さよなら地獄
へるたんは真面目だった。
シシリーの代わりをちゃんと努めていた。亡者共同エレベーターに近づく不審者の番を。
5人ほど爪で斬り倒したらしい。
「にゃっはっは! この仕事、楽しいぜよ! 結構他の亡者の善行ポイントを横取りしようとするタヌキみたいなやつ、多いんな! 暴れることが出来て、最高にゃ!」
「じゃ、代わりを頼めるかしら?」
シシリーの言葉に巨大な黒猫が首を傾げる。
「私、現世に戻るの。カイヌシさんと、うーたんと、あっくんと」
「やるにゃ!」
へるたんが乗り気だ。
「店はモッチーナに任せればいいにゃ! あたし、こっちの仕事のほうが合ってるにゃ!」
空からエンマーの声が降ってきた。
『では、本日より、ヘルリアーナを戦士マシャーンに任ずる』
簡単になれるんだ? マシャーンって?
まぁ、飼い主でもなれたんだからな。
犬はモッチーナに鎖で繋がれてしょげ返っていた。
なかなか新しい店を建て直させてもらえないようだ。
モッチーナは暇つぶしに包丁でみじん切りにした泥を犬に食わせていたけど、飼い主が戻って来たのを見ると、怖い顔をぱあっと輝かせた。
「カイヌシ様! よくご無事で!」
「モッチーナさん、ありがとう!」
可愛い動きと陰鬱な顔で駆け寄って来たモッチーナに、飼い主が笑顔を見せる。
なんかレンアイ映画とかいうやつのワンシーンみたいだ。
灰色の地獄の風景がお花畑に見えてきた。
飼い主が頭を下げる。
「モッチーナさんに会えてなければ、私たちは間違いなく飢え死にしていた。ケンさん食堂を無事に潰せたのも貴女のおかげだ」
犬がぶすくれたみたいに伏せてしまった。
「お別れの挨拶みたいなことを仰いますのね」
モッチーナが可笑しそうに笑う。
「わたくしたちの未来はまだまだこれからですのよ。ク、クククッ……」
「お別れなんです。モッチーナさん」
飼い主が勇気のいることを、あっさり話しはじめた。
「私は善行ポイントを千以上貯めることが出来ましたので、天国ではなく、現世へ帰ります」
「え……」
モッチーナの赤い唇が歪む。
「現世へ帰り、うーたんと、あっくんと、そしてシシリーと四人で暮らすことになりました」
「し……、シシリー様も……?」
「ええ」
言うな、飼い主!
「私とシシリーは現世に帰り、結婚する約束を交わしました」
サップーケーな地獄の空気が、真っ暗になった。
雷が走り、不吉な風がぴゅるりるるりると吹いた。
モッチーナの右手がぴくりと動き、素早くどこかから巨大な出刃包丁を取り出した。
シシリーが飼い主の背中からひょっこり顔を出し、にこっと笑った。
「わたくしとのことは……」
シシリーに戦闘力でかなわないと思ったのか、モッチーナが動きを止めて、涙を流した。
「遊びだったのでございますね」
いや、何もなかったろ。
「それじゃ、私たちは帰ります今までありがとう」
飼い主がシシリーの肩を抱いた。
モッチーナが持ってた巨大出刃包丁を、がっこーん!と落とした。
そしてひとりごとをいう。
「わたくし……、27年の人生で初めてでございましたの。殿方を好きになるなんて……。でも、想いが散るのはこんなにあっという間なのでございますね。ああ……、これが失恋。……見てらっしゃい。失恋は女を美しくすると言うわ。私、もっともっと綺麗になって、あなたよりもっといい人を捕まえてやる!」
そうしてモッチーナは巨大出刃包丁を拾い上げ、地獄の天高く掲げた。おれはなんか面白くてじっと見てた。
一応、声をかけてみた。
「モッチーナも来いよ。一緒に暮らそうぜ。おまえがいると面白そうだ」
「にゃっはっは!」
おれの後ろにいたへるたんが笑い飛ばした。
「モッチーナは悪行ポイント12万8千ぜよ。百年あっても現世には戻れにゃ〜わ」
「現世に未練などないと思いましたのに……」
モッチーナがうなだれる。
「地獄にいるまま天国に昇る気持ちで、毎日頑張って亡者を食材にして来たのに……こんな報いを受けるなんて」
「モッチーニャ」
へるたんが優しい目をして言った。
「あたしは地獄の戦士マシャーンになったにゃ」
モッチーナがびっくりしたように目を剥いた。
へるたんは早速銀色の鎧に身を固めていた。
「店はおみゃ〜に任せるにゃ。これからあの店は『ヘルリアーナの店』改め『モッチーナの店』ぜよ」




