第七話
みなごろしにする―――アケミが口にしたその言葉の意味が全く腑に落ちないカリアだったが、いざ始まってみれば語るに及ばず。要するに、本気になるということだった。
とはいえ、アケミの本気とはやる気の問題でも力加減の話でもない。強いて言うなら「匙加減」だ。シロモリは戦うためではなく、斬るために剣を抜くという。つまり生かすか殺すかは急所を斬るかどうかであって、手を抜くという事ではない。
「鏖作戦」に関するエイナの説明はこうだった―――
「いいか、絶対に隊長の十五メートル以内には入るなよ!? どんなにピンチに見えても助けに行こうとすんな! 十メートル以内に入ったらお前が死ぬ……絶対死ぬ! というか、お前が私から離れるな! お前の役割は私たち三人のフォローをすることだ。いいな! 絶対だぞ!!」
何度「絶対」と繰り返すのかと呆れそうになったが、ギャランもノーマンも真顔だ。その理由は突入してすぐにわかった―――。
「ぎゃあっ!!」
「ふぐおぉ…!!」
…叫べるものはまだマシだっただろう。アケミの握る長刀が閃く度に鮮血の雨が降る。積極的に突撃し、十メートル以内に入ったものを片っぱしから裂いていく。もはや伝説に聞くバーサーカーだが、アケミ自身は淡々と、その眼は怖ろしく冷たい。人を斬るというより精肉の解体作業をしているようで、感情値がゼロだ。
ああ、これは人の所業じゃない。鬼だ。だから「長刀斬鬼」なのか…。
「ボケっとすんな!」
現実から思考が離れかけていたカリアの尻をエイナが蹴る。曲がりなりにも戦闘中であり、加減などない。
現状カリアができることはほぼない。アケミから離れて二十メートル後方からエイナとギャランが弓で援護するだけだ。具体的にはアケミの攻撃範囲外の敵―――建物の三階などからアケミを狙う敵を狙う。エイナはまだしも、小柄なギャランは弓を引く力が弱いため飛距離が稼げず、牽制になっているかどうかも怪しい……しかしそれでも十分だった。矢で狙われようとアケミは当たらない。大して見上げていないのに、どこから射られているのか見えているようだった。
「あー……だから嫌だったんだよなー…」
ぼやくギャラン。矢の狙い先が大分おざなりになっているが、そうこうしている内にアケミはあらかた敵を斬り倒してしまった。広い敷地の庭は一面に血が沁み込んでしまっている……だが積み上がる死体の山など目もくれず、アケミは長刀を担いでさっさと屋敷の中に突入してしまう。後ろに控えている四人に合図も送らない。
「続くぞ!」
エイナの掛け声でアケミの後を追う―――。
「隊長、前とは違うな」
「え!?」
ノーマンの声は独り言か話しかけたのかわからなかったが、カリアは声を拾って返事してしまった。
「前…ブロッケン盗賊団の時も同じようなことをやって、途中で剣が折れた。でも今回はそうならないようにしてる。敵の攻撃を剣で受け止めていない」
それはカリアにもわかる。アケミの剣はほとんど後の先…襲いかかってくる相手にカウンターで合わせている。剣の振りがとてつもなく早いこともあるが、「合気」の体術も卓越しているのだ。カリアもガンジョウ師範に手ほどきを受けたが、なんとなく感覚を掴めただけで、実戦で使えるレベルではない。
先行したアケミが蹴破ったドアを抜けると、ロビーで待ち構えていた敵は一掃されており、アケミは二階に続く正面階段を上った先の二人を倒していたところだった。そのまま進むと、アケミは急に二階の踊り場で足を止めた。そしてちょいちょいと手招きする……。
カリアがエイナに判断を求めるとエイナも不思議そうな顔をしながらも慎重にアケミに近づく。十メートル以内に入る―――…
「――悪い、ちょっと休む。ノーマン、懐紙」
壁に背を付けてもたれかかるアケミは息を上げていた。アケミは受け取った懐紙で長刀の刃を挟み、ぐっと滑らせると、拭いとられた血がばしゃりと音を立てて床に落ちる。一通り拭えたことを確認して長刀を鞘に納めると、アケミはがくりと項垂れてしまった。
「おい! 大丈夫か!?」
「大丈夫だ、騒ぐな。どこもやられてない。ちょっと息止めてただけだ……むせるからな。だがそれも―――」
すうっと息を吸い込み―――――…深く、吐き出す………。これだけでアケミの呼吸は落ち着いた。
