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第106踊 新人戦の始まり

いよいよ試合が始まる。

地方の田舎ということもあり、2回勝てば決勝戦にコマを勧められる。

つまり3回勝てば県大会優勝ということだ。


男子団体、女子団体、そして男女混合で試合を進めていく。午後からはそれぞれの決勝戦を行っていく流れだ。


僕は試合の準備のためにみんなの元へ戻った。

一足先に試合がある咲乃が準備をしていた。


先程までの僕同様に緊張しているのか表情は硬い。僕は一言声をかけようとしたその時、古川先輩に捕まった。


クンクン。


先輩は僕の首元に顔を近づけ匂いを嗅ぎ始めた。先輩からふわっと香る爽やかな匂いが鼻腔をくすぐりドキドキする。僕は戸惑いつつも先輩に問いかけた。


「えーと……先輩?なんで僕の匂い嗅いでるんですか?」


先輩は僕の問いかけを無視して近くにいる咲乃を手招きして呼び始めた。


「咲乃ちゃん咲乃ちゃん」


「どうしたんですか?」


咲乃は緊張した顔つきで古川先輩の元へ。古川先輩は真剣な顔付きをしている。もしかしたら練習前にアドバイスして貰えるのかもしれないと思っているのかもしれない。


だが、古川先輩の口から発されたのはそんな真面目な話ではなかった。


「片桐くんから……女の子の匂いが…する」


「えっ!?」


「ゴボゴホッ!?何言ってるんですか!」


僕は思いっきりむせた。突然真剣な顔で何言い出すんだこの人は。


咲乃は驚きのあまりポカンと小さな口を開けていたが、頭の中で状況の整理が出来たのか次第に険しい顔付きへ。


「どういうことよ秋渡!ちょとこっち来なさいよ!」


咲乃は少し背伸びをして僕の首元を掴むとグッと抱き寄せるように近づけた。


傍から見れば女の子が背伸びして抱きついているように見えなくもない。


ボソッと古川先輩が「咲乃ちゃん…大胆だね」と呟いていたが咲乃の耳には聞こえていないみたいだ。


クンクン。


咲乃は匂いを嗅ぎはじめた。


「なんか甘くていい匂いがする。さっき嗅いだような匂い…そういえばいづみがきていたわね。なんだか顔を真っ赤にして慌ててたけど…てかこれいづみの匂いじゃない!!」


「いや、なんでわかるんだよ!」


「女の子は匂いに敏感なの、よッ!!」


「痛ってぇ!」


おもいっきり足を蹴られた。

どうやら問答無用らしい。

咲乃はぷんすか怒りながら試合に向かった。


「ふふっ。いつもの…咲乃ちゃんに戻った…ね」


古川先輩は咲乃の背中を見送りながらそう呟いた。たしかに緊張がなくなり、らしさがでている。おかげで思いっきり蹴られたけれども。



静寂。


観客のざわめきすら遠く感じるほど、弓道場は張り詰めた空気に包まれていた。

僕は応援のために矢道の外から立って眺める。


大きな大会ならスタジアムのように上から見れるような席もあるが地方大会なので立ち見が基本となる。


前の試合が終わり、次は咲乃たち女子団体の出番だ。

一人一人一礼しながら入場していく。


先程の古川先輩とのやり取りが緊張の糸を解いたのか、ほどよくリラックスしているようにも見える。


「咲乃ちゃん、なんかいい感じだね!」


ふわりと甘い香りが近くから漂った。

隣を振り向くといづみがきていた。


「さっきまで緊張で強ばってたけどな」


「そうなんだぁ~!ふふっ…秋渡くんみたいに?」


いづみは口元をニヤリと上げ、肘でツンツンとつついてきた。僕はいづみとのやり取りを思い出していた。


無意識に彼女にキスされた頬を手で触る。

頬に触れた柔らかく温かな感触。

僕の動きでなにかいづみも思い出したのか頬をうっすら赤く染めていた。


「そ、それ思い出すの禁止ー!ほら、始まるよ!」


審判の指示のもと、試合が始まった。


咲乃は一番手の射手。

その姿は、さっきまで秋渡の首元に顔を近づけてぷんすか怒っていた少女とはまるで別人だ。


凛としている。


胸元で弓を構え、ゆっくりと息を整える。

場内は静まり返っている。外から聞こえていた蝉の声すらも、いまは遠く感じる。


矢をつがえ、静かに引き絞る。

腕に力は入っているはずなのに、その動きはなめらかで美しかった。

的を見据えたまま、咲乃はその瞬間を見極める。


ヒュッ。


矢が風を切り、一直線に飛んでいく。


バンッ!


