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アルタナ(改修版)  作者: 夢見無終
第二章 ―女王への階―
21/38

第十話

「バラリウス将軍―――!!」

 早朝、グロニア城の門をくぐったところで、馬上のバラリウスの背中に声を浴びせる者がいる。刀を担いで走ってきたアケミだ。

 バラリウスは下馬し、馬を従者に預けてアケミを待った。すぐに追いついたアケミだったが、珍しく息を切らせている。

「どうした、そんなに慌ておって。正装ではないではないか。それに…」

 唐突にバラリウスがアケミに顔を寄せ、スンスンと鼻を鳴らす。

「お主、臭うぞ? ―――ぐほぁっ!?」

 アケミの本気の拳がバラリウスの腹に刺さる。見事に鳩尾に入っていた。

「貴様ぁっ…ふざけんな!!」

「違う、そうではない、そうではない…!」

 納刀したままの長刀を大上段に振りかぶるアケミにバラリウスが待ったと手をかざす。アケミはバラリウスを殺しかねない形相だがそれも仕方がない。アケミとて年頃の娘である。

 バラリウスはアケミの理性が弾け飛ぶギリギリまで近づき、小声で指摘する。

「お主、血の匂いがしておる」

「…!」

 アケミは気まずそうに舌打ちし、刀を下ろした。

「どうにしろ、その格好で登城はまずかろう。着替えてまいれ」

「わかった……だがその前に頼みがある。待機中の兵に非常招集をかけてくれ」

「ほう? 何故に?」

「バレーナとアルタナのことが漏れている。伝聞している情報はあやふやだが、アルタナが原因でバレーナがいないという事実は変わりない。兵士たちに動揺が広がる前に情報の統制を図るべきだ」

「なるほど。だがどのように説明する? そもそも非常招集をかける名目はどうする? 説明するだけなら、公式声明という形で問題あるまい」

「…………」

 バラリウスの言う通りだ。しかし招集する真の目的はこの先に起こるかもしれない「敵」の動きを封じるためで―――それが予測の域を出ない限りは何もできないのだが……。

 アケミが眉間に皺を寄せて苦汁を滲ませていると、アケミとバラリウスの通ってきた道の後からオーギン議長が珍しく慌ただしく駆けこんできた。

「バラリウス殿! 第一大隊と第二大隊が集結する動きがあるがどういうことか!?」

 アケミが振り返ると、バラリウスはしてやったりと悪ガキのような顔で口元を歪ませていた。

「ラドガドーンズが動きを見せたとの報があり、早急に対処できるよう準備にかかる次第。バレーナ様が女王になると決まってからベルマン御大は滅法やる気でしてな、春を迎えたクマのように腰が軽い……おっと、口が滑りましたな。ワハハハ!」

