第102踊 天使と悪魔は近くにいる?
季節はすっかり秋を迎え、校舎の窓から見える山の木々は紅葉に彩られていた。緑と赤と黄色が入り混じり、まるで水彩画のように山の斜面を染め上げている。どこかもの寂しくさを感じる秋の景色。
登校中の生徒たちも、もうすっかり上着を着るようになっていた。カーディガンやパーカー、薄手のコート。夏の間は、透けそうなシャツの下にうっすらと見えていた下着のラインが、すっかり見えなくなってしまったことに、男子たちの中には密かに寂しさを感じている者もいるらしい。
けれどそんな寂しさも、今日ばかりは別のワクワクにかき消されていた。そう――今日は文化祭の出し物を決める、ちょっと特別な日だ。
朝のホームルーム。
いつも通り、天使先生が行事予定の話をしていた。けれどその口調には、どこかワクワクが混じっていて、教室の空気も自然と期待感に包まれていた。
「突然ですが、みなさん。夏の藤樹祭では、体育祭と仮装行列がありましたね? では、秋の藤樹祭には何があるでしょうか?」
先生はクイズ番組の司会者みたいなノリで問いかけてくる。誰かが手を挙げようとしたその瞬間――。
「そう、文化祭です!」
……いや、早いよ先生。
「というわけで、今日は文化祭の出し物を考えましょう! クラス委員の2人、あとはよろしくね~」
そう言って、先生はテンション高めに手をひらひらさせながら席に戻った。
クラス委員のヒロキングと上野さんが立ち上がる。ヒロキングはいつもの調子で声を張り上げた。
「よーし、じゃあ! 何かやりたい出し物ある人ー! ジャンジャン言ってくれー!」
すぐにあちこちから手が挙がり、ベタなアイデアが次々と飛び出した。
「メイド喫茶やりたい!」
「いやいや、執事も入れようよ」
「たこ焼きとか出すのは?」
「クレープ食べたい!」
「お化け屋敷も面白そうじゃない?」
教室はすぐに文化祭モードに突入し、みんなのテンションも高め。けれど、どれもありがちな案ばかり。悪くないけど、正直ちょっとつまらない。
そんなことを考えていた僕に、突然ヒロキングの声が飛んできた。
「片桐! お前はなんか意見ないかー?」
「え? あー……うーん……」
いきなりの指名に少しだけ戸惑いつつ、僕は自分なりに思っていたことをそのまま口に出した。
「ベタなのは確かに文化祭っぽいけど、たぶん他のクラスも同じようなこと考えてるだろ? 被ったらどうなるの?」
「うん、それはねー」と、天使先生が補足してくれる。
「基本的に、3年生が優先で、被った場合はジャンケンで決まるかな。だから個性も大事だよ~」
なるほど。だったら差別化は絶対必要だ。
ちょっと考えてから、ふとひらめいた。
「メイド喫茶が多そうなら……じゃあ、天使先生がいるうちのクラスは“天使喫茶”とかどうですか?」
この一言に、教室の空気が一気にざわついた。
「えっ、天使喫茶!?」
「なんかめっちゃ可愛い響き!」
「天使先生も名前使われてニッコニコじゃん!」
案の定、天使先生は満面の笑みで親指を立てていた。名前が由来ってバレバレだけど、満更でもなさそうだ。
そこからさらに意見が飛び交う。
「どうせなら悪魔も入れたらよくない?」
「いいねー! “天使と悪魔喫茶”とかどう?」
「衣装も天使と悪魔で分けたら映えそう!」
こうして我が1年2組の文化祭の出し物は――『天使と悪魔喫茶』に決定した。
天使と悪魔の衣装を身に着けて、お客さんに紅茶やスイーツを出すちょっとファンタジックな喫茶店。提供するメニューも、雰囲気に合わせて“天使のふわふわシフォン”や“悪魔のガトーショコラ”みたいなネーミングにするらしい。
そのメニュー開発リーダーに、なんと咲乃が立候補した。
「私、やってみたい! 絶対面白いの作るから!」
料理上手でセンスもある咲乃が担当なら、味も安心だ。ちょっとだけ期待値が高まりすぎて、お腹が鳴りそうになる。
昼休み。