「まあこんな具合だ。体力もまだ持つ。一応百人抜きした逸話もあるんだぞ。余計な心配するな」
「でもなんか、辛そう―――」
「…いいかげんにしろ」
髪に付いた血を拭おうとするカリアの手をアケミは払いのける。その口調は強く、周りのエイナたちもびくりと肩を震わせた。
「お前が最優先で考えるのはアルタナディアのことだけだ。お前らの陣地が壊滅したのを知って、最悪の結果を想像して不安になってるんだろ。そしてそれを考えないように目の前のあたしにばかり目を向けている……バカかお前は! お前が信じてやれなくてどうする!? アルタナだって……アイツだってお前がいないとダメなんだぞ! エイナが言ってただろ、どんな手段を使ってでもやれと。あたしが消耗しようが玉砕しようが、お前は自分が仕える主の事だけ考えてりゃいいんだって……ったく、こんなこと言わせるなよ。他国の人間だぞ、あたしは…!」
カリアの頭をゲンコツでカツンと殴ると、アケミは長刀をノーマンに投げ渡した。
「……不安にならないためには、強くなることだ。不測の事態が起きたときにどうにかできる力を持っておくことだ。それが話術か剣術か、それとも別の類の力なのかは知らんが、自分にできることをやれ。自分にできないのならできる仲間を作れ。そうすれば、後悔しないで済む……」
「…………」
アケミの言葉にどこか生々しいものを感じたのは、カリアだけではない……。
「とりあえず……お前に一番近そうな力からお手本を見せてやるよ。残りの敵が数十人か数百人か知らんが、あっという間だぞ。ちゃんとついてこいよ」
アケミが腰の刀を抜き、両手に構える。二刀流だ。普段見慣れぬスタイルながら頼もしく映ったが、カリアは一瞬見た苦悩の表情がどこか引っかかった…。
挑発に乗る形になってもオーギンの戦術は冷静だった。五百余名の兵の内三百を後方に現れたバラリウス軍に充てる。オーギンはバラリウスを侮ってはいない。むしろ一番脅威に感じている。バラリウスが第一大隊の隊長に就いているのはベルマンによる実質的な後継指名である。そしてその実力は誰しもが認めるところだ。齢四十のバラリウスは戦士としても将軍としても今が成熟期と言える。そして連なる配下も実力・経験値において圧倒的なベテラン揃い。バラリウスが連れてきた百二十三名は間に合わせではない。どんな状況に即しても自信のあるメンバーなのである。そこに三倍の兵をぶつけたオーギンの判断は正しい。撃退できると思ってはいないが、要はいくらか時間が稼げればよいのである。肝心なのは前方の二十数名―――バレーナの集団だ。こちらは十倍の兵をぶつけることになる。蹂躙し、バレーナを連れ去るのは造作もないこと……のはずだった。
「何をやっている……なぜ崩せんのだ! 女たちが寄り集まっただけではないか!!」
バレーナ達を攻撃するオーギン兵はもたついているというより、はっきり打ち負かされていた。
まず前衛の二人、ミオとマユラが立ちふさがる。マユラは元盾兵である経験を存分に生かし、騎兵相手でも引けを取らない。一方、ミオは―――
「くそっ、どこへ行った!?」
「今左に―――うおっ!!?」
ミオは身長百五十センチそこそこ、戦士としても小柄であり、さらに武器が短剣である。馬上の兵からすれば虫を潰すような小ささだが、誰一人としてその姿をまともに捉えられない。そして見失った瞬間、死角から必殺のナイフが飛んでくる―――頭や胸にナイフを突き立てられ、また三人が馬から落ちる。
「ガキが―――!!」
ミオを捉えた一人が槍で突くが、紙一重で回避し、一気に馬に飛び乗ると、その勢いのままにミオの愛剣が喉を切り裂く。電光石火とはこのことである。
獅子奮迅の戦いぶりを見せる二人だが、当然攻め込む全員を防ぎきれるものではない。二人を抜けた多くの兵が次々とバレーナを襲う。だが、バレーナは剣を抜いてもそれを振り上げることはなかった。周囲のブラックダガーの前にオーギン兵は次々と倒されていったのである。
ブラックダガーは一人がラージシールド、残り二人が長槍を持つ三人一組六班に分かれ、バレーナの周囲を守る。さらにバレーナの脇を騎乗した弓兵のソウカと槍兵のミストリアが固め、その後ろに控えるロナは全員のサポートを務める―――これがブラックダガーの最も得意とする防御陣だった。