「こいつ…」

 こちらが苦慮することなぞ、とうにお見通しということか。やはり油断のならない男だとアケミはバラリウスを睨むが、それは負け惜しみにしかならない。

「シロモリの。アルタナディア様にはラドガドーンズに対する妙案があると申しておったが、陛下は会議にご参加できそうか?」

「? …無理だ」

「ならば仲介役である貴様が参加し、その方針を伝えるのが筋であろう。さっさと着替えて参れ」

「!」

 口から出まかせであっという間にアケミの席を用意してしまった。くそ、コイツにお膳立てされるままか―――最早からかわれているようにしかアケミには思えない。

「わかった……馬を貸せ」

「むぅ? 先程殴りかかっておいてその態度は……さすがに礼儀がなっとらんのではないか?」

 バラリウスがいやらしく笑う。喉元まで込み上げてきた苛立ちを何とか飲みこみ、アケミは頭を下げた。

「……馬をお借りしたい」

「うむ、よかろう。…しかしお主もこうして粛々としておると、やはり貴族の娘よな。とても色街に入り浸っているようには見えん―――がはぁっ!!?」

 アケミの左拳がバラリウスの頬骨を叩き、右拳が顎を打ち上げた。

「死ね! 死ね!! 死ね!!!」

 顎にモロに衝撃を受けて倒れるバラリウスの上から存分に罵声を浴びせたアケミは、固まっていた従者から手綱をひったくり、馬に乗ってさっさとその場を後にする……。

「……バラリウス殿、大事ないですか」

 オーギンが声をかけると、バラリウスは何事もなかったようにむくりと起き上がる。

「ふむ……いささか殺気が籠っておりましたな。いやはや、顎が砕けるかと思いましたぞ。ハハハ!」

「さすがにこれは問題にしたほうがよいのでは?」

「なに…軽いじゃれ合い、スキンシップですぞ。それに、こちらからけしかけておいてやられたから訴えますというのは男として格好が付きますまい」

「ご自分が原因という自覚はあるのですな…」

「いやしかし、さすがにシロモリを受け継ぐだけのことはありますな。迷わず急所を狙ってくるとは……エレステルの武力は安泰ですな! ワハハハハ!!」

 バラリウスが高笑いして城内に入っていくのをオーギンは怪訝な顔で見ていた。






 午前十時過ぎ、最高評議院の緊急会合が開かれた。ただし全員は揃っていない。特に地方出身者は帰途についていたために呼び戻すことは困難であり、強制参加は見送られた。

「さて、まずはラドガドーンズの件ですが……ベルマン殿」

「うむ……」

 ベルマンは腕組みをして深く頷き――――頭のてっぺんをパシンと叩いた。

「いやすまぬ! どうも誤報のようでのう」

 カラカラと笑うベルマン(の隣でバラリウスがニヤニヤしている)に、オーギンは溜め息を吐いた。

「ベルマン殿……ただでさえ合同演習で休暇を潰されたと不満が出ているのです。無用な徴兵は困ります」

「そう目くじらを立てるものでもありますまい。姫様がおられぬからこそ、状況に応じた素早い対策が必要でありましょう……とはいえ、今回は御大の失策ですな。兵全員に酒でも振る舞わねば納得しませんぞ」

「無茶を申すな!? 破産して、孫に誕生日プレゼントも買ってやれんただのクソジジイになるわい」

「ワハハハ!」

 大隊長であるこの二人、まるで反省の色がない……。

「しかしラドガドーンズが国境付近に未だ兵を置いているのは事実です。交渉するための準備は進めていますが、これでは国書を送るのもままならぬのでは……」

 外務大臣ガルサが難しい顔で意見する。

「確かに我が国にはラドガドーンズとの国交がない…」

「国境線付近は小規模な砦こそあれ、町や村があるわけでもなく、交易がありませんからな」

 他の議員からもも否定的な意見が出て、議場が手詰まり感で満たされる中、

「……問題は、タイミングではないですか」

 末席のアケミが口を開く。声を拾ったバラリウスがつい、と視線を動かした。

「シロモリの、評議員でないお主には意見する権限はないぞ。それともアルタナディア女王のご考察か?」

「…そうだ」

 ほぼ嘘である。アケミはアルタナディアからラドガドーンズの目的については聞いたが、タイミングについての見解は得ていない。後で口裏を合わせる必要があるが……今の状況でこういう方法をとるのは危険である。政治に携わらないとはいえ、シロモリはエレステルの重職だ。アルタナディアとの繋がりを個人的な利益のためと穿った見方をされれば後々身動きがとり辛くなる。まさに綱渡り……アケミは一度気持ちを落ちつけてから話し始めた。

「ラドガドーンズの兵の動きについてだが………陽動ではないかと思う」

「陽動? 根拠は?」

「明確な根拠はない。しかし状況から見れば否定できるものでもない。仮にラドガドーンズに気を取られて中央にいる大隊のどちらかを差し向ければ、ここグロニアはかなり手薄になる。グロニアに帰還した大隊の兵は名目上待機扱いだが、先日の合同演習の時のように即座に全員が集まれるわけではない。部隊の三割から五割を占める地方居住者は帰省するし、彼ら一人一人に情報が伝達し、即集結できるかといえばそうではない。事実、自領に戻られた地方領主の評議員たちもここにいない」

 アケミの発言に会議室の面々は一様に頷く。

「これまでは国境線の警備を三つの大隊が担当すれば一安心だったが、今回それが覆されたことになる。しかもバレーナ王女が居られない時に、だ。さらに加えて、王女の不在とアルタナディア女王との決闘の件が漏れて、一般市民の間で噂になっている。イオンハブス軍が引き払ったこのタイミングで」

