」
誰に挫折させられたと思ってるんだ。
目の前の才能の塊に自分じゃ敵わないと思ってやめたんだ。
「気が変わったらいってくれ。俺はいつでもウェルカムだ。よし、そろそろ再開するか」
ヒロキングが練習を再会しようとした時、聞いたことある女の子の声が聞こえた。
「おーい!二人で何してるのー?」
振り返ると二人組の女の子は自転車を止めて、たたっと走ってやってきた。
麻里子と玲奈だ。
「片桐に練習相手をしてもらってんだ」
「片桐…秋渡くんはテニスしたことあるの?」
目をキラキラとさせて麻里子は僕を見る。そんな目で見つめないでくれ、色々と危ないじゃないか。
「無理して下の名前で呼ばなくていいぞ。テニスはソフトテニスまでならやってたよ」
麻里子はぷくーっと頬をふくらませて不満をアピールしている。
「別に私無理してない!好きで呼んでるだけだから!」
「う、うん」
「こらこら、片桐くんを困らせないの」
玲奈が麻里子を後ろから抱きしめなだめている。さすが自称保護者、やり方がお母さんっぽい。
「むぅ。…あ、そうだ!」
むくれていた麻里子か閃いたとばかりに声を上げる。
「じゃあ試合しようよー!」
そして現在、僕たちはコート上で向かい合っている。
麻里子たちは部活帰りに二人でご飯を食べに行った帰りのためテニスラケットなども持っていた。
「片桐、前衛頼めるか?俺は後衛するから」
テニスの「前衛」とは、ダブルスでネット際、つまりコートの前方に位置するプレーヤーのことだ。主にボレーやスマッシュでポイントを狙い、相手にプレッシャーをかける役割を担う。
後衛がベースライン付近でラリーを続けるのに対し、前衛は積極的に攻撃に参加し、試合の流れを変える重要なポジションともいえるだろう。
「わかった。まだ試合でのラリーはさすがに無理だからな」
相手コートを見ると玲奈が前衛、麻里子が後衛のようだ。
「6ゲーム1セットで。セルフ審判でいいよね?」
「あぁそれで構わない」
「サーブはそっちからでいいよ~」
ルールなどを取り決めた僕たちは各々位置に着いた。
「じゃあいくぞ!」
ヒロキングのサーブから試合が始まる。
ヒロキングのサーブがコートを裂いた。
鋭く沈み込むような軌道。硬式テニス特有の重みが乗ったボールは、地面に突き刺さるように跳ねた。
「ナイスサーブ!」
思わず声が漏れる。だが、麻里子はすぐさま落ち着いた表情でラケットを振り抜いた。
返球は甘くならず、むしろ安定感のある深いショット。
僕はネット前、前衛のポジションで身構える。
目の前を黄色いボールが鋭く通過するたび、腕に汗がじわりと滲む。久しぶりの感覚に心臓が高鳴った。
試合序盤、麻里子は「えへへ~楽しいね~!」と笑いながら無邪気に打ち返してくる。
玲奈も「走り回って怪我しないでね、麻里ちゃん」とやさしく声をかけるだけで、二人ともまだ肩の力が抜けていた。
コートの上は、いわゆるお遊び気分の空気。
ヒロキングは余裕たっぷりの表情で強烈なストロークを繰り出し、麻里子はそれをニコニコしながら打ち返す。
そんなときだった。
麻里子の打球を見逃さず、僕は思わず飛び出していた。
ポーチボレー。
後衛の打球を前衛が横から奪い取る、攻撃的な動き。
「……っ!」
ガシャリとラケットに重みが響き、そのまま鋭い角度で相手コートに突き刺さった。
「15-0!ナイス片桐!」
一瞬、彼女たちの空気が変わった。
「うっわー! 秋渡くん、今のかっこいい!」
麻里子がキラキラした目で僕を見る。
「ちょっと麻里ちゃん、集中して!」
玲奈が慌てて彼女の肩を叩いた。
次の瞬間、麻里子は「ふふっ」と意味深に笑い、部活指定のパーカーをバッと脱いだ。
白とブルーの半袖のテニスウェア姿。小柄な体躯に似合わず、凛とした雰囲気が漂う。
玲奈もため息をつきながらパーカーを脱ぎ、同じく本気の装いになる。
「……どうやら遊び気分は終わり、ってことだな」
ヒロキングがニヤリと笑う。
僕は背筋に冷たいものを感じながらも、なぜかワクワクしていた。
