3.始まった特練とイジメ
私は、ソプラノ、アルト・テナー・バスの『四声』の中でもメインで曲をリードする『ソプラノ』パートとして、『青少年リコーダーコンクール・アンサンブル部門』出場代表部員五人の内の一人に、一年生にして異例の大抜擢を受けたのだ。
河合先輩は、重厚な低音域を担う『バス』パート担当で、代表部員のまとめ役だった。
『全国大会出場』を賭ける『県大会』に向けての厳しい『特別練習』が始まった。
それは私の想像を遥かに超える練習だった。
陸トレ、ピッチの練習が終わった後に、代表はリコーダー部顧問の金谷先生が指導する集中練習を受ける。
金谷先生はアラフォーの見た目は年齢よりもっと若い綺麗な女性の音楽教師。物当たりが柔らかく、品の良い物腰柔らかで穏やかな落ち着いた先生だけど、演奏指導となると雰囲気がガラリと変わる。
「三浦さん! その三連符。もう一度!」
「ダメダメ。もっとこう謳うように」
容赦なく、先生の声が飛ぶ。
コンクール代表部員に対しては決して妥協せず、先生が要求することが出来るまで何度でもNGを出す。
それが『特別練習』だ。
私以外の代表は全員三年生の先輩達という中で、私はソプラノ担当として曲を引っ張るどころか、足手まといでしかなかった。
◇◆◇
「三浦さん。あなたは外れなさい。自分のパートだけでなく、廊下で全パートをさらうように」
先生が短く一言そう言った。
とうとう見放された……そう思った。
楽譜とリコーダーを持って一人、廊下で練習を始めると、
「所詮、一年生に代表なんて無理なのよ」
「自業自得。ついていけずにボッチ練習なんて惨め」
聞こえよがしにクスクス嘲笑う意地の悪い部員の声が私の耳に響く。
どうして。
何故、こんな思いをしなきゃいけないの……。
ぎゅっとリコーダーを持つ手を握り締める。
泣いちゃいけない。
泣いては負け……。
そう思うけれど、冷たい雫がやはり一筋流れるのを抑えることは出来なかった。
◇◆◇
「あと一周!」
先輩の声が響く。
いつもの陸トレで校庭をランニングしている時。
その日は朝から調子の悪い日で、私はよほどクラブを休みたかったけれど、代表部員である以上それは許されないことを知っていた。
だから、無理に走っているけれど。
気分悪い……。
どうしようもない怠さを感じている。
こんな日に限ってドリンクを忘れるなんて……。
やうやく陸トレが終わり、皆が更衣室へと向かう中、私は一人、皆の後ろからのろのろと歩いていた。
「三浦」
後ろから声をかけられ振り向くと、
「河合先輩」
「調子が悪そうだけど」
「は、い……いえ」
支離滅裂な言葉を呟く。
「これ」
「え?」
「ドリンク忘れたんだろ。今日は俺、まだこれ飲んでないから」
「で、でも……」
「いいから」
先輩は有無を言わさず、私にその黒いサーモスのマイボトルを手渡した。
「すみません……。頂きます」
私は軽く頭を下げ、両手でそれを受け取った。
間接キス……なんて馬鹿な単語が私の頭をよぎるのを無視して、ごくごくと喉を鳴らす。
この暑くなってきた季節、その冷えたスポーツドリンクは喉を潤して美味しかった。
「先輩……」
しかし。
飲み終わると同時に、私の口からその言葉が漏れ出ていた。
「何故。私が代表なんでしょうか」
先輩は暫く黙っていた。
「三浦」
「はい……」
「それは君が出す美しい音に聞くといい」
「美しい……?」
私が出す音に聞く……?
先輩の顔を見つめる。
先輩は黙って私を見つめ返し、ポンと私の頭を軽く叩くと、
「音楽資料室で待ってるからな」
と言い残して私の先を行った。
それは「逃げるなよ」と言われたようで、私は自分が恥ずかしかった。
けれど。
その日も。その翌日も。
私は他の代表部員との合同練習には参加させてもらえなかった。
「ダメ」
金谷先生のその一言で、私はボッチ練習……。
私はもう何を信じて、何を心の拠り所にすればいいのかわからなかった。
◇◆◇
昼休み。
音楽資料室を私は訪れていた。
「三浦さん?」
金谷先生が机から頭を上げた。
「金谷先生」
私は先生の机に詰め寄った。
「どうして。どうして私が代表なんですか? 私には……私には到底無理です!」
叫ぶように私はその言葉を絞り出していた。
先生は私を見つめた。私は縋るように先生を見る。
先生は静かに、けれどしっかりとした声で言った。
「あなたは、あなたの音をよく聴きなさい。あなたにしか出せない音を」
「先生……」
「楽譜をよく読んで。見えてくるはずよ、あなたには」
そう言うと先生は、
「行きなさい」
と、短く言ってまた視線を机に戻した。
私にしか出せない、音……。
そう言われてもその時の私には、それはまるで雲を掴むような言葉だった。
◇◆◇
「誰が……こんな……」
その日、私が登校すると、酷い落書きがされた上、ズタズタに引き裂かれたコンクールの楽譜のコピーが靴箱の中に入っていた。
「酷い……」
大切な楽譜にこんなことをすることも私には信じられない。
私は泣くのを堪えるので精一杯だった。
私に対する部員の『イジメ』はエスカレートして行った。
私のマイリコーダーがなくなることも多々あった。
流石にまずいと思ってか、わかりやすいところに隠されていてすぐに見つかるけれど、それらは巧妙に執拗なまでに繰り返された。
私に対する他部員の嫉妬、やっかみ。特に二、三年生で代表漏れをした先輩達からの攻撃はそれは凄まじかった。
「侑里ちゃん……」
同じ教室、同じクラブの中にいるのに、侑里ちゃんはまるで私のことなんか目に入っていないかのように他の子達とばかりつるんでいる。
あれほど仲が良かったのに……。もう何日も口をきいていない。侑里ちゃんもまた、まるで別人のように私を無視するようになっていた。
私はすっかり孤立してしまい、どうしていいかわからず途方に暮れるばかりだった。




