第五十二話 奮起
「確かに、好き勝手戦えるのは傭兵のメリットだ。結果さえ出せば文句は言われない」
したり顔で言いながら、ヴァレンティナはどんぶりに入った生卵をかき混ぜ始めた。手元を見ることはせずに、視線は輝星に固定されたままだ。
「しかし、きみはそれに限界を感じているはずだ。戦場において一個人がなせることなど、たかが知れているからね」
「その一個人に主力艦隊をひっくり返された人が何をいうんです?」
馬鹿にするような口調でシュレーアが言い返した。確かに、ルボーア会戦での帝国の敗北は輝星の直接的な活躍によるものだ。戦力差二倍以上で負けるなど、そうそうあることではない。
だが、言われた方のヴァレンティナは涼しい表情だった。ふんと鼻で笑い、口角を上げる。
「今はそういう事を言っているんじゃないのさ。皇国の勝利と、我が愛の勝利はイコールではない」
冷たい声の指摘に、シュレーアはむっと口を尖らせた。反射的に言い返しそうになったが、やみくもに突っ込んだところでいいようにあしらわれるのは目に見えている。数秒考えこんでから、ゆっくりと口を開いた。
「……たしかに、あの戦いでは大勢の戦死者が出ました。輝星さんにはつらい役目をさせてしまったと思います」
輝星自身が手を下したわけではないとはいえ、彼の援護の結果五隻もの帝国戦艦が撃沈されたのだ。砲戦に巻き込まれた補助艦艇や大型巡洋艦などの被害も考えれば、総戦死者は下手をすれば五桁に届くかもしれない。"死なせない"ことを主眼にしている彼からすれば、不本意な結果だろう。
「ですが、あれですらあり得ないほど素晴らしい結果です。一歩間違えれば虐殺まがいの惨敗を喫し、避難民が大勢詰めかけて避難もままならない皇都を終末爆撃が襲う……」
遠い目をしながら、シュレーアは最悪の結末を語った。しかし、そういう結果になる可能性は極めて高かったのだ。当事者からすれば、感謝しこそすれ文句を言う通りなどない。
「そうなれば死者は数百億を超えるでしょう。それに比べれば、よほどマシです」
「それについては同感だよ」
取り箸で鍋から肉を引っ張り出しつつ頷くヴァレンティナ。先ほど追加の具材が来たため、鍋にはたっぷりの肉と野菜が乗っている。
「味方とはいえ、姉上はやりすぎだと私も感じている。まったく、なぜこんな非道な手段にでたのか、わたしには理解できないな」
敵国とはいえ一般民衆ごと惑星上を焼き払う終末爆撃は、彼女も当初から一貫して反対の立場をとっていた。
「だが、しかし……この馬鹿げた戦いを、唯一余計な死者を出さずに止められる人間が一人だけ居る。わかるかな?」
「……皇帝。ノレド帝国の」
黙ってネギを食べていた輝星がぼそりと呟いた。もともとこの戦争は領地欲しさに帝国側から一方的に仕掛けてきた戦争だ。その帝国の最高権力者であれば、確かに戦争を止められるだろう。引き金を引いた本人なのだから。
「その通り」
わが意を得たりとばかりにヴァレンティナが頷いた。もっとも、いかな貴族主義専制国家とはいえ、国を動かしているのは皇帝一人ではない。たとえ皇帝が反対したところで、結局戦争になっていた可能性は十分にある。
それに思い至らないのは、ひとえに彼女の若さからだろう。政治に手を出さず、一軍人として過ごしてきた彼女のこれまでの生き方にも原因がある。
「わたしの皇位継承権は最下位だ。皇帝の座など、生まれてこの方眼中になかった。……だが、きみに出会って考えが変わった。大きなことを成すには大きな力が必要だ」
「ま、常々それは思ってるよ、俺もね」
輝星は軽いため息を吐いた。それを見て、シュレーアが眉を顰める。
「輝星さん」
