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第105踊 緊張をほぐす太陽の温もり


藤樹祭の文化祭まで残り数週間となり、演劇部や吹奏楽部、ダンス部など文化系の部活動が活気に溢れている。


だがこの季節に盛り上がっているのは文化部だけでは無い。もちろん運動部も活気に溢れている。それは、週末に新人戦があるからだ。


弓道部も例に漏れず、新人戦に向けて練習してきた。3年生が引退して最初の大会、部長の矢野先輩も気合十分だ。


「いよいよだね…由美ちゃん」


少し気だるげで話しかけたのは古川先輩だ。やる時はやる先輩で潜在能力は未知数。弓道部の二枚看板のうちの1人だ。


「もうあんな想いはしたくないし、勝つよ。今回は雅もいるし、それに…彼らもいるから」


矢野先輩はそういい、僕たち1年生を見つめた。

その瞳には強い決意が色濃く映し出されていた。


そして迎えた週末、僕たちは練習の成果を発揮しようとしていた。

集まったのは県が運営する総合施設の弓道場。


新人戦ということもあり、初めての大会で緊張しているのかどこの学校も顔の強ばった選手が多い。かくいう僕も緊張しているから人のことは言えないが。


天使先生がみんな集まったことを確認してミーティングを始めた。


「みんな集まったね!それじゃ、今日のメンバーを発表するよー!」


緊張感を常に抱いたまま練習して欲しいという天使先生の指導方針があり、本番当日まで誰が出るのか発表しなかった。


ゆえにみんな自分が選ばれるのではないかとドキドキしている。

2年生の先輩は、矢野先輩と古川先輩しかいないため必然的に1年生からの出場が多くなる。


「うちは2年生が少ないから女子団体と男子団体は1年生主体でいくよ!メンバーは―――」


団体のメンバーが発表されていく。

やはりと言うか当然と言うべきか、女子団体に咲乃が選ばれていた。咲乃は選ばれたことに嬉しそうだが、やはりどこか緊張しているのか笑顔がいまいち硬そうだ。


男子団体のメンバーが発表されたが僕の名前は呼ばれなかった。もしかしたら僕は今日は出られないのかもしれない。


「男女混合は、由美ちゃんと雅ちゃん、あと片桐くんと後藤くんね!頼んだよ~!」


自分の名前が呼ばれてホッとしたのが正直な気分だ。もしかしたら出られないのかなとも思っていたから、出れることがわかって嬉しい。でもそれ以上に先輩たちに迷惑はかけられないとも思った。


後藤くんは体育祭のリレーでも共に走った、古川先輩に似たような雰囲気を持つ子だ。


「じゃあみんな準備して!試合には遅れないように!」


ミーティングが終わるとすぐに咲乃が話しかけてきた。顔を見る限り少し不満げだ。


「なんで私は男女混合じゃないのよ。私もやりたかったのにー」


「それは僕に言われても困るんだが…」


僕たちのやり取りが聞こえたのか矢野先輩も会話に交じってきた。


「私たちより上手くなれば次はいけるよ!頑張ろ!」


「むむむ、まだまだ敵いませんよ、先輩たちには……」


そんな他愛もないやり取りの中、いつの間にか隣にいた古川先輩がぽつりと口を開いた。


「ごめん……ね。私は由美ちゃん推しだから。由美ちゃんが先……いくから。片桐くんと」


「うんうん、先のステージで待ってるよ咲乃ちゃん、片桐くんと……って、え!?なんでそこで片桐くん!?」


「なっ!……私だって負けませんから!」


真っ赤になって叫ぶ由美先輩。咲乃もむくれ顔のまま火花を散らしている。


……名前を呼ばれただけの僕としては、居心地が悪い。


とはいえ、ピリついた空気を少し和らげたこの会話は、ある意味では良かったのかもしれない。


もしかしたら古川先輩は緊張をほぐそうとしてくれたのかもしれない。

なぜ僕の名前が出てきたのか分からないが。


大会が始まるまでの1時間は練習に会場を使える。そのため、各々練習しに向かった。


普段とは違う場所、そして違う景色と雰囲気が体を強ばらせる。俗に言うこれが緊張しているって状態だろう。


僕は矢を番え、深呼吸して的を見つめる。


放った矢は、大きく的を外れた。


しかもその後も何本も、外れた。


手に汗をかき、指が滑り狙いが定まらない。焦りが焦りを呼び、射形は崩れ、まるで泥沼にはまったようだった。


(だめだ、集中できない……)


