11.クリスティアナとシェリナ。
***前回のあらすじ***
シェリナは何とかクリスティアナに謝りたいとペンを取った。混乱をするシェリナは、あの日起こった事、ロンバートとの出会い。そして、ロンバートがクリスティアナの婚約者、王太子である事を知った時の事を思い出すのだった。
ご令嬢達に囲まれて、私は震える足でクリスティアナ様がいらっしゃるという少し先のベンチへと向かった。木陰の向こうに見えたクリスティアナ様は、女神様かと思うほどに美しかった。
すらりと伸びた背に、風に緩やかに靡く銀の髪が木漏れ日にキラキラと輝いて、細く白い指が、本のページを捲る様さえ一枚の絵の様で。伏せた長い睫毛が揺れて、ゆっくりと此方を見つめる瞳は心の内まで見透かされそうな透き通った薄いブルー。私を見つめてふわりと立ち上がる姿は、爪の先からつま先まで、まるで計算しつくされたかのような優雅さを持ち、ああ、これが高貴な方なのだと否応でも思い知らされた。
「随分と遅かったのですね。わたくしを待たせて皆様は何をなさっていたのでしょうか」
クリスティアナ様の視線は、そのまま私を囲む令嬢達に向けられた。少し低い静かな声に、一瞬令嬢達が鼻白む。
「クリスティアナ様、お待たせして申し訳御座いませんでした。クリスティアナ様も、ロンバート殿下のお噂は耳に入っていらっしゃいますでしょう?ロンバート殿下に言い寄っていたのはこの娘ですわ。下賤の田舎娘できっとご存じなかったのね。このような娘を学園へ通わせるなど、学園の恥ですわ。ロンバート殿下に不敬を働く前に追い出してしまう方が良いと思いますの」
「そうですわ。ああ、お可哀想なクリスティアナ様! さぞかし傷つかれたでしょう? さぁ! 貴女! ロンバート殿下には金輪際近づかないと誓いなさい! 恥知らずでしたとひれ伏しなさい! お前の様な娘、この学園に居るだけで空気が穢れるわ!」
何か、言わなくては。私は震えが止まらない。
頭の中がぐるぐるする。
この方が、ロンの婚約者?
ロンが私を騙していた?
好きだよと言ってくれたのは、嘘だった?
知らなかったでは済まないわ。だったら何故、言ってくれなかったの。私が好きになる前に。いいえ、駄目よ。諦めなくてはいけないの。私とロンでは身分が違う。もう、会えない。会ってはいけない。でも、どうやったら、この気持ちを抑えることが出来るのか分からない。ああ、なんて傲慢なんだろう。この方を、きっととても傷つけたのに。
私が何も言えないでいると、クリスティアナ様は、私を責める令嬢達へと、冷たい視線を投げられた。
「貴女達、少し静かにして頂けないかしら」
たったそれだけで令嬢たちは押し黙った。射竦められたかのように、一斉に少し後ろに下がる。必然的に動けない私は、クリスティアナ様と向き合う格好になった。美しい睫毛に彩られた、アイスブルーの双眸がスゥ、と細められる。
「御機嫌よう。お話をするのは初めてですね。シェリナ=オッド様」
心臓が跳ね上がった。
私の名前を知っている。この方は、私とロンの事をご存じなのだろう。謝って許されることでは無いけれど。私のしたことは、明らかに許されない事だった。
王家に、公爵家に対する不敬だった。
家の立場、自分がしでかしてしまった事、ロンバートの立場、この方のお気持ち、色々な事がぐるぐるとして恐怖と後悔に吐きそうになる。泣いては駄目だと思うのに、視界が霞む。
「あの……。あの、私、知らなくて……。ロン……いえ、あの方が王太子殿下とは、知らなくて……」
喉が引きつる。上手く言葉が出て来ない。声が震える。手足が震える。血の気が引く。
「もう……。私、ロンバート、殿下には……」
近づきません。お会いしません。そう、言わなくてはいけないのに。
そうしなくてはいけないのに。
涙がぼろぼろと零れ落ちる。
胸が痛くて引き裂かれそう。
こんなの、私の我儘だ。
「もう、決して、ロンバート殿下には近づきません!!」
悲鳴の様にそれだけ言うと、その場から逃げ出───せなかった。
私の腕を、白い手ががっしりと握っていたからだ。
追撃の様に罵ろうと口を開きかけた令嬢達を、ぴしゃりとクリスティアナ様の声が遮った。
「皆様。わたくし、シェリナ様とお話が御座いますの。皆様は席をはずして下さいますわね?」
有無を言わさぬ声音に、でも、と言いかけた令嬢に、クリスティアナ様は、双眸を細め口の端を上げて微笑む。
「聞こえなかったのかしら?」
ぞく、とするほど冷たい声に、不承不承と言った体で、令嬢たちは離れていく。クリスティアナ様は、そっと私にハンカチを差し出して、ベンチに座らせてくれた。申し訳ありませんと繰り返す私に、クリスティアナ様は困った様な笑みを浮かべ、そうして私の手を握ってくれた。
「ねぇ、シェリナ様。私、貴女にお願いがあるの」
先ほどまでとは違う、静かだけれどどこか優しい声音。思わず顔を上げた私は、クリスティアナ様の穏やかで優しい眼差しに見つめられ、震えが収まっていくのを感じた。
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