「いや、大丈夫。結局、政治力なんてのは俺の魂と体の延長線上に存在するチカラじゃないんだよね。俺が何とかできる範囲は、自分の手が届く場所までだ。政治でどうこう、というのは……」
「それに、この女のことです。うまく輝星さんの力を利用して、自らの野望を叶えようとしているとしか思えませんね」
不信感に満ちた目つきでヴァレンティナを睨むシュレーア。子飼いの部下として輝星を使えば、皇位継承レースはうまく進めることなど容易なことだろう。
双子三つ子も普通なヴルド人においては、家督の継承権は生まれ順ではなく能力で指定されるのが普通だ。家長が生きているうちに成果さえ上げれば継承権も繰り上がる。
「性欲も野心も満たそうとは……なんという不埒な女か」
「流石にそこまで言われたのは生まれて初めてだよ」
さしものヴァレンティナも苦笑が隠せなかった。頬を掻き、つづける。
「当然だが、そのつもりはないよ。愛する人を薄汚い政争の矢面に立たせるつもりはない」
「数回しか会ったことのない相手に愛だのなんだの、よく言えるねえ」
感心すればいいのか呆れればいいのかわからない様子で輝星が呟く。当たり前だが輝星にそのつもりはない。彼とて健全な男だ。ベッドインすれば三途の川が見えてしまいそうな手合いと結婚するつもりはさらさらない。
「ふっ、回数など大した問題じゃないさ。きみと会ったあの日、わたしの心は激しく震えたんだ。これこそが真実の愛、殉じるべき道だとね」
「うわお」
歯の浮くようなセリフをぶつけられて、輝星は思わず肩をすくめた。その前ではシュレーアが吐きそうな顔をしている。
「だからこそ、わたしは一人でも戦うとも。必ず皇位をこの手にし、きみを迎えに行く。それまで、どうか待っていてほしいな」
さらりと指先で輝星の頬を撫でつつ、耳に息を吐きかけるようにささやくヴァレンティナ。シュレーアが即座に立ち上がろうとしたが、ヴァレンティナはすぐに身を離してにやりと笑った。
「おおっと、すまない。失礼した」
「ふん……次に目に余ることをすれば、店からたたき出します」
「おお、怖い怖い」
笑顔のままヴァレンティナはそう言うが、ふと左手に着けたミリタリー・ウォッチにちらりと視線を向けた。笑顔が消え、小さくため息を吐く。
「……しまった、そろそろ艦に戻らねば。まったく、楽しい時間とはあっという間に過ぎるものだな」
「あれ、もう帰るの? ちゃんと腹いっぱい食べた?」
「はは、我が愛は優しいな。大丈夫さ、十分に堪能させてもらった」
手をひらひらとふるヴァレンティナ。言われてみれば、いつの間にか鍋の中身は減っている。輝星は小食気味の人間だし、シュレーアは食事どころではなくなっている。犯人はヴァレンティナだろう。
「では次に会う時まで壮健であっておくれ、我が愛よ」
そういってヴァレンティナは立ち上がり、そして一瞬の隙をついて輝星の額にキスをする。柔らかい感触に、思わず輝星が身を引く。
「こ、こ、この破廉恥女! ゆるさんっ!!」
「ははは、撃たれる前に退散しよう。ではな!」
銃を即座に抜くシュレーアに笑みを投げかけつつ、ヴァレンティナは風のように去っていく。後に残されたシュレーアは、怒りからか肩で息をしていた。
「く、くそ……次会ったらタダでは置かない……」
「お、落ち着こう。な?」
いつもの敬語すら忘れて激怒するシュレーアに、思わず輝星は身を乗り出して彼女の肩を揺すった。ふうふうと荒い息を吐きつつ、ギラギラとした目つきを輝星に向けるシュレーア。
「ウジウジ悩むのはもう止めです。自分がいま弱いのは仕方ない……しかし、何としても強くなり、ヤツを仕留めます。絶対に!」
嫉妬と怒りの炎を燃やす彼女の目に、泣いていた時の弱気な雰囲気など微塵も残っていなかった。





