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第108踊 想いをダンスにのせて

新人戦も終わり、いよいよ藤樹祭――文化祭が始まる。


僕たち弓道部は残念ながら新人戦を勝ち抜くことはできなかった。個人戦もあるが、経験を積むという意味合いで団体に出てない1年生が出場し、あっさり敗退。結果だけ見れば不完全燃焼だ。


しかし、他の部活の友人たちはどうやら違うようだ。


硬式テニス部のヒロキングは個人戦で優勝。麻里子と玲奈はダブルスで優勝し、11月の県大会出場が決定。


陸上部の佳奈は400mハードルと400m短距離走で二冠を達成。女子バスケ部の千穂も県大会出場が決まり、学校中でちょっとしたヒーロー扱いだ。

校長先生もご機嫌だった。


……なんか、僕たち弓道部だけ置いてけぼりを食らってない?

でもこの悔しさは、次の大会への燃料になるはずだ。



文化祭前日、クラスみんなで教室の飾り付けをした。

天国と地獄をテーマにした内装は、予想以上の完成度だ。


天国ゾーンは白いシーツで壁を覆い、床には柔らかな色合いのマットを敷き詰め、所々に雲を模した綿毛の塊を浮かべている。間接照明の優しい光が空間をふんわり包み込み、見ているだけで肩の力が抜けるような温もりがあった。たぶん死んだらみんなここに来ると思う。


対して地獄ゾーンは、黒いシーツと真紅のマットで禍々しい雰囲気。赤黒い照明が足元を染め、まるで血の池地獄を歩いているみたいだ。装飾を終えたクラスメイトたちは口々に「これはインスタ映えだわ」と満足げに笑っていた。


衣装は当日まで秘密。各自の帰路も、心なしか足取りが軽かった。



そして文化祭当日。


朝、通学路を自転車で走っていると、前方に制服姿のいづみがゆっくりと歩いているのが見えた。


いつもと違い今日は足取りが少し重く、表情もどこか硬い。

近づいている僕にも気がついてないみたいだ。


「おはよ、いづみ。……なんか緊張してる?」


そう声をかけると、彼女はびくっと肩を揺らし、ぎこちなく笑った。


「え、べ、別に……そんなことないよ? ほら、今日ちょっと風が冷たいからさ」


明らかに言い訳っぽい。


「そっかー。じゃあ、このままだと顔が凍っちゃうから……ほら、笑っとけ。こんにゃふうに」


僕はわざとおどけたように自分の頬を指で引き上げ、にやっと作り笑いをして見せた。


いづみは一瞬ぽかんとした後、ふふっと吹き出す。


「……なんだそれ、変な顔~」


その笑顔はもう、いつもの彼女の調子だった。


「よし、復活だな」


僕が胸を撫で下ろすと、いづみはふとこちらを見上げて上目遣いで言った。


「……ねえ、私には……おまじないしてくれないの?」


「え?」


おまじない…もしかしてアレのことか?思い出すのは新人戦の時のこと。

……いやさすがにそれは恥ずかしくて出来ないだろ、人目もあるし。

いや人目が無くても出来ないけども。


そう聞き返す間もなく、いづみは頬を赤く染め、そっと目を閉じる。


まるで、キスを待っているような顔。


息が詰まる。視線を逸らすべきか、でも逸らせない。鼓動がやたらと大きく響く。


「な、なに言って――」


あたふたしている僕をよそに、いづみはぱっと目を開き、口元に小さな笑みを浮かべる。


「冗談だよ~。そんなに慌てるなんて、かわいいね~」


ほっとした……いや、したはずなのに。


去り際に彼女が小さくつぶやいた言葉が、耳から離れなかった。


「……意気地なし」


その声は、確かに拗ねたようで、でもどこか甘かった。


学校に着き、いづみと別れそれぞれの教室へ。

校舎全体がすでに祭りの空気感に包まれていた。廊下にはクラスや部活ごとの看板が並び、普段は聞こえない笑い声や軽快なBGMがあちこちから漏れてくる。揚げ物の香ばしい匂いと、わたあめの甘い香りが混じり合い、鼻が幸せになった。


午前は体育館で文化部の発表、午後からは有志の出し物や各クラスの催しが始まる。

僕たちも体育館へ向かい、開会のアナウンスを待った。


「それでは、藤樹祭・文化祭の開始をここに宣言します!」


生徒会長の高らかな声と同時に、拍手と歓声が体育館を満たした。


トップバッターは吹奏楽部が始まった。

華やかなファンファーレで幕が開き、今流行のアイドルソングが鳴り響く。自然と手拍子が広がり、会場の空気が一気に温まった。次は懐かしのJ-POPメドレー。先生たちまでメロディを口ずさんでいる。