三人一組の小隊は一人が壁役に徹し、槍を持つ二人で敵一人を攻撃する。もちろんそれを突破する実力の強者もいるが、それらはミオとマユラに狙い撃ちされるか、ソウカとミストリアに始末されるか、あるいはバレーナ自ら迎え撃つ。ただし現状、防御陣の中心にいる三人の出番はない。圧倒的な兵数で攻められているはずのバレーナたちには十分に余裕がある。
「弓で狙え! 遠距離から射かけろ! 多少味方に当たっても構わん!」
焦り始めたオーギンがチープな命令を出すが、部下は肯定的な返事をしない。
「駄目です! 横風が強く、矢が真っ直ぐ飛びません!」
しかしまさにその瞬間、オーギンの視界で兵士が射ぬかれた。
「敵の矢は当たっているではないか! どうなっているのだ!!?」
「わ、わかりません、偶々では…」
――また二人射抜かれる。ブラックダガーで弓を構えているのは馬上のソウカだけだ。矢を受けた者を見れば、ソウカがオーギン側の上級戦士や弓兵を狙い撃ちしているのは明らかだった。
「言い訳はいい! 後ろにはバラリウスがいるのだぞ! 狙うのが難しければ数で押せ! あの弓兵を黙らせなければ前に出られん……早々に撃ち殺すのだ!」
オーギンの命に従い弓隊二十人が一斉に矢を放つものの、やはり風に流されて逸れてしまう―――が、束になって放たれた影響か、一本だけが矢を番えるソウカの元へ――…!
「あぶな――!」
バシッ――!
ロナが声を上げたが、それだけだった。飛んできた矢はソウカの鼻先すれすれでミストリアの槍に弾き落とされる。だというのに、ソウカは構えて狙いを付けたまま微動だにせず、瞬き一つしない。ミストリアが舌打ちしたのをロナは聞き逃さなかった。ミストリアはわざとギリギリで矢を落としたのだ。
「ちょっと! 悪ふざけしてる場合じゃないでしょ!」
「そんなつもりはない。それにこいつ、今だって聞こえてないし」
ミストリアの言う通り、ソウカは前だけを見つめ―――静かに矢を放つ。解き放たれた矢は明後日の方向へ飛び出すも、風に乗って軌道を変え、スピードはさほどでもないのに、低い軌道で驚くほどの距離を飛び………吸い込まれるように敵の眉間に突き刺さる。続けて二射、三射と放った矢は全て命中した。
「ロナ、次。まだ三百三十二人残ってる」
「あ、はい…」
ストックから矢を三本渡す。これで七回目だから、全て急所に命中しているならソウカだけで十八人倒していることになる。矢は個人が装備する矢筒ではなく五十本を籠に入れて持ってきているが、ソウカ一人が使って終わるかもしれない……。
と、ミオがバレーナの元へ戻ってくる。ソウカが弓兵に反撃したことで一時的に敵の矢が止まったのだ。
「バレーナ様、ご無事ですか?」
「問題ない。ミオの方こそ大丈夫か」
「まだまだいけます!」
「オレはいつでも代わるぞ」
ミストリアが馬上からミオを見下ろして鼻を鳴らすが、
「ミストがいるから皆戦える。それにミストの出番は後でくる…そうですよね、バレーナ様」
「ああ、その通りだ」
ミオとバレーナの不敵な笑みにミストリアは目を丸くした。この防御陣の要である自分の出番が来るとしたら、攻勢に転じる時だ。つまり――……
「……フフフ、了解」
ミストリアは愉悦を浮かべる。ロナには生粋の戦士であるミストリアの感情の機微は理解できないが、フラストレーションがいくらか解消されたようなので良しとする。
「ロナ、ナイフ―――」
「あ、ゴメン……あと三本」
「三本」とはシースベルトの本数のことだ。つまり投擲用のナイフはあと四十八本ある。
身体に巻かれたシースベルトを手早く交換しながらミオはブラックダガー全員を見回した。
「みんな、まだ力はある!?」
ミオの問いかけに、皆頷く。ミオは泥と汗にまみれているが、その瞳からは闘争心がヒシヒシと伝わってくる。小柄な体躯とは対照的に大きな存在感―――最年少でありながら精神的支柱であるミオの激は、少女たちを戦士に変える。
「我々ブラックダガーは今日、この日のためにいる! 全員揃えば負けるはずがない。それは皆がわかっていることだ! 必ずここを乗り切るぞ!!」