他校の選手たちは、僕よりずっと落ち着いているように見えた。堂々と構え、綺麗な射を見せる。


僕は矢を回収に歩いた。いつもと同じように矢を回収して汚れを取る。そのとき、自分の手が小刻みに震えているのことに気づいた。


(ああ……やっぱり僕は緊張してるんだ)


呼吸が浅く、喉がつまる。心臓の音がやたらと大きく聞こえる。


心を落ち着かせようと目を閉じて天を仰ぐ。


目を瞑ることで、遠くから、矢を射る音や人のざわめきがより鮮明に聞こえた。


でも、それが次第に遠のき、代わりに、まるで夢の中のような声が耳に届いた。


「ねぇねぇ、あの子可愛くない?」


「どこの子だろう、話しかけてこようかな」


「アイドルか何かかな?」


周囲のざわつきが気になり、目を開けると、そこは暗闇だった。


「だーれだ? ……なんてね。ふふっ、秋渡くん来ちゃった!」


聞き慣れた声が、背中から優しく包んできた。


振り返ると、そこには眩しい笑顔を浮かべる いづみがいた。まるで太陽のような存在感。彼女がそこにいるだけで、景色がぱっと明るくなったような錯覚すら覚える。


「い、いづみ……どうしてここに?」


「えへへ、もちろん応援だよ?私だけ文化祭でダンス見てもらうのはフェアじゃないでしょ?それに秋渡くんのことだから今日もきっと頑張ってるんだろうなって思って、来ちゃった!」


ちょっとだけ照れたように、頬をつつくしぐさを見せながらいづみが言う。


「……ありがとう。でも、僕、今……全然上手くいかなくて」


視線を落とし、握った手を見つめる。やっぱり震えていた。力が抜けない。どうしても自分を追い込みすぎてしまう。


そんな僕の手を、ふわっといづみが優しく包んだ。


「そんなに力を込めると痛くなっちゃうよ。……秋渡くんは頑張りすぎてるんだよ」


「……うん。頑張らなきゃって、迷惑かけれないって思うと、怖くなってきて」


「そっか……」


いづみはほんの少しだけ目を細め、真剣な表情になる。


「秋渡くん、緊張するのって、悪いことじゃないよ? だって、それって本気の証拠だもん。心の中でちゃんと『勝ちたい』って思ってる証なんだから」


「……」


「それにね――」


すぅっと深呼吸するように、彼女は言葉を選びながら、静かに続けた。


「先輩たちのためとか、チームのためとか、すごく大切なことだけど……でも、何も考えずに楽しく自分のために矢を射っていいんだよ?」


「……自分のために?」


「うん。だって、秋渡くんが頑張ってる姿……私、ちゃんと見てるもん。私が知ってることなんてほんの一部なのかもしれないけど、それでも私は秋渡くんが今まで楽しそうに矢を射ってたの知ってるよ。でも今の秋渡くんは全然楽しそうに見えないよ。だから誰かのためにじゃなく、自分のために矢を射って。それがきっと結果に繋がるよ!楽しんだもん勝ちってやつだよ!」


その言葉は、不思議と胸に染みた。


まるで氷のように張り詰めていた感情が、彼女の言葉でじんわりと溶けていくような感覚。


「……ありがとう。そんなふうに言ってくれる人が、いてくれるってだけで……少し、救われるよ。そうだな……楽しんだもん勝ちだな!」


僕がそう言うといづみはにこっと笑って、でもどこか少し照れたような声で言った。


「じゃあ、今日もちゃんと見てるからね。カッコいいところ、いっぱい見せてね。……それと今日は魔法をかけてあげるね……特別だよ?」


ちゅ。


「……っ」


頬に柔らかな感触が触れた。

それは暖かく優しい口付けだった。


いづみはまるでなにも特別なことをしていないかのように、さらりと続けた。


「他のみんなは、チームの射に注目してるかもしれないけど、私は違うよ。私だけは――」


そっと、手を離しながら。


「――君を、秋渡くんを見てるから」


その言葉とともに、風が吹いた。


それは秋の始まりを告げる少し冷たい風。でも、心の奥はあたたかくなっていた。


いづみは自分のした事に、我に返ったのか顔を真っ赤にして「が、頑張ってね!」と告げると逃げるように去っていった。

顔を真っ赤にした僕を置いて。


頬に手を触れる。

彼女の柔らかな口付けの余韻を感じて余計に恥ずかしくなった。

夢見心地な気分だ。


僕は顔をパンパンと叩いて気合を入れた。

深呼吸をし、いつもと同じ感じだとわかる。


(行こう。僕なりの、一射を見せてやる)


気がつけばもう、手は震えていなかった。


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