『追放者達』、敗北する
────確かに、アレスは油断していた、と謗られても間違いでは無い状態となっていた。
魔王と思わしき相手が予想の通りに現れたものの、それが想像していたモノとは明らかにかけ離れた姿をしていたが為に、虚を突かれる形となっていたからだ、と言い訳をする事は可能ではあったが、やはり結果的には『油断していた』と言えてしまうだろう。
何せ、確実に【敵】だと分かっている存在を前にして、その様な意識の隙間を作ってしまっていたのだから。
明確に、自ら敵である!と名乗りを挙げられた訳では無い、とは言え、その立場や存在自体が潜在的な敵対者である、と理解した上で意識を呆けさせ、棒立ちになり、戦場に立っている、との認識を自ら手放す事をしていたのだ。
なれば、相手方が先に動き、事を成していたとしても、何ら不思議な事では無いだろう。
何せ、彼が仮に、そういう立場の存在と相対していたとするのならば、先ず間違いなく同じ様に仕掛けていた事なのだから。
────故に、勝負は始まる前から終わっていた。
油断し、棒立ちとなっていたアレスが、自らの視界の先、未だに優雅にソファーへと腰を降ろしながらカップを傾けている様にしか見えない【魔王】の左手に、至極見覚えの在る腕が握られている、だなんて状況になってしまっていたのだから。
気付いたアレスは、信じられないモノを見た、として沸き起こる衝動の一切を強制的にシャットアウトし、ぎこちなく視線を下へと下ろして行く。
すると、そこには、僅かに肘を曲げて柄頭へと添えていたハズの左腕だけでなく、重心の傾け具合等によって偽装していたハズの利き腕である右腕までもが普段収まるべき場所に収まっておらず、断面から遅れて激しく出血して行く光景のみが映し出されていた。
「………………お、おいおい。
マジかよ……勘弁してくれや……」
意識的に留めていた激痛と喪失感が同時に襲い掛かって来る事となり、思わず言葉を零すアレス。
幾ら油断していたとは言え、一瞬たりとも視線は外していなかったはずなのに、と続く失血と受けたダメージによりその場で蹌踉めくが、どうにか意地と根性で倒れ込んだり膝を突く事は辛うじて堪える事には成功する。
が、それと同時に違和感が彼の脳裏を駆け巡る。
何故、自身がここまでのダメージを受けているのにも関わらず、仲間達は未だに何のアクションも起こしてはいないのだろうか?と。
普段であれば、仮に自分だけが油断していた訳では無かったとしても、半ば反射的にガリアンが盾を構えて前へと飛び出して、セレンが引きずってでも後ろに下げて治療を開始する事になるハズだ、とアレスは思考する。
それが為されていない、と言う事は、理由としては『出来ない』状態に在る、と見るべきなのだろうが、彼らが一人残らず、一瞬で抵抗も出来ないままに無力化される、だなんて本当に起きうる事態なのだろうか?