「「「オオー!!!」」」
たった二十人とは思えないほどの気合いは距離の離れたオーギンの背筋をもわずかに震わせた。
「ではバレーナ様、行ってきます!」
「無理はするな」
「ミオ、ちゃんとお姉ちゃんが援護するからね」
右手でロナに次の矢を要求しながらソウカがミオに満面の笑顔を向ける。
「よろしく!」
手を振って駆けていくミオの背中を微笑ましく眺めるソウカを、ミストリアはじとりと睨む。
「毎度だけど、姉じゃないだろ」
「血縁関係があるのだから姉妹と呼び合っても問題ないわ」
「血縁関係って、イトコですらないだろ…」
ミオに向けられたのとは正反対の鋭い眼光を感じてミストリアはぱっと目を逸らす。これは矢を射る時の目だ……。
「二人とも、真面目にやりなさい! 油断していい状況ではないでしょう!」
ピシャリと叱咤を飛ばすのは、普段から口うるさいイザベラだ。それに続いて周囲を固める他のメンバーはブーイング。その中心にいるバレーナは苦笑した。
「バレーナ様…?」
ロナが声を掛けるとバレーナは口元に手を押さえて咳払いする。
「いや、すまん……戦場だというのにここの居心地がよくてな……一カ月は思いのほか、長かったのだな」
皆が静まる……。理解したのだ。先程の一体感を長らく失っていたのだと。そして二度とバレーナから離れてはならないと―――。
「……ソウカ、向かってくるヤツはいいから遠くの将を狙え。オレもそろそろ準備運動に入る」
「出番、なくなるわよ」
「言ってろ」
それぞれ武器を握りしめ、未だ十倍以上の敵兵をまっすぐ見据える…。
ブラックダガーに、火が付いた。
素早く屋敷に侵入できたものの、アケミたちは三階で足止めを食っていた。三階の半分はぶち抜きの広大なホールとなっており、当然のように大量の兵士が詰めている―――。
「こりゃいくらなんでも無茶だよ…」
ホール手前の廊下を覗くギャランの言う事も尤もだが……。
「残りの矢は三本しかないですし、とても援護どころじゃ…」
エイナが腰の矢筒に手を回すと、矢がカラリと渇いた音を鳴らす。
「…なら仕方ないな」
刀を拭ったばかりのアケミが腰を上げようとするが、カリアが袖を引っ張る。
「待て! 突っ込めばいいってもんじゃないだろ…!」
「お前、まだそんなこと言って―――」
「お前こそ何を突っ張ってるんだよ…!」
「現実的な策を出してるんだろ!」
「どこが現実的なんだ! そもそも一人じゃ無理だから私らを連れてきたんじゃないのか!?」
カリアだけでなくエイナやギャラン、ノーマンからも視線を浴び、アケミは押し黙る。
「……いつも通りといえばいつも通りですけど、らしくないですよ隊長」
「そうだよねぇ、ちょっと余裕がない感じ」
「焦りは敗北を生む……初歩的なことだ」
三人に諭され、アケミは肩を落とす。
「チッ、わかった……何だかんだで前も助けられた。だからお前らを呼んだんだしな。まあカリアはおまけだが」
「ふざけるな。アルタナディア様がいらっしゃるなら私一人でも行くぞ」
生真面目に答えるカリアに皆が笑う。そんな場面ではないのだが、どこか噛み合わなかった波長が合った瞬間だった。
「状況を整理するぞ。敵は三階を決戦の場としている。そもそも敵が来ると思っていなかったんだろう、だからとりあえず本丸前を固めたってとこだ。逆に言えば、寝起きの上にかなりパニックになっている」
アケミが切り出すと、エイナが続く。
「この階の兵士の装備が共通のものが多い点からすると、サジアート直属の部下なのかもしれません。聞いている人物像からすると、意外と慎重な面があるようなので、これまでの敵より強い可能性があります。正面から挑むのはリスクが高いかも」
「登ってきた階段は三階までで上には繋がってないよね。ってことは、四階への階段はホールを挟んで反対側にしかないんじゃない? それならここに詰めてる理由もわかるし、親玉も女王様もまだ上にいるってことじゃないかな」
――ギャランだ。
「突破しても、帰りに敵が待ち構えていたら救助できない。どこかに引き付ける必要がある」
ノーマンもぼそりと意見を出す。
「………なあ、ちょっと案があるんだが」
カリアがぐいと首を伸ばしてきた。