 何人かの評議員の間で動揺が奔る。知らない者もいたようだ。

「…何者かが情報を漏洩したと申すのか?」

 ベルマンの瞳がアケミを捉える。たった一言で、会議室の空気がズシリと重くなる。

「……緘口令はエレステルおよび事情を知るイオンハブスの一部……主に軍人に対してだけだった。しかしフィノマニア城で決闘の場に居合わせた者たちから話が広まっていることは十分にあり得る。ただ、事がことだけに、得た情報を私利私欲のために利用する人間がいる可能性も考えなければならない」

「ふむ……筋が通っておるようにも思えるが、それがラドガドーンズと繋がる根拠とするには弱い。お主の話によれば、情報を流した〝X〟なる人物はラドガドーンズと繋がりがあることになる。イオンハブスやエレステルにそんな者がおるかのう……」

「……ジャファルス経由ならば?」

 アケミの言葉に会議室は騒然となった。ジャファルスとはエレステルの西側に隣接する国で、現在は休戦状態にあるものの、常にエレステル侵略を狙っている。エレステルが国境線に構える砦は主にこのジャファルスに対してのものだ。ジャファルスの侵攻は巧妙で、国境付近の地方領主を抱き込むことも常套手段の一つであり、これまでも何人もの地方領主が裏で繋がっていることが発覚した。しかしダブルスパイとして上手く立ち回る領主も少なくなく、彼らからもたらされる情報も貴重なため、一律に処断できないのも現状である。ある情報筋によれば、一軍に値する勢力のブロッケン盗賊団はジャファルスの一部隊ではないかとも言われている。

 その因縁の仇敵であるジャファルスはラドガドーンズと一部国境を接しており、連携することを長年懸念されてきた。

「うむ、それが自然な流れよな。ワシもその可能性を考えておる」

 ベルマンが大きく頷く。それは個人というよりも軍部の見解となる。

「若輩でもシロモリよのう、剣技のみでなく軍略も中々に明るい。やはりお主、将軍に向いておるのではないか?」

 バラリウスの不用意な発言にアケミは眉を顰める。

「バラリウス殿、シロモリ殿は要職には就けない決まりが…」

 議員からすかさず声が上がるが、バラリウスはわかっていると手を上げる。

「存じておりますとも。ただ、つい最近も王女殿下がシロモリを将軍職に推したことがありましたな? あながち見当違いではなかったのかと思った次第」

「………」

 アケミは腹立たしいようなくすぐったいような、妙な気分に戸惑った。褒められているのか? からかわれているのか? それとも本気で自分を将軍に押し上げようとしているのか? ともかく…

「あの……一つよろしいか? 私の屋敷にアルタナディア女王が逗留されている以上、その警護も私の役割の一つという認識で間違いないでしょうか?」

 アケミが確認を取る。議員たちは一瞬沈黙し、顔を見合わせる。

「……現状、シロモリ殿は調整役ですし、行動を共にされる限りはそう考えて頂いてよろしいでしょう。無論、国事に関わることは評議院を通していただかなくてはなりませんが」

 オーギン議長に反論する者はいない。いや――

「ガンジョウ殿が門前に立つだけで誰も入れぬのではありませんかな?」

「まったくじゃ。生まれたばかりの孫があやつの顔を見た途端に大泣きしたわい。ワシもあの渋柿を囓ったような面構えは苦手じゃ」

 バラリウスとベルマンがヘラヘラ笑う。全くこの二人は……。

「…では、アルタナディア様警護の立場から意見させていただく。ジャファルスやラドガドーンズの件は一先ず置いて、私が重視するのは流れている噂の方だ。噂の内容はほぼ事実であるが、物事の一面でしかない。『姫同士が戦った』『バレーナ様がいない』の二つだけでは、二人の仲が険悪で、バレーナ様がアルタナディア女王に恣意的に危害を与えたと解釈する者も当然出るだろう。むしろその混乱こそが噂を流したXの狙いであることは明確だ。早急にこの誤解を解かねばジャファルスどころではなくなるし、アルタナディア女王の安全も危ぶまれるのではないかと危惧します。よって、今回誤情報ながら集められた大隊の兵を皮切りに、軍部から情報統制を行ってはいかがだろうか」