自ら至った結論に、俄に信じられない心持ちにさせられるアレス。
しかし、そうとしか思えない現状に、思わずある種の恐怖すら感じながら下げていた視線を背後へと回すと、そこにはある意味で予想の通りの光景が広がる事となってしまっていた。
…………そう、そこに広がるは血の海。
誰もが、何処かしらを欠損しながら床へと蹲り、苦鳴すらも零せずに無言のままで激痛に耐え、意識を繋ぐ事に集中していなければ、すぐにでもその命を終える事になってしまうだろう事が容易に想像出来る状態にて、頼もしい仲間達がそこには在った。
勿論、彼らもこの事態をどうにかしよう、とは藻掻いていた。
腹に風穴を空けられ、片手で抑えてはいるもののそこから既に腸をはみ出させているガリアンも、片腕と片足を同時に喪い、今にも意識を消失させそうになりながらも必死に回復魔法を展開しようとしているセレンも、半ば無駄だと悟りながらも必死にどうにかしようとはしていたのだ。
当然の様に、後方要員であるタチアナと、従魔達との連携が主なナタリアの二人は完全に戦闘不能。
辛うじてヒギンズは左腕を喪う程度で済んでおり、既に『聖槍』を取り出して構えているが、その額からはあからさまに激痛によるモノとは異なるであろう汗が滴っており、普段であれば如何なる時も浮かべられていた草臥れた笑みは掻き消され、緊張によって引き締められた口元のみが晒される事となっていた。
…………既に、戦う以前の問題となってしまっているこの状況。
まともに立っていられている者は既に無く、リーダーであるアレスも倒れるのは時間の問題であり、唯一戦えそうなヒギンズすらも、傷を癒せる者が居ない以上は長くは戦う事は出来ないだろうし、何より相手となる【魔王】がこの状況を作り上げた張本人である以上、辛うじて反応出来たとしても彼らの二の舞いとなるのはまず間違い無い事象だろう。
────敗北。全滅。
その二つの単語が、アレスの脳裏を過る。
既に、長く冒険者として活動しており、勝てずに敗れて逃走する、だなんて事も、アレスは幾度も経験していた。
それに、この世界に於いて自分達こそが最強の存在であり、絶対に何処の誰にも負ける事は無く、そうなるのは有り得ない、だなんて妄想を欠片も抱いた事は無かった。
…………だが、それでもこのパーティーで活動する内に考えてしまっていたのだ。
このメンバーであれば、勝てない存在を相手にしてしまったとしても、最悪誰一人欠ける事無く逃げ果せる位ならば出来るハズだ、と。
その信頼が慢心を招いた、とも取れるだろうが、流石にそうはアレスも思いたくは無かった。
が、現実として、こうして彼らは敗北を目前としており、全滅の憂き目に遭遇しようとしていた。
辛うじて戦闘不能に陥っていなかったヒギンズが、重傷のアレスを庇おうとして前へと出て来る。
しかし、既に留める術も失ってしまっていたアレスの出血が限界に達する事となってしまい、霞む視界と喪われようとする意識の中で、流石の彼も床へと膝を突く事となってしまう。
そんな彼らの様子を目の当たりにしてか、それまで碌に興味を持っている様子すらも見せていなかった【魔王】が傾けていたカップを眼の前のテーブルへと下ろして行く。
そして、音も無く置くと、未だにアレスの腕を持ったまま彼らへと視線を向け、初めてその口を開く事となる。
「…………やれやれ、【魔王】たるこの妾の配下を幾体も降した、と聞いていたから、どれ程の益荒男かと思えば、この程度で立つ事も出来なくなるとは、今代の『特異点』は随分とヤワな様子よな。
此奴が『特異点』で、本当に間違いは無いのか?
少なくとも、聞いていた通りに、何が何でも妾の心臓に剣先を突き立てる!だなんて気概は欠片も感じられないのはその通りであるが……」
鈴を転がす様に軽快であり、脳を蕩かす様に甘く妖しい声色が耳朶を叩く。
内容は随分と毒を含み、確実に目の前にて広がっている光景に対しての強い呆れと失望を滲ませるモノとなっていたが、ソレに抗議する事すらアレスには既に出来なくなってしまっていた。
霞む視界と遠くなる聴覚。
そんな最中であっても、いや、だからこそ、と言うべきなのかも知れないが、途絶えそうになるそれらの感覚は、【魔王】を名乗ったその女が未だに握っていたアレス自身の腕を持ち上げて顔に近付けた事を伝えて来ていた。
「…………既に口も訊けなくなったか。
まぁ、良い。
最悪、妾の知りたかった事は、コレさえ在れば判る事ではあるからな。
どれ、逸ったバカタレの弔いもほぼ済んだ事だし、持ち帰って調べる前に一つ軽く確認を………………おん?」
そして、未だに血の滴るアレスの腕へと鼻を近付け、軽く一嗅ぎした【魔王】は、変な声を上げて固まる事となる。
ソレを訝しむ事すらも最早出来なくなってしまっていたアレスは、更に犬の様に鼻を鳴らしながら匂いを嗅いでいたり、最後には滴る血液を直接口に含んで驚きの声を挙げる様を、理解する事無く視界に収め、そのまま意識を暗黒の中へと手放す事となるのであった……。
主人公一乙
けどまだ少しばかり続くんじゃ