3曲目の途中、上野さんが前へ出てサックスソロを披露。

金色の管体がライトを反射し、滑らかな指運びから力強く、時に甘く響く音が会場を包み込む。

「やべぇ、鳥肌立った!」と隣のヒロキングが小声で叫んだ。僕も同感だった。


そして合唱部、美術部と続き、いよいよ大トリ、ダンス部の出番。


体育館の照明が落ち、観客たちのざわめきが静まる。ステージにスポットライトが一斉に走り、アップテンポなイントロが流れ出した。


次の瞬間、アイドル衣装をまとった部員たちが舞台へ飛び出す。


白と淡いブルーを基調にしたアイドル衣装。

胸元には銀色のリボンが結ばれ、スカートはふわりと広がるチュチュ風。足には白いブーツ。

ライトを受けて、まるで舞台のためだけに生まれた天使みたいに輝いている。


「……っ」


息が詰まる。目が離せない。


いづみの笑顔は、本当に太陽みたいだった。

ステップひとつ、ターンひとつが軽やかで、観客の視線を一瞬で奪う。

スカートの裾がひらりと舞い、リズムに合わせて髪がふわっと揺れる。

視線が彼女の軌跡を追うだけで、時間が速くなったり遅くなったりする。


僕は、気づけば息を忘れて見入っていた。


1曲目はキュート全開のポップナンバー。

腰を小さく揺らしながら、ウィンクを投げ、笑顔で両手を広げるたびに、黄色い歓声が会場を突き抜ける。

観客席の女子まで「かわいい……!」と黄色い歓声をもらしている。


サビ前、いづみが軽くステップを踏みながらこちらに視線を上げた。


いづみと目が合った。

彼女はふふっと微笑みすぐに視線が逸れる。


心臓が一拍、いや三拍くらい飛んだ感覚がする。

彼女はほんの一瞬、微笑んでから視線を逸らし、決めポーズへ。

ただそれだけなのに、胸の奥に熱が溜まる。


曲が終わると同時に大きな拍手。

でも、息を整える暇なんてない。

すぐさま次の曲が始まった。


2曲目は一転、クールで大人っぽい曲。


いづみの目つきも、さっきまでの愛嬌たっぷりなものから、一瞬で鋭く研ぎ澄まされた表情に変わる。

腰を深く落とし、鋭いターンを決め、指先までしなやかに動かす。

床を蹴る音すら、曲の一部に溶け込むようにリズムへ吸い込まれていく。


観客席の男子が「やべぇ…」と低く呟いた。

僕も同じことを思っていた。

この瞬間、体育館にいる全員が、ダンス部の動き一つひとつに支配されている。


そしてラストナンバー。

イントロが鳴り始めた瞬間、また目が合った。

今度はいづみは逸らさなかった。彼女の瞳が「見てて、ずっと私を」と言っているみたいだった。


ジャンプ、ターン、スピン。


動きが切り替わるたびにスカートが舞い、ライトが反射してまぶしい。

サビでは、まるで舞台の上で一人だけスポットライトを浴びているかのように輝いていた。

彼女のためにこの舞台があるようにすら感じる。


最後の振りで、唇に手を添えて投げキッスをするいづみ。

まるで僕にだけ向けた投げキッスのように感じた。さすがに自惚れだと思うけども。

隣の咲乃が「……ずるい」と小さく呟いたのが聞こえた。


大歓声と拍手の中、ステージが幕を閉じる。僕はまだ心臓の高鳴りを抑えられなかった。



体育館を出ようとしたとき、背後から慌てた声が響いた。


「秋渡くん!」


振り返ると、汗で頬がほんのり赤くなり、Tシャツが肌に張り付いたいづみが小走りで駆け寄ってきた。


「どう……だったかな?」


少しだけ不安げな表情で、普段の元気いっぱいとは違う繊細な笑顔を見せる。


「いや、もう……すごかったよ。アイドルみたいに輝いてた」


僕は少し照れくさそうに目をそらしながら言った。


いづみはその言葉に、ぱっと花が咲いたように明るくなる。


「本当に?よかった……!」


「それに、なんか……ダンス見てたら、気がついたらずっといづみだけ見てた気がする。それにいづみの想いも伝わってきたよ」


僕がそう言うと、彼女は顔を真っ赤に染めていた。


「もう、そんなこと言われたら……また恥ずかしくなっちゃうじゃん!」


「ごめんごめん。でも、本当だって」


僕は苦笑しながら続ける。


「ねえ、秋渡くん、私、あのダンスで伝えたかったこと、分かってくれた?」


いづみの声が少しだけ震えた。


僕は真剣な顔で彼女を見つめた。


「うん、ちゃんと伝わったよ。……僕も負けていられないね!」


彼女は一瞬だけ驚いたように目を大きく見開いたが、すぐに何かを察したのか呆れたような顔をしていた。


「そう、そうなの! だから、ちゃんと見ててほしかったんだよ~、はははっ…」


「うん、伝わった。ありがとう、いづみ」


僕がそう言うと、彼女はふふっと笑った。


「そういうところが秋渡くんらしくていいんだけどね。じゃあ、また後でね! 天使と悪魔喫茶、絶対行くから!」


そう言うと、仲間に呼ばれ、いづみはまた小走りで駆けていった。


その背中を見送りながら、僕の胸には楽しそうに踊っていた彼女がくっきりと刻まれていた。


「……本当はちゃんと伝わってるよ」


僕はひとりそう呟き教室へと戻った。


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