 ようやくここに持って行けた。これはいずれ解決しなければならなかった問題でもあり、前倒しすることになっただけだ。特に反対する理由はないはず―――そうアケミは踏んでいたのだが、

「……それについて、よろしいですかな」

 手を上げたのはミローリ侯爵。名門貴族であるカロナ家の当主で、クマイル卿の甥に当たる。やや意固地な性格で考え方も古いが、誠実な人柄であり、領民からの支持も厚い。

「どうも解せなかったのですが、バレーナ様がフィノマニア城に攻め入り、アルタナディア様の提案によって国の命運を決闘に委ねたそうですが、シロモリ殿?」

「立ち会ったバレーナ様の部下、アルタナディア女王の部下、双方からそう聞いています」

「私も報告書を読みました。壮絶な死闘であったと…。しかしアルタナディア様が我が国に来訪された日時を逆算しますと、決闘直後にアルタナディア様は出立されていることになり、滞在中も様々な場所を訪問されている。詳しいことは存じませぬが、相当過密なスケジュールであったはず。とても重傷の身であったとは考えれません。決闘自体あったのかと疑問に思うのは私だけではないはずです。そもそも……あのアルタナディア様が剣を取り、バレーナ様と戦ったとはどうしても想像できないのです。シロモリ殿はどうお考えか? アルタナディア様が剣を振るうところを実際にご覧になったことは?」

「……いいえ」

 想定外だった。まさかミローリ侯爵からこんな指摘をされるとは予想していなかった。いや、ミローリ侯爵だからこそだ。マッチョジジイ二人組に意見を流されず、至極真っ当な指摘をする人物なのだ。下衆な勘ぐりなど当然ないだろう、だからこそアケミは焦った。全てを答えることはできない。しかしここで誤魔化せばアルタナディアに対する不審か生まれることになる。

「…私自身、アルタナディア女王が自ら剣を使うとは存じ上げませんでしたし、その実力の程も知りません。しかし――……身内贔屓で申し訳ないが、私の妹がバレーナ様のお側に仕えておりますのは周知の通り。決闘の一部始終も余さず見ておりました。その妹によれば、アルタナディア様の剣は隼のように速く、鋭いものであったとのこと」

「しかし妹君は……失礼ながら、まだ子供ではありませんか? ブラックダガーの隊長とはいえ……鵜呑みにしてよいものか…」

 評議員の一人がポロリと洩らす。それは一人だけの本音ではないだろうことはアケミにもわかる。

「私の妹・ミオはまだ十五ですが、ブロッケン盗賊団討伐の際も最前線で参戦しております。それに……これまで真剣で私に勝負を挑んだのはアイツ一人です。これがどういうことか文官の方にはピンとこないかもしれませんが、決してお飾りで王女に侍っているのではないことだけはお伝えしておく。現当主の私から見ても、紛う事なきシロモリの剣士です」

「ではアルタナディア女王が相当な剣の使い手だったとして、死闘を繰り広げたアルタナディア様が動き回っていられた理由はなんなのです? それに対し、バレーナ様がイオンハブスから帰還されない理由は―――」

「そこまでになさりませ、ミローリ殿」

 ミローリ侯爵の追及に待ったをかけたのはバラリウスだ。

「シロモリは今回ゲストをもてなす役目。なんらかの事情を知っているのやもしれませぬが、おいそれと明かすわけにはいかぬ立場もありましょう。要するにアルタナディア様が掛け値なしの味方かどうか、バレーナ様が果たして無事なのかどうかがはっきりすればよろしいのでしょう。その点はどうなのだ、シロモリの」

「バレーナ様は無事です。私の妹が付いています。情報に一週間の空隙があるが、傷は順調に癒えていらっしゃるようだ。アルタナディア様に関しては……私が得た感触でしか語れません。バラリウス殿が仰ったように、掛け値なしの味方としか言いようがない。今回のアルタナディア様の行動には君主として打算的な面がない。バレーナ様に味方する理由があるとすれば、『姉妹』であるというその一点です。もちろん本物の姉妹ではありません。ですがお二人は王として破格の資質があることはジレンによって示され、また、同種の人間のように私には感じられます。だからこそ他人には推しはかれない絆があるのではないかと思います。答えになってはいませんが、詰まる所私はアルタナディア様にバレーナ様と同じものを感じ、バレーナ様に味方するという点で私と同じものを感じたのです。論理的ではありませんが、平にご容赦を」

