01 エゼルヘイム
辺獄を出たカワードとキャサリンが先ず向かったのは、かつてキャサリンが拠点としていた街『エゼルヘイム』であった。
エゼルヘイムとは、辺獄を領土として保有する国家、ヌール帝国が辺獄攻略の為に作り上げた拠点都市である。政策としても様々な優遇がされている為、一流の冒険者や傭兵、猟師が集まる。
ヌール帝国とは、ランスオルム大陸と呼ばれる大陸最大かつ、辺獄、そしてエゼルヘイムを領地に持つ国家であり、帝政であるため皇帝が存在しているが、しかし実質的な政治的権限は皆無に等しい。この点では男の記憶にある、現代日本における天皇制に近く、肝心の政治に関しては貴族により構成される上院と、国民であれば何人であっても任命されうる下院によって運営されている。
エゼルヘイムはこの上院、下院共に議員の三分の二以上の賛成をもって可決された辺境の開拓に関する特別法案により遂行される国営事業の為に作られた都市である。増え続ける人口に対する解決策として、辺境の開拓――という名目での口減らし、上手く巡って土地の開発が進めば儲け物、という狙いがある。
そうした理由から、外部から人の流入が多いため、カワードのような異国の旅人……と思わしき外見の者が訪れることも珍しくはない。
しかし、無条件で人の流入を受け入れているはずもなく、過度な治安の悪化や、移民による実質的な占領等様々な問題を鑑み、城壁により守られている都市部への入場には国から発行される何らかの身分証の提示が必要となる。
故に本来であれば、カワードはエゼルヘイムへと入場することは敵わない。しかし、キャサリンの身分証はヌール帝国の隣国、王都魔術院にて発行された非常に信頼度の高いものであり、キャサリンが保証人となる形で、もう一名の同行――つまりカワードの入場も認められる。
幸い、キャサリンの身分証は辺獄での生活の中で失くすことがないよう、大切に拠点にて保管されてあったため、問題なく使用することが可能である。身分証の有効期限は五年であり、最後にエゼルヘイムを訪れてから一年ほど経過した現在でも期限は切れていない。
当然、そうした事前知識も含め、キャサリンの『同行人』としての『設定』もカワードは共有済みである。
よって当然――既に目前まで迫ったエゼルヘイム入場門前にありながらも、カワードには動揺した様子も無かった。
自身がゴブリンであることを証明しかねない、頭部の角に関しては、ニット帽に似た構造の被り物を頭部に着付けたことにより、見事に隠し通している。
「――ようこそ、エゼルヘイムへ。身分証の提示を」
二人が入場門に差し掛かると、騎士らしき格好をした男が一人、話しかけてくる。カワードは、恐らくは彼が入場を管理する担当者なのであろう、と推測した。
「身分証ね、はい」
キャサリンは、事前に用意してあった身分証を提示する。これを受け取り、男はお待ち下さいとだけ言い残し、控室らしき小さな小屋らしき場所へと向かう。中に入り、恐らくは身分証に問題が無いかどうかを確認しているのだろう、とカワードは考え、僅かに生まれた退屈な時間を、周囲の景色を観察することで誤魔化す。
エゼルヘイムの構造は、都市機能の中枢となる都心部、その周辺に人々の生活拠点となる都市部が広がり、これを守るような城壁によって囲まれている。城壁外縁部には耕作地や、都市部にて生活することの出来ない貧困層の集まる小規模なスラムが存在し、さすがに入場門周辺では管理が行き届いているのか、スラムらしき光景は見当たらない。
広がる耕作地に植えられているものは、恐らくは根菜と思われる、青々と地表に広がる葉に可食部らしき部分が見当たらない作物がどこまでも植えられている。よく目を凝らしてみれば、遠くにはごく一部だけ、麦か何かに該当しそうな背の高い作物も見受けられるが、殆どは同一の作物、カワードの近くにも作付けされている根菜らしき植物であった。
そうして風景を眺めて数分程経過した頃、小屋から数名の騎士らしき姿の男達が姿を現す。そして、キャサリンが身分証を提示した男が険しい表情を浮かべて近寄ってくる。
「申し訳有りません、確認なのですが、こちらの身分証に関しては死亡届が提出されているのですが……ご本人でお間違い無いですね?」
「ええ、その件についても詳しく話をしたかったところなの。ちょうど良かったわ」
言って、キャサリンは自分の事情について男に話しだす。
まず、一年前に起こったパーティメンバーによる強姦未遂事件についての詳細。その過程で――キャサリンは辺獄を辛うじて脱出出来たものの、負傷し、行き倒れていた。そこを偶然通りがかった『旅人』のカワードが救出した為、辛うじて一命を取り留める。その後、カワードの旅に付いていきながら庇護を受けつつ、傷を癒やしていた。
強姦未遂に遭ったため、恐ろしさが上回ってエゼルヘイムへの帰還は後回しにしていたものの、カワードが旅の目的の為にエゼルヘイムへ向かうと知り、遂に戻ることを決心した。
――という、事前に話し合ったとおりの『設定』をすらすらと話すキャサリンであった。
「なるほど……では、そちらの旅人の、えっと」
「カワードという」
「はい、カワードさんの目的は?」
「武者修行の旅の途中だ。エゼルヘイムは身分証無しでは入れないと聞いていたが、どうやらキャサリンの身分証であれば、俺も一緒に入ることが出来るらしいと知ったもんでね。有名な辺獄の冒険者達との手合わせを願い、ここまで来た」
「なるほど、旅の武人というわけですか」
修行のために旅をする武人、というのはこの世界においてそう珍しいものではなく、辺境を中心に旅する者であれば身分証を持たないという状況もありえなくはない。
そうした理由から、カワードの設定はキャサリンによって提示され、また、実際のカワードの目的からも乖離しておらず、ボロが出づらいとも考え、採用された。
「わかりました。死亡届が出ているにも関わらず、本人が帰還した時点でこの届出の信憑性は皆無ですから、身分証は有効です。一応、死亡届を提出した冒険者ギルドの方に行って手続きを済ませ、死亡届の取り下げを行ってもらいたいのですが、それは可能ですか?」
「もちろんよ、っていうかそのつもりが無ければ戻ってきたりしないわ」
「わかりました」
言って、男はキャサリンへと身分証を返却し、カワードには狩りの身分証代わりとなる証明証の紙を一枚差し出した。
「では、今度こそ、ようこそエゼルヘイムへ。そちらの仮入場証明証の期限は一週間しかありませんから、それまでにどこかの機関で正式な身分証の発行を行ってください。武人さんであれば、冒険者ギルドが一番かと思いますが、まあその当たりはおまかせします。ご同行されている魔術師様とご相談の上で決めてください」
「ああ、分かった、感謝する」
言って、カワードは仮入場証明証を受け取り、キャサリンと共にエゼルヘイム入場門をくぐり、都市部へと向かっていく。
そうした二人の姿を見送りながら――男は独り言をつぶやく。
「……それにしても、あの武人さん、おっかない顔つきしてたなぁ」
「ははっ! まるでオーガか何かかってぐらいの顔だったな、ありゃあ損するぜ、冒険者に魔物と間違われて襲われかねない」
「違いない、まあ本人もそれぐらいは経験済みだろうし、まさか本物のオーガってわけでもないだろうから、なんとかなるだろうさ」
言って、男とその同僚らしき、後方に控えていた騎士たちはカワードの姿をもう少しだけ見送った後、それぞれの仕事に戻る。
まさかそのカワードが正に魔物そのものであり、しかもオーガではなくゴブリンであるとは、誰も想像だにしていなかった。




