第85踊 藤樹祭の始まり
二学期も始まり、秋の気配が校舎に忍び寄るころ、藤樹祭の準備も終盤に差し掛かっていた。
藤樹祭までの数週間は、いつもの授業とは違ってどこか特別で、クラスメイトたちの表情にも少しずつ熱が帯びていく。
そして、迎えた本番の朝。
藤樹高校は、まだ陽が高くならないうちから活気に包まれていた。
一日目の目玉イベント、仮装行列に向けて、各クラスが準備に追われている。
僕たち1年2組のテーマは「動物園」。
教室のあちこちで、鏡を囲んで動物の顔をメイクする声が飛び交っていた。
「誰か筆かしてー!」
「ヒゲ、左右対称になってる?」
「俺、全身タイツやっぱ恥ずかしいんだけど!」
わいわいと騒がしいけれど、不思議と心地いい。
「秋渡もこっちにおいで! 顔描いてあげるから!」
その声に振り返ると、クラスのムードメーカー、千穂がウサギ姿で手を振っていた。
白いふわふわの衣装に長い耳、そして胸にはフェルトの人参の小道具。
ぴょこぴょこと跳ねるようにジャンプして手招きしている彼女は、まさに“リアルうさぎ”。
その千穂の前には、レッサーパンダ……つまり、咲乃。
髪を両サイドで結んで、ヒゲと丸い鼻を描かれている最中だった。
小さな顔に、細かいラインが慎重に加えられていく。
完成間近の彼女と目が合った瞬間、咲乃はぱっと視線を逸らした。
「……見ないでよ、秋渡」
頬がほんのり、だけど確実に赤く染まっている。
普段はクールな彼女の、そんな表情が新鮮で、つい口元が緩む。
「いや……すごく似合ってるよ」
素直な感想を言うと、咲乃は一瞬驚いたように目を見開き、次の瞬間にはさらに赤くなった。
「ちょ、ちょっと……そ、そういうの、今はいいから……!」
照れた声で言いながら、身じろぎする。
化粧中なのに動いていいのかなと思いつつ、でもその様子が普段とのギャップで可愛くてたまらなかった。
「うわ〜〜咲乃ちゃん、完全に恋する乙女じゃん!」
千穂がにやにやしながらからかってくる。
手にはまだメイク筆を持ったまま、でも作業の手はすっかり止まっていた。
「うるさい」
咲乃の声は小さかったけれど、その言葉には棘よりも照れが混じっている。
「ねえねえ、秋渡、私のウサギはどう? 咲乃ちゃんだけじゃなくて私のことも見てよ〜!」
千穂がくるっと一回転して、ふわふわの耳を両手で持ち上げて見せつけてくる。
おしりにも丸いしっぽがしっかりと着いていて可愛らしい。
「完璧すぎてびっくりした。胸元の人参がいい味出してる。千穂にぴったりだな!」
「えっ、それ褒めてる? けなしてる?」
「もちろん、褒めてるよ」
そう言うと、千穂は満足げに頷き、そして、すっと僕の耳元へと顔を寄せた。
「……でもさ、本当は“バニー姿”の方がよかった?」
「ブッ!!」
まさかの甘い囁きに、思わず変な声が出た。
心を整える余裕もなく、咳き込みそうになる僕を見て、千穂はくすくすと笑っている。
「こら千穂、調子乗るなっ」
と、その瞬間。
咲乃の足が僕のスネに向かって飛んできた。
軽く、だけどしっかりとした一撃。
「いったた……」
「……顔、真っ赤にしてんじゃないわよ、バカ」
小声でそう言うと、咲乃は腕を組んでぷいっと顔を背けた。
だが耳まで真っ赤になっているのは、隠しようがない。
咲乃と立ち位置を交代して、千穂に化粧をしてもらった。
化粧が終わり狼の衣装をきると、孤高の存在になったような気分だ。
「狼姿、やっぱりかっこいいね!そう思わない?咲乃ちゃん」
「うぇっ!?まぁ、その、うん。かっこ…いいと思う」
照れながら言われるとこっちだって照れてしまう。
和気あいあいとした雰囲気の中、教室のドアがバンッと勢いよく開いた。
「お待たせ諸君!孔雀、舞い降りたぞ!」
その場の空気が一瞬で変わった。
入口に立っていたのは、背中に巨大な羽根飾りを背負い、全身を金と青の羽根で包み込んだヒロキングだった。
「なっ……なにそれ!?」
「クオリティ高すぎ!?」
「すご……!」
教室内に歓声が巻き起こる。
彼は堂々と胸を張り、舞台俳優ばりのポージングで教壇に立った。
「さすがだな……」
孔雀の羽根は確かに派手だが、それに負けない存在感を持つ彼だからこそ、絵になる。
笑いながら、僕は咲乃を見る。
すると彼女も、呆れ顔をしながらも口元が緩んでいた。
「ヒロキング、やっぱ目立つことに関しては無敵だね」
「……孔雀っていうより、派手好きの妖精って感じだけど」
その表現に吹き出してしまった僕に、咲乃もつられて笑った。
たぶん、これが“楽しい”ってことなんだろう。
しばらくして、先生の合図で仮装したままグラウンドへと集合する。
審査委員の前で各クラスが並び、拍手や声援を受けながらアピールタイムが始まった。
僕たちも「1年2組、テーマは動物園です!」と元気よく声をそろえる。
ヒロキングは相変わらずド真ん中で羽根を広げて、注目を一手に引き受けていた。
飼育員姿の天使先生も孔雀のヒロキングには驚いていた。
「どうやったら狩れるかなぁ」と呟いていたが、狩らないでください先生!
アピールが終わると、出発までの間、しばし自由時間となった。
グラウンドのあちこちで、スマホを構える姿が増えていた。
仮装したまま記念撮影をする人たちの笑顔が、まぶしいくらいだった。
「秋渡くん、咲乃ちゃん!」
その声に振り返ると、そこには、煌びやかなドレスを身にまとったお姫様たちがいた。
まるでおとぎ話のワンシーンのように、太陽の光を浴びてきらきらと輝く姿に、僕はしばし言葉を失っていた。