「……………」

 ミローリは追及しなかったが、その表情は納得していない。とてもじゃないが、説得力のある発言ではなかった。

「…ミローリ殿よ、もう少し単純に捉えられてはいかがかな」

 ベルマンが白髭を撫でながら気だるそうに首を回す。ミローリの眉間にしわが寄る。

「と、仰いますと…?」

「ミローリ殿は五十半ば。ここにおるものは同じく四十から五十を過ぎたものばかり。その我々から見れば、バレーナ様やアルタナディア様、そしてそこのアケミも小娘に過ぎませぬぞ」

「なっ…不敬ですぞ!」

 ベルマンは憤るミローリを軽く手で制すと、今度は耳をほじりだす。

「王族であれ人の子。親を、先人を見て育ちまする。されど両姫殿下とも偉大なる父母を亡くされ、天涯孤独の身。ワシはな、ミローリ殿……正直、孫をこれほど溺愛するとは自分でも思わなんだ。やはり血の絆は、家族の愛情は偉大であると、この歳にして改めて思い知らされたものよ。親兄弟を亡くされたお二人が同じ境遇の互いを姉妹として認めても何の不思議もありますまい。そしてそのお二人を支えることこそ、先王に大恩を受けた我々の使命じゃと、真に思うわけよ。勝手に襲撃したり、決闘したり、よくもまあやってくれたものよ……しかしそれだけもがいて、あがいて、ついに王座まで辿りつこうとされておる。我らが母であり、我らが娘でもあるバレーナ様にはまずは手放しで称賛を贈ろうではないか。後の多少の厄介事くらいワシらで引き受けてやれんで、何が臣下かと思わぬか?」

「それについては、全てではありませんが同じ意見です……しかし私が申し上げているのはそういうことではなく…」

「――ミローリ殿、野暮を申されますな。決闘に何らかのカラクリがあり、アルタナディア女王が五体満足であると本当に疑っていらっしゃるのか? 最初にこの会議室に参られたとき、アルタナディア様の整った細面と軍服を纏った首から下は体格的に違和感があった。おそらく包帯を巻いていたのを誤魔化しておられたのでありましょう。そうであろう? シロモリ」

「…………」

 バラリウスの問いにアケミは返答できないが、それが答えともなってしまう。

 バラリウスは続ける―――

「剣で斬り合い、その後休むことなく強行軍―――この全てがバレーナ様のためというのであれば、我々はあの女王陛下に頭が上がりませぬ」

 戦士ならではの言には重みがあった。この最高評議院の中にもかつて兵役を経験した者はいる。この国で戦士を軽視することはできない。その戦士が敬服するというのであれば、アルタナディアはエレステルにおいて一定の評価を得たと言ってよい。

「バレーナ様がご帰還されれば真実は明らかになりましょう。まずはシロモリの提言通り、無用な混乱を生まぬことが先決。この際、集めてしまった兵士から情報の統一化を図りましょうではありませんか。いかがですかな、ミローリ殿」

「……異論はありません」




 会議が終わり、アケミは城のテラスでぐったりと天を仰いでいた。

「疲れた……」

 視界の中で行き交う顔見知りのメイド達がアケミを見てクスクス笑うのも構わず、ひたすら脱力する。

 剣を振るうのとは違う疲労感……あんな、背骨を内側から撫でまわされるようなやり取りを延々繰り返すのは性に合わない。正直もう少し上手く立ち回れる自信があったが、つくづく向いていないと実感した。おまけにバラリウスとベルマンにいい様に弄ばれる始末……ムシャクシャするのも通り越してしまった。

(バレーナやアルタナはこれまでも、そしてこれからもこんな場所に身を沈めるのか…)