今日は僕たち2組の放送委員当番の日だった。放送室にこもって、有名なアイドルの曲を流し始めた頃、ドアがバタンと開いた。
「放送委員おつかれさま!秋渡くーん!」
「お昼一緒に食べよー!」
いづみと佳奈がいつも通りセットで現れた。2人ともお弁当袋をぶら下げて、無邪気な笑顔を浮かべている。
「そういえば文化祭の出し物、決まったんだって?」
「うん。“天使と悪魔喫茶”になったよ」
「えっ、なにそれ絶対行く!!!」
「やばっ、絶対写真撮るやつじゃん!」
2人は目をキラキラさせて興奮気味に身を乗り出してきた。
「咲乃ちゃん、絶対似合うよね。天使衣装も小悪魔衣装も、両方とも!」
「ありがとう。どっち着ようか迷っちゃうわね」
咲乃がほほえむ。その笑顔は、たしかに天使のそれだった。けれど、口元に浮かぶちょっとした悪戯っぽさは、小悪魔そのものだった。
「……でもね、あきくんも似合うと思うよ。天使の格好。あきくんは私の天使だから」
「ぶっ!」
突然の咲乃のデレに、僕は飲んでた麦茶を思いっきり吹き出した。
そしてそれと同時に驚くいづみと佳奈のリアクションが重なった。
「ちょっと咲乃ちゃん!? 今、あきくんって呼んだ!?いつの間にそんな関係に!?っていうか私の天使ってなに!?」
「そういえば体育祭のときから気になってたけど……それ、どゆことー!?」
体育祭の時は時折「あきくん」呼びをしていたが、冷静になって恥ずかしくなったのかそれ以降はあまり「あきくん」とは呼ばなくなっていた。
だからみんなあまり気にしていなかったが、だがいまハッキリと「あきくん」と呼んでいた。
僕は口元を拭いながら答える。
「えっと、まあ、幼なじみだからな……」
その瞬間、2人の顔に“ずるい!”と書かれた文字が浮かび上がったような気がした。
「咲乃ちゃんばっかりずるいよー!!」
「幼なじみとか、強キャラじゃんかー!」
幼なじみが強キャラ……たしかにアニメとかだとそのポジションにいることが多いし佳奈の言うことも分からなくもない。
珍しくいづみが興奮気味に話し始める。
「でもさ幼なじみって、負けヒロインになるってアニメで見たことあるけど!?大丈夫!?ねえ秋渡くん、それフラグじゃないの!?」
「どんなアニメ見てるんだよ……」
いづみに賛同するように佳奈も続く。
「いづみの言う通りだよ!“先に出会った”ってだけで勝てるわけじゃないからね!?この時代、後から来たヒロインが逆転勝ちする展開も全然あるんだから!」
「はいはい、じゃあ佳奈は“後から来たヒロイン”ってことでいいの?」
咲乃が小悪魔のようにニヤッと笑って、箸を持った手を顎に当てる。
なぜか佳奈は顔を赤くし、恥ずかしそうに答える。
「そ、それは……うーん……まだ私たちの関係性は未定だから……」
「関係性!?」
なんだか話が変な方向へ進んでいる気がするけれど、止める暇もない。
「じゃあいづみは?幼なじみ枠でもないし、後からきたヒロイン枠は佳奈がとっちゃったし……」
「うーん……私は幼なじみじゃないし、後から来たヒロイン枠でもないし……メインヒロイン枠?」
「なにちゃっかり主役になってんのよ!」
「じゃあ、仲のいい女友達枠!」
「それ脇役よ!」
「でもそのポジションから大逆転するヒロインもいるのよ!?ナチュラルに近づいてくる感じの!」
「……あのさ、みんな、昼ご飯食べようよ?」
僕の提案はあっさり却下された。
「っていうか、咲乃ちゃんはヒロインポジションになってるの? もう決まり? ねえ秋渡くん!」
「えっ、僕が決めるの……?」
「えっ、じゃあ私たちは何ポジションなの!? ねぇ、秋渡!」
佳奈も乗っかりカオスになっていく。
わちゃわちゃと騒がしいお昼休みだ。
天使と悪魔喫茶。
でも、本当の天使や小悪魔は、すぐそばにいるのかもしれない。
そんなことを思いながら、僕は箸を伸ばす。
次は衣装合わせか、それとも試食会か――文化祭までの道のりは、まだまだ騒がしくなりそうだった。