静寂を打ち破る鋭い音。

見事に的の中心に命中した。


記録表に的中を表す「〇」が付けられた。


観客席からパチパチと小さな拍手が広がった。


(すごい……)


僕は思わず息を呑む。咲乃の矢はまっすぐだった。迷いがない。

先程の緊張していた顔はどこへやら、今の彼女は確かに「強い射手」の顔をしている。


隣にいるいづみも真剣な表情で見つめていた。

咲乃は4本中3本的中することが出来たが後続が緊張とプレッシャーにやられ惜しくも負けてしまった。


天使先生は「惜しかったけどいい経験できたね!次は頑張ろうか」と励ましていた。

咲乃は負けたけど楽しそうな顔をしていた。


男子団体も接戦の末負けてしまい、いよいよ男女混合の試合の時がきた。


準備をしていると咲乃にバシッと背中を叩かれた。


「頑張りなさいよ!まぁ、私は4本中三本当ててるからそれくらい出来ないとダメね!ダメならジュース奢ってもらうから」


「ジュースほぼ確定じゃないか…まぁありがとう、頑張るよ」


「ふふっ、期待してるよあきくん」


咲乃は満足したのかにこりと微笑むと試合の見れる位置にサッと戻って行った。


急な「あきくん」はずるいなぁ。そう思いながら僕は準備を急いだ。


「勝つことも大事だけど、楽しむことを忘れずに!やるよ、みんな!」


矢野先輩が円陣を組んで気合を入れた。

完全にみんな試合モードに入っている。


僕たち混合チームは、それぞれの矢を手に、射位へと歩を進めた。


順番は、古川先輩、後藤くん、僕、そして矢野先輩。


審判の指示のもと、試合が始まった。


一射目。


まずは古川先輩。


静かに歩み出たその背中からは、いつもの気だるげなダウナーな雰囲気が消えていた。代わりにあったのは、研ぎ澄まされた集中力と、静かな闘志。


「……」


無言のまま弓を構える。張った弦が、ピンと空気を切る音を立てた。


矢が放たれる。


鋭い音とともに、矢が真っ直ぐに飛び、的の中心を射抜く。


「……っ!」


観客席から、ひときわ大きな拍手が沸いた。


続くは後藤くん。


古川先輩と同様にいつも気だるげな彼も、この場では真剣そのものだった。


深く息を吸い、放たれた矢は中心からやや外れたが、的にはしっかり命中。


会場から拍手が送られる。


「よし……!」


彼は小さく呟いた。


そして、僕の番が来た。


少しだけ足元に力が入るのを感じながら、射位に立つ。


(大丈夫、もう震えてない)


深く呼吸をし、集中する。


視界の端に、観客席で小さく手を振るいづみと真剣な眼差しで見ている咲乃の姿が見えた。

それだけで、不思議と勇気が湧いた。


しっかりと弦を引き絞り矢を放つ。


パンッ!


鋭い音と共に、矢が的を捉えた。


(よし……!)


拍手が、じんわりと胸に染みる。

チラリと観客席を見ると咲乃はうんうんと頷いていて、いづみはパチパチと拍手しながら満面の笑みだ。


そして最後は矢野先輩。


矢野先輩は、少しだけ弓を構える前に目を閉じて息を整える。


それだけで場の空気が変わったように思えた。


圧倒的な安心感。

彼女が後ろにいるだけで何とかなると思わせてくれる。


矢野先輩は弓を構え、弦を引き絞る。


放たれた矢は的のほぼ中心に突き刺さった。


拍手が鳴り響く。4人とも命中。一射目を終え、僕たちは1本差でリードしていた。


第二射目が始まる。


古川先輩はまたも的中させていた。さすが矢野先輩と弓道部の二枚看板を背負っているだけのことはある。


後藤くん、わずかに逸れて惜しくも外れるが、本人はむしろ吹っ切れたように口角を上げていた。


僕の番が来た。


さっきの成功が、心を強くしてくれていた。


「……行くよ」


そっと呟き、矢を番える。


矢は、少しだけ的の左に逸れたが、ギリギリで中る。


拍手に紛れて「やったやった!」といづみと咲乃が喜ぶ声が聞こえた気がした。


矢野先輩は相変わらずの精密射撃だ。

前の矢とほぼ同じ位置に的中していた。


先ほどよりも強い拍手が湧き起こり、観客のテンションも徐々に高まってきていた。


相手チームはみんな的中させ、差はなくなった。

ここから外せない試合が始まった。

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