 無謀なことばかりする二人をどこか呆れて見ていたが、ナメていたのは自分の方だったのかもしれない……。

「こんなところで何をしておる?」

「………」

 今見たくない顔ナンバー1のバラリウスが呼びもしないのに現れ、アケミは眩暈を感じた。

「別に……むさくるしい空気から解放されてようやく落ち着いてきたところだった」

「相変わらず悪意があるな。そんなにワシが嫌いか?」

「死ねと言われたのに好かれてると思ってんのか?」

「ワハハ、そうであったな!」

 バカみたいに高笑いし―――立ち去らない。妙に気まずい……それになんか、二人でいるところを誰かに見られたくない。城のメイドは噂好きだ。「アケミ様ついに将軍に手をつける」なんて母さまが卒倒しそうなネタが広まる前にさっさと退散しよう―――

「――女のところに戻るのか?」

「…チッ」

 バラリウスに聞こえるように舌打ちするのがせいぜいだった。

「イチイチ鬱陶しいな……なぜそう思う」

「お主、今朝方馬に乗って屋敷と反対方向に向かったであろう。それに今は高級石鹸の香りがしておる。日によって香りがするときとしないときがあるからな、わかる者にはわかる。気をつけた方がよいぞ」

「ご忠告どうも…!」

 くそ、服に匂いが付いていたのか。気にしていなかった…!

「しかしこれから花街とは、あれほどそわそわしていた割にはのんびり構えておるな」

「着替えを取りに戻るんだよ! 礼服のまま屋敷に戻ったらアルタナが勘ぐるだろ! バレーナが戻るまでにアイツに体調を戻してもらわないと困るんだよ!」

「そうキャンキャン騒ぐな、城中だぞ…………それほどよくないのか?」

「………過労だ。決闘の傷自体はもう大して問題ない」

 ただし、傷痕は残るかもしれない―――と口を滑らすことはしなかった。女にとって身体に痕が残るのは辛いことだ。アケミはそれが良くわかっている。

 しかし―――それはとりあえず置いて、アルタナが弱っていると言った方が警護を厚くしてくれたのではないだろうか……

(…って、何考えてるんだあたしは!)

 一瞬でもコイツに頼ろうとした自分が嫌になる……。

「……これからどうする? どう説明するんだ、バレーナとアルタナのことを」

「何を言っておる? 説明などせん」

「は!? このまま待機させるなんてできるわけないだろ、二日も経ったら―――……」

 二日――二日の間に……。

「……どこまで想定している?」

「どこまでとは、どこからを言うておる。しかしお主と同じ、タイミングが重要とは思うぞ、うむ……そうすると、そろそろ我らが王女をお迎えに上がらねばならんかな?」

「もうブラックダガ―を迎えにやった」

「ほう! いつだ?」

「昨日の朝に発った。これまではアルタナディアのサポートにつけていたが、バレーナを女王にする目的が一段落した今、手が空いたからな。本来の目的に戻ってもらう。バレーナの体調は……詳しくわからんが、おそらく問題ないだろう」

「ほほう…」

「…何だ」

「いやいや、実によい。若いなりに考え、即断即決。予想以上の働きを見せるお主とお主を味方に引き込んだアルタナディア女王、その女王が姉と慕うバレーナ様……一体誰が一番『持っている』のであろうなぁ」

「………何を言っている」

 またほくそ笑むバラリウス……無条件に腹が立つ。もうこれは相性の問題かもしれない。

「…他には? 何を用意しておけばいい?」

「お主はアルタナディア様のお世話係。御意向を窺っておけ」

「……なるほどな」

 アケミは寄りかかっていた柵から身を起こし、長剣を担いだ。

「行くのか?」

「…気が変わった」

「む?」

「遊んでくる」

「ほ! フハハハハ!」

 よいよい、と背中を押すゴツい手を引っ叩き、アケミは城を出た。











「伝令! 伝令! しばし、しばしお待ち下さりませ!!」

 単騎で駆けてきた軽装の戦士が声を張り上げ、数十人からなる行列を止める。

 軽装といっても、正装であった。形式美より機能性をとるエレステルでは、実戦装備のカスタマイズが認められており、専用装備を持つことこそが一種のステータスであるため(ただし支給品の改造費および補修費は軍から支払われない)、格好が統一されるのは式典や登城のときくらいである。馬で駆けてきた男は準正装と言える軍隊式ジャケットに上質な革の胸当てをつけていて、その出で立ちは中央政府に属する伝令兵であることを示しており、伝令を受ける行列の主もまた、相当な人物であることは間違いない。