本気を出したヒロキングのサービスエース3連続により先に1ゲームを先取した。
「ちょっと早すぎでしょ!」
「ちょっとは手を抜いてよ!」
麻里子と玲奈はヒロキングに文句を言う。
「勝ちたくなったからな!悪いな!」
ヒロキングは悪びれもなくそういった。
「次は打ち返してやる~!」
彼女たちは闘志をさらにメラメラと燃やし始めた。
サーブ権が相手に渡ると、麻里子がトスを上げた。
その表情はどこかいたずらっ子めいているが、瞳の奥は真剣だ。
「は?」
麻里子のサーブしたボールは地面に到達すると回転してヒロキングの体に急接近していた。
いわゆるツイストサーブってやつだ。
ヒロキングがなんとか打ち返すがネットを越えなかった。
「そっちも手加減しろよ!初見じゃ打ち返せねぇよ!」
ヒロキングが文句をたれるが彼女たちは聞く気がないらしく二人でハイタッチをしていた。
次は僕がレシーブする番だ。
「秋渡くん!私の想い、受け取れ~っ!」
彼女のラケットから弾き出されたのは、高速サーブ。
ヒロキングほどでは無いがかなり速い。ツイストサーブ以外にもいろいろ引き出しがあるようだ。
ボールがまっすぐ僕を狙い撃つように飛んでくる。
「っ!」
体が勝手に動き、僕はラケットを構えた。
硬い衝撃が腕を突き抜ける。重い。けど、押し返す!
ギリギリで面を合わせ、必死に返球した。
ボールは山なりに相手コートに飛んでいく。
「あ~!私の想いが打ち返されちゃった~!」
「麻里ちゃん、任せて!」
だがボールの落下地点には玲奈がスマッシュ体制で控えていた。
「そりゃっ!」
玲奈のスマッシュが、僕の横をかすめて抜けていく。
「ナイススマッシュ!」
麻里子の声援が響く。
……さっきまでのお遊びムードは完全に消えていた。
それからは一進一退だった。
ヒロキングのパワーショットに玲奈のスマッシュ。
僕の必死のボレーに、麻里子のトリッキーなサーブ。
得点が入るたびに互いの息遣いだけが響く。
夕陽がコートをオレンジ色に染め、時間の流れさえ忘れそうになる。
「いいぞ片桐、前詰めろ!」
「まかせろ!」
「麻里ちゃん落ち着いて! コース読んで!」
「うん、でも負けたくないんだもん!」
汗が頬をつたい、呼吸は荒くなる。
だけど負けたくない、という気持ちは僕も同じだった。
スコアは5-5。最終ゲームまでもつれ込んだ。
ヒロキングの鋭いサーブを麻里子が打ち返す。
僕は必死にポーチに飛び込み、なんとか拾う。
「ナイスだ片桐!」
気づけば夢中で打ち合っていた。
挫折したはずのテニス。
二度と戻らないと思っていたラケットの重み。
だけど今、この瞬間は、楽しかった。
マッチポイント。
相手サーブ。麻里子が再びトスを上げる。
「ラストいくよ! 秋渡くん、ちゃんと受け止めてね!」
宣言通り、全力のボールが僕を襲った。
「……うおおおっ!」
気合とともにラケットを振り抜いた。
衝撃で腕が痺れる。やはり硬式ボールには慣れないなと思った。
それでもボールはネットを越え、相手コートのライン際へ突き刺さった。
「俺たちの勝ちだ!」
ヒロキングが男の僕でも惚れそうなくらい素敵な笑顔でそういった。
「はぁ~、負けちゃった~!」
麻里子はコートに倒れ込み、笑っていた。
玲奈は苦笑しつつタオルを差し出す。
「強かったわね、二人とも」
「いや、そっちもすごかったよ。同じ男なら負けてたかもしれん」
ヒロキングが汗をぬぐいながら答える。
僕はラケットを握ったまま、しばし空を見上げた。
胸の奥が妙に熱い。挫折の痛みじゃなく、ただ純粋に“楽しかった”という熱。
「なぁ片桐」
横からヒロキングが声をかけてきた。
「また一緒に暇な時テニスやろうぜ」
「……考えておくよ」
珍しく素直な返事をしていた。
麻里子が嬉しそうに「ほんと!? 私も一緒にやりたい!」と叫び、玲奈が「もう、麻里ちゃんったら」と肩をすくめる。
夕暮れのコートには、僕たちの笑い声が響いていた。
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