 伝令兵は最も大きな馬車のドア前で下馬して跪き、また溌剌と口上を述べた。

「御引き留めして申し訳ございません! エレステル最高評議会より書状をお預かりして参りました」

「うむ―――」

 それほど間を置かずにドアを開いたのはダカン=ハブセン、そして奥から現れたのはサジアート=ドレトナである。

 サジアートが降車すると若い伝令兵はさらに頭を下げる。地方領主の特例あってのこととはいえ弱冠三十四歳で最高評議院に席を置くサジアートは、若者たちの羨望の的なのである。

「………」

 差し出された封書を手にしたサジアートは目を細める。

「確かに受け取った。貴様、名は?」

「ラニエル=スクィートと申します」

「ダカン、ラニエルと馬に水と食料をやれ」

「畏まりました」

「あ、ありがとうございます…!」

 再び首を垂れるラニエルを視界の隅に置き、サジアートは封筒を部下の一人に開かせる。封筒から取り出された三つ折りの書状を受け取ると馬車のタラップに腰を下ろし、水を飲む伝令兵の前で自らは淹れたての紅茶が入ったカップを手に取り、口をつける。が…

「………何!? そんなことが……バカな!?」

 書状に目を通したサジアートがカップを落とす。カップは音を立てて砕け散る………ことはなく、茂っていた雑草に受け止められて欠けることもなかった。しかしただならぬ気配にラニエルは思わず聞き返してしまった。

「な、何があったのですかドレトナ様!」

「ラニエルよ…貴様、噂を耳にしていないか?」

「噂……ですか?」

「そうか。知らぬのも無理はない、任務のために不眠不休でやってきたのだろうからな…。実はここ数日、ある奇妙な噂が流れていた。バレーナ様とアルタナディア女王が決闘し、我らがバレーナ様が敗北したらしいと」

「はあ?」

 ラニエルが首を傾げるのも無理はない。バレーナはブロッケン盗賊団に自ら斬り込んでいった勇猛果敢な黒百合の戦姫。かたやアルタナディアは入国パレード(一般民衆の間ではそう捉えられている)で見た限り華奢で大人しく、それこそティースプーンより重いものを持ったことがなさそうなイメージだ。決闘の場に立つ姿そのものがイメージできるはずもない―――ラニエルの頭の中を見透かしたようにサジアートは頭を抱えた。

「貴様がそのような反応をするのも当然だ、私とてそのような戯言を信じる気にはなれなかった。だがここだけの話な……ここしばらく、バレーナ様はお出ましになっていない。病で伏せっておられると私は聞いていたのだがっ……だがっ!」

「ま、まさか…!?」

「あのアルタナディアがバレーナ様と一騎打ちなどできるはずなどない、必ず何か、騙し打ちのようなことをせねばこうはなるまい! そしてバレーナ様のことを隠していた最高評議院の一部勢力……はっ!? まさか突然現れたアルタナディアと通じていたのか!?」

「そ、そんな…!? それでは反乱―――」

「口を慎め!」

「も、申し訳ありませんっ!!」

 身を岩のように硬直させ、縮こまるラニエルだったが、サジアートは静かに歩み寄り、膝を曲げて若人の肩を叩く。

「わかる…わかるぞラニエル、お前の憤る気持ちが。伝令兵とはいえ、その若さで最高機密を預けられるほどだ。実力、精神力…そして何よりエレステルへの忠誠心に溢れる将来有望な戦士の一人に違いない。先王が急逝し、今こそ我らが一致団結しなければならないというのにこの様はなんだ! バレーナ様を幼いころよりお側で見てきた私は……胸が張り裂ける思いだ!」

「ドレトナ様…!」

 書状を握りしめ、天を仰ぐサジアート。その姿を見上げるラニエルの瞳は潤んでいる。

「ラニエルよ、このことは胸に留めておけ。決して、決して口外するなよ…? だがこのまま横暴が許されるはずもない……もし事が起こったその時は、私のこの身を正義に捧げよう!」

「自分も、自分もお供いたします!」

「そうか! 貴様のような忠義の士こそ国の宝だ。ではその時は、頼んだぞラニエル」

「お任せ下さい! このラニエル=スクィート、正義のために闘い抜くことを誓います!!」

 決意を固めたラニエルは解き放たれた矢のように去っていった。その馬の疾駆する姿を見送りながら、サジアートは紅茶のおかわりを受け取る。

「おうおう、さすが中央に配属されるだけあって速いな……これなら噂もすぐに広まるだろう」

「サジアート様、書簡には何と?」

 ダカンの質問に答えるようにサジアートはくしゃくしゃの書状を投げ渡す。

「バレーナとアルタナディアが決闘したことが噂となって漏れているが、静観するように。噂を信じて騒ぎたてる者などが現れた場合、これを穏やかに鎮静化するように―――とのことだ」

「サジアート様が成されたことは真逆のことでございますが」

「当然だ、噂の出所は俺なのだからな。しかし予想以上に早く広い範囲で浸透している……貴様の手並みも見事だぞ、ダカン」

「恐れ入ります」

 サジアートの計画通り―――極めて順調であった。多数の都市で同時多発的に噂を流す。噂そのものは突拍子もないものだが、しかし問い詰められれば中央や最高評議院は否定しきれない。なにせ、まずバレーナがいない。それが致命的である。アルタナディア女王が来訪したが、なぜバレーナ様のお姿が見えないのか?―――思い返せば皆気付く。ここでさらに最高評議院を始めとする議会に謀反の疑いをかけ、サジアートはエレステルにいないバレーナを奉りあげることで正当性を謳うのだ。

 もちろんサジアートが動かせる兵数は多くはなく、同調する領主と合わせてもその勢力は知れている。ここから味方をどれくらい集められるかが肝だが、今回は根回しをしない。時間をかければ情報の精査が問われ、噂は噂でしかなくなってしまう上に、バレーナが帰ってくる可能性も十分にある。ここは電撃的に作戦を実行するのがベストであろう。書状には「静観するように」―――つまり動静を見る、とある。すなわち中央は情報が不足しているか、手が出せないということ。たとえサジアートが犯人だと予想していても確定する証拠はないはずだ。当然準備も整っていない。中央の第一・第二大隊は合同演習が終わって解散したばかりで再集結は難しく、イオンハブスの兵も帰路に着いて国外に出た。現状で脅威となるのは国境警備に就いている第三から第五の大隊だが、サジアートが中央に迫れば迫るほど持ち場を離れて追う事ができなくなる―――……

「完璧だ…」

「盤石でございます」

 こんなバカみたいな作戦、思いついても実行に移しはしない……だがそこにつけ入る隙がある。もちろんそんな綱渡りのような想定だけで突撃したりはしない。予防策は十重二十重と巡らせてある。最大の要点はどの時点で勝利とするか、ということだが―――……

「…フッ。ダカン、行くぞ」

「はっ」

 ダカンは馬車のドアを開け、サジアートに続いて乗り込む。

 隣でほくそ笑むサジアートを盗み見、ダカンは改めてこのサジアートという男を推し量った。サジアートは自ら王になると公言しながら、それを戯言だと一笑に付されてきた男だ。無理もない、ダカンが仕え始めた十年前にはすでに十五歳も下の幼女にアプローチを開始していた男である。頭がおかしいと思われても仕方がない……。

 しかしそんな奇抜な行動ばかりがサジアートの全てではない。むしろ貴族としての素養を誰よりも備えていると言えよう。それが示された一つが先程の伝令兵とのやり取りである。一目で相手がいかほどの者か見抜いたサジアートはすぐに相手の名前を呼び、労い、軽食ではあるが食糧を与えた。すなわち略式ではあるが勲功を認め、褒賞を与えているのである。こうされれば兵士は誰しも弱い…。

 このようにサジアートは功名心をくすぐる術を貴族として、天性の素質として持っている。間違いなく人の上に立つ器なのである。王になる器ではないと笑われながらも、この男ならばひょっとしたらやってくれるのではないかと期待してしまう―――それがサジアート=ドレトナなのである。

(これは挑戦なのです……私にとっても)




 サジアートは挙兵する。人生未だ三十四年、されど三十四年―――己を賭けてみるには、絶好の頃合いであった。





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